3ー3 『カラオケ』
それからさらに二日ほどが過ぎた。駒場佳祐の様子に変化はない。魔女もそれ以降、スキルテイカーの前には姿を見せなかった。
そんなある日、スキルテイカーはバイトの途中、駒場から遊びに誘われた。なにぶん初めての経験なので困惑するスキルテイカーであったが、当の駒場も『俺も人を誘うなんて初めてですよ』とはにかんだので、何やら妙にこそばゆい気持ちになる。ひとまずスキルテイカーはオーケーの返事を出した。自分を暇だと言うつもりはないが、どのみち使命がアビリキィの奪取である以上、駒場を監視下におけるのは悪い話ではない。
ま、建前である。本音を言えばスキルテイカーはちょっぴり嬉しかった。
その日はいつもより張り切って接客と品出しに臨み、仕事が終わる頃にはなかばスキップでロッカールームへ帰っていった。例によって店長の仕事を手伝って少し遅くなる駒場を店の外で待ち、午後6時くらいの時間になって、ようやく私服の駒場と合流できる。
さすがにオフの時間もわざわざアビリキィを体内に入れておこうとは思えないので、スキルテイカーはさっさとボロ切れをまとった怪人の姿へと戻っていた。鉤爪を用いて器用に鍵の出し入れを行うスキルテイカーを見て、駒場は感心したように頷いていたものである。あまり人に見せるようなものでもないのだが。
「で、遊びに行くって、どこへ?」
「どこだろう。こういう時、どこに行くもんなんですかね」
スキルテイカーの問いに対して、駒場は頼りない返答をする。
なにしろスキルテイカー、ここ長い間友達と呼べる人間がまともにいなかった。ホームレス仲間のゲンさんはよく遊びに誘ってくれたが、彼が連れて行ってくれるのは大抵ネットカフェか風俗店で、正直駒場と一緒に行こうなんて言える場所ではない。
若者が連れ立って遊びに行くところなど、あとはボウリングか、ゲーセンか。スキルテイカーの知識などその程度で、どちらも彼にはピンとこない。結局、『駒場の好きなところでいいんじゃないか』と言うと、彼は少し悩んだ素振りを見せてから『じゃあカラオケで』と言った。さもありなん。
「スキさん、カラオケって行ったことあるんですか?」
「むかし、1回か2回か、行ったことはある。でももう覚えてないな」
スキルテイカーがキーホルダーになる以前のことだが、彼としてもその頃のことはあまり思い出したくもない。
駒場と共に入ったカラオケ屋は、そんなに大きい店ではなかった。機種はなんにしますか? という、スキルテイカーにとってはサッパリな質問も、彼はスラスラと答え、手馴れた仕草でマイクと伝票の入った籠を持ち先へ進んでいく。スキルテイカーは不審人物臭全開で周囲を見回し、駒場の後をついて行った。
個室に入ると、駒場はメニューを開いてたずねて来た。
「なに飲みます?」
「いや、別にいらないけど」
「スキさん、ここワンドリンク制ですよ」
「なんだそれは」
部屋料金とは別になにか飲み物を注文しなければならないらしい。実にケチ臭い話だ。部屋料金を安くして、原価もみみっちいドリンクで利益を出そうという魂胆か。きっと学生なんかにはお得に見えるんだろう。
駒場はすぐには歌わなかった。店員がドリンクを持ってくるまで待ってから、嬉々としてよくわからない機械を手に取り、楽曲の番号を入力していく。スキルテイカーはメロンソーダのいかにも身体に悪そうな緑色を喉に流し込みながら、その様子をじっと眺めていた。
駒場の入れた曲は、偶然にもと言うべきなのか、ついこのあいだゲンさんに聞かされたばかりの、ボーカロイドの曲であった。最近はこんなものもカラオケに入るのか。スキルテイカーは完全に時空から切り離された、浦島太郎のような状態になっている。
駒場はマイクを片手に目を閉じ、曲が流れ出すと同時に身体を揺らしながらリズムを取り始めた。
さすがにアビリキィを体内に埋め込んでいるだけあって、駒場の歌はうまかった。だが、聞き惚れるということはない。スキルテイカーが、アビリキィの存在そのものを憎んでいるという理由はある。いかに素晴らしい歌声であろうと、それが鍵によって与えられた才能ならば、スキルテイカーはどこか冷めた目で見てしまう。
ただそれ以上に、駒場の歌は『上手い』という域を脱してはいなかった。アビリキィによって拓かれた才能は暴走するものである。歌であれば、それは脳内麻薬のように人の脳に染み込んで人心に作用するくらいの異能性は、発揮されてもおかしくない。だが、駒場の歌はあくまでも『上手い』だけだった。
駒場の才能が著しく低いのか、あるいは、彼がアビリキィに侵食されない絶妙なバランスを保っているがゆえに、その力を十全に発揮しきれていないのかは、わからない。
「スキさん、どうしました?」
歌い終わった駒場が、不思議そうに首をかしげている。しまったな。よほどつまらない顔をしていたのだろうか。
「いや、すまん。ちょっと考え事をだな」
「スキさんは歌わないんですか?」
「いや、俺は……。歌もロクに知らんし……」
どんどん好きなのを入れていけよと言うと、駒場はものすごい笑顔で頷いて次の曲を入れる。
彼が歌う曲は様々で、正直節操のカケラも見当たりはしなかったが、駒場はどの曲も真剣に、かつ楽しそうに歌っていた。根っから歌うことが好きなのだろう。スキルテイカーが彼を見る目は複雑だ。そんなに好きならば、何故もっと、努力をしてこなかったのか。
駒場は歌うことが好きだが、歌が上手くなることに対しての執着心はない。今回アビリキィを入手した理由ですらも、『一回でいいから上手く歌ってみたい』という、甘ちゃんそのものである。そうした思いが人それぞれであるとわかっていても、上達の努力をしてくれば、彼が叩かれることはなかったのではないか? とも思う。
駒場は三曲目に突入していた。
結局、駒場は3時間延々と歌っていた。好きに歌えと言ったのはスキルテイカーであるし、実のところそれで不快になったわけでもないが、よくもまぁ歌のレパートリーが尽きないものだと感心した。ついでに言えばやっぱり最後まで『ちょっとうまい』の領域を出なかった。スキルテイカーも歌わないなりにだんだん盛り上がってきて、しまいにはタンバリンを振り回して一緒に踊った。けっこう楽しかった。
カラオケルームを出るころにはすっかり腹も減っていて、せっかくだから飲みに行こうじゃないかという話になった。駒場もスキルテイカーも人付き合いに積極的なタイプではなかったが、『大人の付き合いと言ったら酒だろ!』という偏った知識は持っていた。カラオケ直後で、すっかりハイテンションになっていたせいもあるかもしれない。
そんなわけでふたりは焼き鳥屋に入った。
バイト仲間の話では、『飲み会では適度に飲むが酔っぱらいはしない』という駒場であったが、この時ばかりはまるで違っていた。さすがに節度を忘れてウワバミのように飲みまくるなんてことはないものの、積極的にアルコールを注文して、どんどん顔を赤くしていった。
「そんなに飲んで大丈夫か?」
「やだなぁ、大丈夫ですよ」
駒場は満面の笑顔で言う。
酒が入ると人間、理性のタガが緩んで本性が出るというが、もしも酔っ払ってこれならば、駒場の本性は限りなく善性に近いものだと言えるだろう。駒場は確かによく飲んだし、スキルテイカーにいろんな話を振ってきた。だが決して自分だけが話しすぎることもなかったし、こちらが不快になるようなことはいっさい言わなかった。
「なぁ、駒場」
焼き鳥屋に入って1時間ぐらいした頃、スキルテイカーは軟骨の串を片手にふと口を開いた。
「なんですか?」
「おまえ、そんなに歌が好きなのに、どうしてあんまり上手くないんだ?」
「いやぁ……。下手の横好きってやつなんでしょうねぇ……」
駒場はすっかり酒の回った顔でへらへらと笑う。
「そりゃあ、上手かったらいいこともいろいろあったとは思うんですけど、俺は別にいいかなって……」
「ネットでいろいろ言われても?」
「そこを言われると、ちょっと辛いんですよねー」
駒場の笑顔が苦笑いになった。
「結局、いろいろ言われちゃうのは、俺の歌が下手だったからだし……。そうすると、やっぱ歌が可哀想だったな、とは思うんですよ。でも、俺自身は別に歌が上手くなりたいわけじゃなくって……」
「そうか」
「でも、みんなが叩いているのを見るとちょっと悲しくなります。みんなもたぶん、俺がうたった歌のことが好きだからそうなるんでしょうし。そう考えると、歌がうまかった方がいいのかも」
そうか、と言いながらも、スキルテイカーはもやもやした気持ちを抑えきれない。ただ、この持て余した感情を上手く言語化できるほど、彼の頭はよくなかった。
駒場の態度を甘えだと言い切るのは簡単だろう。ダブルスタンダードと言えばそうなのかもしれない。インターネットという、不特定多数の人間が容易に閲覧可能なところに自分の歌をアップロードするという行為自体が非常に軽率だ。その結果、なじられ、叩かれ、あまつさえにこのようなことを抜かしていたのでは世話はない。
だが、しょせんは趣味の範疇だ。カネを払って視聴するわけでもないそれを、好き勝手に評価するのはどうなのだろう。ましてや駒場は、単なる芸術作品として歌ってみた動画を掲載していたわけではない。わざわざ聞かなくても良いそれを、外から大勢押しかけて、大量の辛口コメントを残して帰っていくことに、果たしてどういった意味があるのだろう。
正直スキルテイカーにはわからない。
下手くそな人間が、動画をアップロードすることが悪いのか。見なくてもいいものをわざわざ見て、こき下ろすことが悪いのか。
叩かれる覚悟もなく、多くの人間が見ていることも理解していない方が悪いのか、一方的に好き勝手をいい、相手の気持ちも理解していない方が悪いのか。
スキルテイカーは正義の味方である。だが、世の中には胸を張って味方をするべき正義があまりにも少ないことに気づく。世間にあまねく人々は、一元化できるほど単純な存在ではないのだ。今時中学生でも容易に気づいてしまうような真理が、スキルテイカーを悩ませていた。
気がつけば、駒場はすっかり酔っ払っていた。滅多に酒を飲みすぎないであろう彼が、ここまで潰れることなど珍しいのではないか。
「おい駒場、そんなんで明日のバイト大丈夫か?」
「明日は休みだよぉ、スキさん……」
カウンターに頭を放り出したまま、駒場は夢心地といった顔で呟く。
「スキさん、俺、明日動画あげるよ……」
彼が続けてそう言ったとき、スキルテイカーは片手に持った焼酎のグラスを見つめ、しばし黙り込んだ。
動画をあげる、ということはつまり、彼の望む最高の一回を歌うということだ。正直、現状では鍵を使わずとも彼より上手い人間は大勢いるだろうが、スキルテイカーはそれを口に出さなかった。駒場が歌って、録って、動画をあげて、そうすれば駒場にとってアビリキィは用済みとなる。
「そうか」
「うん……。せっかく最後だしさ……。どっかのスタジオ借りて、最高の録音環境で、歌うよ……。スキさん、明日バイト終わったらうち来てよ」
「それでみんな、認めてくれると思うのか?」
駒場はへらへらと笑う。
「認めてもらうんじゃないよぉ、スキさん。でもみんな喜んでくれるよ。だってみんな、歌が、好きだから……」
スキルテイカーはそれ以上何も言わなかった。何を言えばいいか、わからなかったからではない。
気持ちよさそうな顔で眠る駒場に、余計なことを考えさせたくなかったからだ。明日になれば、すべては終わる。できることならば、このどうしようもなく甘っちょろい男に、なにかの悲劇が降りかかることもなく、ただ穏便に終わって欲しい。
スキルテイカーは焼酎をあおると、皿の上ですっかり冷めた最後の焼き鳥を、口に運んだ。




