2-6 『おでん』
都心付近の高架線下に、おでん屋台が出ている。客は二人だ。
一人は、全身にボロ切れをまとった不気味な威容の男である。
一人は、全身を高級スーツで包んだ冷涼な顔立ちの男である。
スキルテイカーとメガネだ。
「まだ納得が行っていない様子だな」
小さな日本酒グラスを片手にメガネが言う。そこそこアルコールは入っているようだが、鉄面皮のような表情には一切変化がない。対照的なのはスキルテイカーで、こちらは卓上になかばうつ伏せとなりながら、ひたすらにクダを巻いている情けない姿が確認できた。屋台のオヤジは、ただ黙々とおでん種を煮立てている。
「不二崎沙織はまだ10歳にもなっていないんだぞ……。これからいろんな人生も歩めたっていうのに……」
今回の件は、どうやら彼にとって相当堪えているらしい。無理もないか。こと今回においては、スキルテイカーの役回りは完全に道化であった。自らの考えが正しいと信じて疑わず、沙織を自分勝手な父親から引き剥がそうとした結果、彼らは互いの絆を再確認し後戻りできない道へと進む覚悟を固めた。メガネも、おおよその顛末は耳にしている。
才能の代償に異形と化した沙織が、普通の人生を歩むことは難しいだろう。金属的な光沢を得た彼女の表皮はどこへ行っても目立つ。今まで通り国立小学校に通い続けることはできまい。少なくとも、あの父親が望んだ通りの、輝かしい人生が彼女に訪れるかどうかは、正直メガネにとっても疑問ではあった。
「だがスキルテイカー、おまえは、彼女を救うために鍵を集めていたわけじゃないだろう」
「………」
メガネの投げかけた言葉に、スキルテイカーは答えない。
「不二崎沙織がキーホルダー化した以上、あの鍵が周囲に悪影響を及ぼすことはない。沙織が悪用しようとした場合は除くが。履き違えないようにな」
「わかってるよ、くそっ。オヤジ! 大根だ!」
「アイヨッ」
カツオ出汁のたっぷり染み込んだ大根が、白い湯気を伴いながらスキルテイカーに供される。彼は表面の色合いがわからなくなるほどにカラシを塗りたくって、大根にかぶりついた。メガネは温度を感じさせない瞳でその様子を眺めると、グラスを一気にあおって卓上に置く。
「俺もあの二人が健全な親子の形だとは思わないがな。外野からどうこうと言えることじゃない」
「だからってなんでもかんでも納得できることじゃねぇんだよ!」
「マスター、巾着をくれ」
「アイヨッ」
おでん種から登り立つ湯気は、高架線下の薄暗闇によく映える。メガネは出された巾着を食い破って、話を続けた。
「魔女から言われたことを気にしているのか」
スキルテイカーは、そのメガネの言葉に、またも動きを止める。どうやら図星であるらしい。
「〝人の気持ちがわからない〟だったか。なかなかエグいことを言うじゃないか」
「ああ……」
アルコールで真っ赤になりつつも、スキルテイカーの表情は苦々しい。
メガネはスキルテイカーの過去を知らない。彼が知っていることは、スキルテイカーはアビリキィと呼ばれる鍵を収集する才能力者であり、チート売りの魔女がバラ撒いた才能の鍵を奪い集めているという、ただそれだけだ。メガネの立場を使えば、彼の過去を探ることもできたかもしれないが。どのみち今のビジネスライクな関係を維持するなら、これ以上の深入りは必要ない。
ただ、スキルテイカーがおそらく善意に基づいて動く者なのだということは、メガネにも理解できた。そのまっすぐさや愚直さは、メガネの周囲においては希少である。スキルテイカーは善意の存在だ。
だが、善意が必ずしも善を為すとは限らない。
スキルテイカーに関して言えば、おそらく、善意の結果として誰かを不幸にしてきた数の方が多いだろう。彼も、おぼろげにはそれを感じていたはずだが、今回の件で表面化した。そんなところか。人の心がわからないスキルテイカーは、誰かを幸せにしたりはしないのである。
「だが、俺は、鍵を奪うのをやめたりはしない」
彼の心の中でどのような葛藤があったのか知らないが、スキルテイカーは熱に浮かされたようにそうつぶやいた。
「その結果、誰が泣くことになってもか」
「ああ」
「誰が不幸になるとしてもか」
「ああ」
スキルテイカーとメガネの会話は、そこでしばし途切れた。
どうやら、彼もだいぶ酒が回ってきているらしい。労いの意味と、彼の愚痴を聞くために飲みに誘ったわけだが、そろそろ切り上げた方がいいか。そう思った時である。
「お隣、空いてるかしら?」
鈴を転がしたような声音が響いた。スキルテイカーはいささかぼうっとした顔を上げ、
「ああ、好きに座れば……」
と、言いかけてから、
「おまえの席はない! 帰れ魔女!」
と、声を荒らげた。
そこに立っていたのは、黒のゴシックロリータ・ファッションに青く深い双眸、そして夜中の高架線下だというのに飽きもせず日傘をさす、厭世的な笑顔の少女だった。チート売りの魔女である。メガネは意外な人物の登場に目を細めたが、屋台のオヤジはただひたすらにおでんを煮ていた。
「それを決めるのはあなたではないでしょう? オヤジさん、空いてる?」
「どうぞ」
「じゃあ俺が帰る! メガネ、支払いは任せた!」
スキルテイカーは席を蹴りたて、荒々しく立ち上がる。
「最初から金なんか持ってないんだろう」
「そうとも言うな!」
メガネの辛辣なツッコミに対し、なかばやけくそとも思えるような返答をして、異形の怪物は立ち去った。足元がおぼつかない様子だが、シベリアに一晩放置したところで風邪をひかないような男だ。別に大した心配も要らないだろう。
チート売りの魔女はそんなスキルテイカーの背中を最後までしっかりと見送った後、人差し指を立ててオヤジにおでん種を注文する。
「オヤジさん、タマゴとしらたきとタコとはんぺん。あとウーロンハイをいただけるかしら」
「アイヨッ」
「あんたの分は払わないぞ」
「いいわよ。私もお金は持ってるもの」
みすぼらしいスキルテイカーに比べてたいそう良い身なりをしているのだから、そうかもしれないとは思っていたが。メガネは日本酒のおかわりを注文し、皿の上の巾着をぼそぼそと食べる。しばしの間、チート売りの魔女ともども二人は無言になった。
高架線の上を、電車がやかましい音をたてて過ぎ去っていく。
「スキルテイカーは行ってしまったが、いいのか」
「構わないわ。どちらかというと、あなたにお話があって来たの。あら、ありがとう」
最後の礼は、皿とグラスを差し出してきたオヤジに向けられたものだ。魔女はタマゴを崩し、つゆに黄身を溶かし込む。その後、はんぺんに元の色がわからなくなるほどカラシを塗りたくってから、口に運んだ。メガネはまたも怜悧な視線でそれをじっと眺める。
「それ、流行ってるのか」
「何の話?」
「いや、いい……」
アビリキィに関わった者は味覚がおかしくなる宿命でもあるのかもしれない。
「俺に話とはなんだ、魔女。初対面だと思うが」
「ええ、初対面よ。ところで、不二崎父娘に〝旅行先〟をプレゼントしたのは、あなたね?」
「………」
今度はメガネが、先ほどのスキルテイカーのように黙り込む番であった。
この魔女がどこに情報網を持っているのかは知らないが、なるべく情報が漏れぬよう細心の注意を払って手配したことを、こうもあっさりバレているとは。人知を逸した怪物が相手と言っても、メガネは自分の行いを省みる心地であった。この部署を任されて五年近くにはなるはずだが、いやはや。
「どのみち、不二崎父娘はもう日本ではまともに暮らせないだろう。沙織に最後に残されていたアビリキィは〝歌〟だったか。あっちならばまだ活かしようはあると思っただけだ」
スキルテイカーには、自分が不二崎父娘に対して渡航の手伝いをした旨を伝えていない。伝えれば怒るだろうし、そもそも伝える必要がないと思っていたからだ。
「それは不二崎次第ね。……あら、ここのはんぺん美味しいわ」
「そんな状態で味がわかるのか」
「失礼なことを言うのね。私の舌は繊細なのよ?」
「舌が繊細な奴は刺激物を多量摂取したりしない」
メガネが過去スキルテイカーから聞いた話では、才能が癒着してキーホルダー化した人間は国内にもそこそこ数がいるらしい。彼らは自ら鍵の使い道を定め、代償との共存を選択し、表社会に出ることは少ないが彼らなりの成功を得て生活している。
ただ、不二崎父娘に関しては、決して彼らのように上手くはいかないだろうとメガネは踏んだ。それゆえの、今回のお節介である。不二崎仁がどれほど不器用で生きにくい性格をしている男であるかなど、メガネは過去イヤというほど知らされていた。
「ひとまず、私はそのことについてお礼を言おうと思ったの」
「筋違いだな。俺が個人で世話を焼いただけだ」
「あなたがそれほど善人であるようには見えないわ」
「心外だな」
メガネは日本酒のグラスに口をつけて自嘲気味に笑う。
「不二崎仁は元同僚なんだ」
「あら、サラリーマンだったの?」
「親のコネで数年働いた。もともと役人になる予定だったから、その予定通りに退職して今の仕事に就いた」
今の仕事につながってくるような根回しのやり方などは、おおよそその時に学んだ。不二崎の一件にしてもそうである。上司の横領を手早く不二崎に着せ、彼を社会から抹殺したのはメガネ自身だ。これら一連の事件はその後一切表面化することなく、当時の上司は今も悠々と石蕗電機の経営陣に居座っていることだろう。
贖罪などという生ぬるいことを言うつもりは一切ない。ただ、不二崎父娘に人生の再出発を図らせるなら、このタイミングが最適であると判断したまでである。あとは彼ら自身で幸せを掴んでもらうしかない。それを体よく海外に放り出しただけと言えば、それもそうだ。
なので、魔女に礼を言われるのは筋違いだ。
メガネは、タコの足(カラシまみれ)を口に運んでいる魔女をちらりと見て、話題を切り替えることにした。
「魔女、俺からもひとつ話をしたい」
「あら、なにかしら。欲しい才能があったら相談に乗るわ」
「そんなんじゃない。間に合ってるよ」
どう尋ねたものだろうか。メガネは魔女にひとつ聞きたいことがあったのだ。しばしの逡巡を終えて、彼はストレートに聞くことにした。
「あんたとスキルテイカーの関係を知りたい」
「ああ……」
チート売りの魔女から、笑顔が消える。一瞬真顔に戻った彼女は、ウーロンハイのグラスに口をつけ、それをそっと置くと、すぐにまた笑みを取り戻した。ただそれは、今まで浮かべていた厭世的なものとは、また少し異なる。
「それは秘密よ」
「そうか。仕方がないな」
これは単なる好奇心だ。ビジネスに関わることではない。秘密ならば、仕方がない。メガネはとっとと話題を流した。
「でもね。彼と私にどのような関係があって、彼が私をどのように思っていたとしても、」
魔女が不意に発した言葉は、メガネに向けられたものというよりも、自分自身に言い聞かせているかのようである。
「私は、鍵を与えるのをやめたりはしないわ」
先ほど、似たような言葉を隣で聞いた。メガネは、空のグラスをしばらく見つめた後に、同じ質問をしてみた。
「その結果、誰が泣くことになってもか」
「ええ」
「誰が不幸になるとしてもか」
「ええ」
人の心がわからないのは、実は彼女も同じなのではないか。
メガネは一瞬、そんなことを思ったが口には出さなかった。
高架線の上を、また電車がやかましい音をたてて、通りすぎて行った。
次章、『episode 3 スキルテイカーと報われない男』を掲載予定。