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スキルテイカーとチート売りの魔女  作者: 鰤/牙
episode 3 スキルテイカーと報われない男
18/31

3-5 『叫び』

『―――――――――ッ!!』


 駒場の放った爆音波が、室内に並ぶ家具を粉砕していく。

 スキルテイカーに音波攻撃を防ぐ手段はない。直撃を受けた彼の肉体は宙へ浮かび、壁へと叩きつけられる。築十数年の木造の壁は、スキルテイカーの質量を支えきれるはずもなく、いとも容易く砕け散った。鉤爪をコンクリートに叩きつけ、勢いを強引に殺す。顔をあげて、真紅に燃え上がる視線を、駒場へと向けた。

 駒場の全身は金属的な光沢に覆われている。不二崎詩織の時と同じだ。彼女も、最後に残されたアビリキィは〝歌唱〟の才能を拓くものであった。それは、神業チートとキーホルダーが本質的には同一な存在であることを明確に示している。


 木造アパートの外側に放り出された彼のもとに、ただ才能を発露するだけの装置と化した駒場が、ゆっくりと近づいてくる。スキルテイカーは周囲を見渡した。他のアパートの住民が、先の轟音に気づいたのか窓を開けてこちらを眺めている。いや、当然ながらアパートの住民だけではない。周辺に暮らす一般市民たちは、既にこの騒動に気がついていた。

 あらかじめ、人払いをしようと思えばできたはずだ。この付近一帯を一時的な無人エリアにすることも、あるいは彼らに気づかれないような工夫と配慮を凝らすこともできた。しかし、スキルテイカーは今回に限りそれを怠ったのである。


 駒場が神業チート化するなどと、スキルテイカーは思いたくなかった。

 自他に甘いあの男のことである。残酷な現実に対しても、必ずどこかで折り合いをつけてくれるだろうと、淡い期待を抱いていた。才能に手を伸ばし、心の天秤を傾けることが、まさかあの男に限ってはないだろうと、そう考えていた。しょせんはすべて、スキルテイカーの勝手な願望に過ぎない。彼の胸中には、やるせなさと自分自身の甘さに対する憤怒が渦を巻いていた。そう、甘いのは自分も同じだったのである。


 現実はどうだ。駒場は怪物となった。才能に心を食らいつくされ、ただ『歌う』ためだけに存在する〝業〟そのものと化したのである。彼の口から放たれるのは、神の御業に昇華された〝歌〟であって、それは決して、人間のために存在するようなものではない。

 ならば才能の簒奪者・スキルテイカーが為すべきことはなんだ。その〝業〟を断ち、奪い、醜い妄執に終止符を打つことである。そこに一切の感情は、おもねりは、妥協は、必要ではない。スキルテイカーは、ほんの十数秒前まで駒場だったものに対して、正義の鉄槌をくださねばならない。


『―――――――――ッ!!』


 駒場の〝歌〟が再度放たれた。指向性を持った音波砲である。それはスキルテイカーの鼓膜をつんざき、物理的な衝撃をもって体表を削り取る。全身から血しぶきが上がり、遅れて周囲の悲鳴がスキルテイカーに届いた。

 根回しをしなかったのは自らのミスである。そのミスで関係のない犠牲者を出すわけにはいかない。スキルテイカーはマントのように纏ったボロ切れを跳ね上げ、その裏側に吊るされた無数の鍵のうちのひとつを手にとった。アビリキィの気配を感じ取り、スキルテイカーの中に眠る醜悪な〝強奪〟の才能が、歓喜に震えてあぎとを開く。


 全身に生じる違和感。身体中の表皮が疼き、そこかしこに鍵穴が開いていく。出来の悪いコラージュ写真のように、グロテスクな変化だ。スキルテイカーは、手にした鍵の挿すべき穴を、寸分たりとも違えない。太ももめがけて突き立てられたアビリキィがスキルテイカーの内部に潜り込み、閉ざされた才能の扉を拓く。


「っああああああああああああッ!!」


 彼の周囲に生まれた不可視の力場は、飛び散った壁の破片を巻き上げ、さらに細かくねじ切っていく。変化の際に生じるフィールドが、一時的に防護壁の役割を果たした。力場は駒場の〝歌〟からスキルテイカーの肉体を保護し、スキルテイカーは新たな才能を手中に収める。

 傍目には滑稽なまでの脚部の異常発達。〝徒競走〟のアビリキィがもたらした才能の証であった。


 コンクリートを蹴る。スキルテイカーの肉体は刹那にして砲弾と化した。鉤爪の生え揃った右腕を掲げ、駒場の喉元を掴む。ひとまず駒場を、人目につかぬ場所まで運ばなければならない。この場の事後処理は、もう知人に頼むしかないだろう。スキルテイカーは珍しく、怜悧なメガネの似合う嫌味ったらしい件の知人に申し訳なく思ったが、今は謝罪の電話をかける余裕すらなかった。

 既に誰かがこの状況を警察に連絡し、十数分後には件の知人の知るところとなるだろう。これだけの目撃情報を果たして隠蔽できるのかどうかという疑問については、過去の知人の実績を見て信用するしかない。事実、スキルテイカーは今までに何度か大規模な騒動を引き起こしたが、そのいずれも表沙汰になることはなかった。


 スキルテイカーが決戦の場に選んだのは建設途中で打ち捨てられたビルの工事現場である。汲み上げられただけの鉄骨が、不気味なオブジェを連想させた。スキルテイカーは果たして、駒場の身体を地面に叩きつけるようにして、運搬を終了した。彼自身は鉤爪を地面に突き立てることで大きく減速し、砂埃を煙幕のように巻き上げ、ようやく停止する。


 砂煙の中から、駒場が立ち上がるのが見えた。スキルテイカーは自らの大腿部からアビリキィを引き抜いて、その双眸で目の前の神業チートを睨む。


「駒場……」


 けじめをつけなければならない。スキルテイカーは、禍々しい鉤爪の生えた人差し指を、駒場につきつけた。

 おそらく駒場には届かない言葉だろう。だが、スキルテイカーは言わねばならない。


「俺は『スキルテイカー』。おまえの……、〝業〟を、奪う……!」


 震えながらに吐き出した言葉は、誰よりも自分に言い聞かせるものであったかもしれない。





 〝業〟とはなにか。


 宗教的な意味合いを論じることはいくらでもできるが、多くの場合、今日では〝人間であるが故の愚かさ〟を象徴するものとして、その言葉は使われる。おそらくすべての人々は、その愚かさから逃れることなどできまい。例え神と見まごう聖人であったとしても、ヒトの営みの中で暮らす以上、〝業〟は生まれるものだ。

 チート売りの魔女は、常人と比してなお有り余るほどの〝業〟を持つ人間を、今までに何度も見てきた。彼女は人間の〝業〟を愛す。〝業〟を奪わんとするスキルテイカーとの決定的な差異である。〝業〟とはすなわち人間の人間たる所以であり、だからこそ彼らはアビリキィを手にするに足る。自らの〝業〟すらも飲み込めるかどうか。そのステップを乗り越えることこそ、魔女が彼女の顧客に望むことだ。


 では、駒場佳祐の〝業〟とはなにか。


 かの男の本質は限りなく善性に近いものであっただろう。駒場はあまりにも人間の悪意を知らなすぎた。美徳もすぎれば悪徳に等しい。この世界は、彼のように純粋な人間が生きていけるほど優しくはない。

 遅かれ早かれ、こうした結末は避けられなかったことだろう。例え魔女が鍵を与えなかったとしても、駒場は遠からぬ未来に、その広い心をもってしても受け入れきれぬほどの人の悪意を知ったはずだ。彼の心がそれに耐えられたかと言えば、その結果は見てのとおりだろう。


 建設途中で放棄されたビルの上で、魔女は見守っている。眼下では、スキルテイカーと駒場の戦いが続いていた。


 スキルテイカーが、こうなる結果を予測できなかったとは思えない。それでも彼は駒場を信じた、というわけではないだろう。信じたかった、だけだ。あの男は昔からそうなのだ。潔癖とも言えるほどの理想と夢想。それこそがスキルテイカーの〝業〟である。


「あなたは滑稽だわ。スキルテイカー」


 戦いを見守りながら、魔女が呟く。

 その声には、嘲りの、罵りの、ましてや哀れみの色など微塵も浮かんでいはいなかった。ただただ、荒涼とした音の響きが、風の中に紛れて消えた。





 スキルテイカーはボロ切れを跳ね上げて、一本の鍵を取り出した。右腕の甲に差し込んだ直後、鍵は新たな才能をこじ開けて、スキルテイカーの肉体を作り変える。再び周囲を覆う力場を強引に振り払って、スキルテイカーは空手の構えをとった。


『―――――――――ッ!!』


 歌唱神業チートの放つ〝歌〟は射程と範囲に火力を併せ持つ、極めて優秀な攻撃手段である。かわす手立てはないに等しく、結局スキルテイカーは、正面から迎え撃つ選択肢を選んだ。


 そう、〝歌〟だ。

 歌唱のアビリキィによって拓かれたものである以上、彼の行使する業は〝歌〟である。神の次元にまで昇華されたそれは、人間の口にする〝歌〟とは大きく異なる。いや、スキルテイカーはこんなものを〝歌〟とは認めない。駒場は言っていた。みんな歌が好きなのだと。甘ったれた言葉だったが、スキルテイカーは頷いた。ならば、醜悪に奏でられる〝これ〟が、こんなものが、歌であってよいはずがない。


『―――――――――ッ!!』

「駒場ぁぁっ!!」


 〝歌〟を正面から浴びながら、スキルテイカーは叫ぶ。どうせ届くまいと、そう思いはするが、それでも叫ぶ。

 衝撃波の威力はすさまじい。スキルテイカーの全身が擦り切れ、血しぶきが舞う。彼の叫び声など、この〝歌〟の前では鳥のさえずりにも久しい。小さく、無力な音だった。


 スキルテイカーは構えを解いた。代わりに一歩一歩、ゆっくりと前に進み出す。


「駒場ぁっ! おまえは、歌が! 好きなんじゃないのか!」

『―――――――――ッ!!』

「これがその、歌が! 好きなやつのすることなのか!」

『―――――――――ッ!!』

「答えろ、駒場ぁっ!!」


 スキルテイカーは、ようやく歌唱神業チートの前に立つ。神業チート化する直前の、泣き笑いのような表情のまま凝固した駒場の顔が、スキルテイカーの感情の炉心をさらに強くかき混ぜていった。手のひらを握り、正拳を突き出す。

 衝撃と手応え。歌唱神業チートの姿は軽々と宙を舞った。木の葉が風に踊る姿すらまだ見ごたえがあるだろう。だが、スキルテイカーは追撃をやめない。

 上空に向けて吹き飛ぶ神業チートに対してなお、スキルテイカーは追いすがり、拳を加える。速度が一定値を超えたときから、手応えには分厚い鉄板を射抜くような感触が加わった。空気抵抗の壁すら叩き割って、スキルテイカーは歌唱神業チートを殴る。


 どうして、この男は、


 もう少し、真剣になれなかったのだろうか。あるいは、もう少し、いい加減になれなかったのだろうか。

 アビリキィを受容した駒場の感情は奇跡的なバランスの上に成り立っていた。だがそれは、彼自身が中途半端であるという証明にほかならない。もう少し真剣に、自分の中の才能と向き合うことができていれば、彼はあの悪意の奔流の中からも数少ない理解者を見つけることができただろう。あるいはもう少し適当に、いい加減に生きていれば、あれだけの罵詈雑言など気にも止めなかったことだろう。

 そのいずれの場合であっても、駒場は神業チート化するか、あるいはアビリキィを手にしなかったかという二種類の展開しかあり得なかったはずだ。だが、その通りに事が進めば、どれだけ気分が楽だったことだろう。スキルテイカーは、こんな甘っちょろい男と、友達ごっこに興じることだってなかった。


 真紅の双眸から、抑えきれない感情が溢れ出す。雫を拳にこめて、スキルテイカーは殴る。


 あるいは、なぜ、この男でなければならなかったのだろうか。

 あるいは、なぜ、この男が醜悪な現実を知る鍵が、この男のもっとも大好きな〝歌〟でなければならなかったのだろうか。


 なぜ。どうして。疑問は尽きない。答えは出ない。そんなもの、最初からありはしないのだ。

 すべては必然の上に成り立つ。しかし常に、その必然の道筋を辿ることなどできはしない。


 駒場は中途半端な甘ちゃんだった。彼の趣味は、ウェブ上に散らばる無自覚な悪意の生贄にされた。それがすべてであり、それ以外の真実など存在しない。


「うおああああああああああああッ!!」


 スキルテイカーの拳が、歌唱神業チートを上から叩き伏せる。怪物は地面に叩きつけられ、墓標のように聳える鉄骨のオブジェが不気味に揺れた。神業チートの額に浮かび上がった鍵穴状のアザが、事態の収束が近いことを告げている。

 スキルテイカーの鉤爪キーネイルが、鍵穴の中に入り込む。やがて、その鋭利な先端部に引っかかるようにして、アビリキィの摘出が完了した。駒場の姿が、徐々に人間に戻っていく。


「駒場……」


 てっきり意識がないだろうと思われたその男は、微かな身動ぎの後、緩やかに上体を起こした。


「こま……」

「どうして……」


 駒場は地面に座り込んだまま呟く。


「どうして、みんな……歌が……違うんだ……みんな……どうして……俺が……」


 意味もなく単語を繰り返してつぶやく様は、うわごとに近い。スキルテイカーは目を伏せた。


『どうして』


 答えは出ない。そんなもの、最初からありはしないのだ。

 力なく緩んだスキルテイカーの手から、アビリキィが落ちる。その禍々しさとは裏腹に、驚くほと済んだ音が、戦いの終わった工事現場に響いた。

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