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スキルテイカーとチート売りの魔女  作者: 鰤/牙
episode 2 スキルテイカーと模造された天才
10/31

2-4 『父娘』

「不二崎仁のもとに、これ以上沙織を置いてはおけない」


 スキルテイカーの言葉は義憤に震えている。学校の屋上で、彼はメガネに電話をかけていた。

 学校内でも、この屋上はスキルテイカーが変装を解いてくつろげる唯一の場所だ。ボロ切れをまとった不審者の姿を他から見られるわけにもいかないので、基本、物陰に隠れつつとはなるものの、あの気持ち悪い爽やかスマイルを終始浮かべなくて済むのは、スキルテイカーにとって大きな心の安らぎとなっていた。


『不二崎に会った感想がそれか』

「あの男は自分のことしか考えていないんだぞ! 娘を復讐の道具にしようとしているだけだ。何本ものアビリキィを体内に入れて、今まで通り日常生活を送れていること自体が奇跡に等しいんだ。これ以上、沙織を不二崎の歪んだ恩讐の生贄にはさせられない」

『なるほど』


 ヒートアップするスキルテイカーの言葉に対して、電話口の向こうにいるメガネはあくまで平静そのものだ。もとより冷徹な仕事人であり、ズブズブの政界に浸りきった役人のひとりであるメガネに対して、自分のような義憤を期待していたわけではないのだが、それでもスキルテイカーは面白くない。

 昨日の家庭訪問の結果、スキルテイカーは不二崎と対面した。彼の境遇自体には、同情すべきところはあるのかもしれない。生まれつき才能というものに恵まれず、会社で横領の罪を被せられて隠居生活のような暮らしを余儀なくされた。日々の生活は惨めで悲嘆にくれるものであったことだろう。だが、かと言って、不二崎のやっていることが正当化されるとは、スキルテイカーには思えない。沙織には沙織の人生があるのだ。


『確かに俺も不二崎のやっていることが正しいとは思わないが、』


 スキルテイカーの胸中を察してではあるまいが、メガネはそう言った。


『スキルテイカー、人間は覆し難い才能の差に出会った時、どうするんだろうな』

「なんだと?」

『不二崎の気持ちもわかるという話だ。生まれ持ったものの違いで人生に優劣をつけられる悔しさは確かにある』

「冗談を言うな」


 スキルテイカーは返す。生真面目にかられたというよりは、鼻で笑うような色合いがあった。


「おまえこそ、なんでも卒なくこなしてきたエリートじゃないか。不二崎に恨まれる側の人間だろう」

『わかってないなスキルテイカー。怪物はどこにでもいる。俺の場合は親戚だった』


 メガネの言葉は、スキルテイカーにとって意外なものである。


『俺はそれでもエリート街道を歩けるだけの力があったから良かったが。不二崎はどうだったんだろうな。そういった時、他人のことを慮れる人間なんてそうそういやしないものじゃないのか。例え身内であってもだ』

「それは不二崎のやってることを庇う理由にはならない」

『庇うつもりもない。そういう見方もあるんじゃないかという話だ。世の中にはな、強い人間よりも、弱い人間の方が圧倒的に多いんだよ』


 その言葉を聞いたとき、スキルテイカーの胸にズキリとした痛みが走った。


『あなたは正義の味方であっても、弱者の味方ではないんだわ』


 魔女の言葉がリフレインする。スキルテイカーにも、自覚がないわけではない。彼は今まで幾度となく才能を奪ってきた。それらはすべて、不正チートな手段で得られた才能であり、人の手中に預かられて良いものでは決してないと、そう思っていた。いや、今でも断固としてそう思っている。

 だが、スキルテイカーにより才能を奪われ、怨嗟の声をあげてきた者たちはすべて、まごう事なき弱者であった。今回の場合においてもそうだ。不二崎仁は弱者である。可哀想なのは不二崎である。だが、しかし、それでも、


「か弱い者が正義であるとは限らない……」

『それはそうだが』


 スキルテイカーが喉元からかろうじて絞り出した声に対して、メガネの言葉は淡泊である。


『翻って、スキルテイカー。不二崎沙織の件だが』

「ああ」

『彼女の容態は安定しているんだろう。不二崎沙織が〝キーホルダー〟になる可能性はないのか』

「冗談を言うな」


 スキルテイカーは、二度目の言葉を発した。だがそれは、先ほどとは比べ物にならないほどの怒気をはらんでいる。スキルテイカーは続けた。


「あんな子供に、怪物としての人生を歩めと、おまえはそう言うのか」

『可能性の話だ。体内に鍵を取り込んでから時間もかなり経つ。才能が癒着しているかもしれない』

「沙織はアビリキィを受け入れていない。だいたい、そんなバカげた結末には、俺がさせない」


 スキルテイカーは自身の腕を見た。その先端部には、不気味に生え揃った五本の鉤爪がある。スキルテイカーが〝ヒト〟としての風体を失ってからは久しい。余人にはあずかり知らぬ、多くの苦悶と葛藤があった。〝キーホルダー〟になるというのは、すなわち、そういうことなのだ。

 不二崎沙織はまだ10歳にも満たぬ子供である。彼女の体内に才能が癒着するなどというのは、神業チート化よりもなおおぞましい展開と言えるだろう。


「そろそろ昼休みも終わりだ。電話、切るぞ」

『決行は今夜か』

「ああ。沙織を救う」

『幸運を祈るよ』


 簡単な挨拶の後、通話が切れた。スキルテイカーはボロ切れの中から三本のアビリキィを取り出す。全身に、じわじわと無数の鍵穴が開いていく感触があった。怪物の手の中で、三本の鍵は震えだし、やがて勢いよく飛び出すと、自らが収まるべき鍵穴めがけて飛翔する。スキルテイカーは、内面世界に存在する扉を無理やりこじ開けられる感覚を覚えながら、変化が生じるのを辛抱強く待った。






「真嶋先生」


 不二崎沙織から声をかけられたのは、五時間目と六時間目の間のことである。まさか沙織の方から話しかけてくるとは思わなかったので、スキルテイカーは爽やかスマイルのまま面食らった。こういう時、表情が変わらないのは動揺を悟られなくて便利かもしれない。


「どうしたんだい。不二崎さん。わからないことでもあった?」


 当初は自分の言葉ながら寒気を覚えたこの口調にも、もう慣れた。

 沙織は、この年頃の少女らしからぬ無表情のままに、しばし発言を躊躇していたが、やがて意を決したようにこう切り出す。


「いえ、お父さんのことなんですけど……」


 スキルテイカーは、笑顔のままに手を止めた。


「先生は、昨日、お父さんとどんな話をしたんですか?」

「お父さんは、なんて言ってたんだい」

「お前が気にすることじゃない、ただの世間話だって」

「その言葉通りだよ」


 スキルテイカーとしては、不二崎仁が言葉通り、沙織を学校に送り出したのが少し不思議であった。彼女になにかしらを吹き込んだのかと思えば、そうでもないらしい。スキルテイカーには、娘に心配をかけさせまいと言葉をはぐらかすような優しさが、あの男にあるとは思えなかった。あるいは、それだけの心遣いができるのならば、なぜ今回のような真似をしているのかと、義憤を募らせる思いもあった。

 だが、不二崎沙織は聡い娘であった。この言葉だけで納得するような少女でないことはわかっている。沙織は訝しむ顔を作り、首を横に振った。


「先生、」

「ん?」

「私、お父さんが怖いです」


 それは、昨日聞き出すことができなかった、不二崎沙織の本音である。

 その瞬間、スキルテイカーと沙織の二人は、教室という空間にあって周囲とは隔絶された。彼らのかわす言葉に耳を傾けるものはいない。教室の光景がモノクロームに染まり、沙織がぽつりぽつりと漏らす言葉だけが、スキルテイカーの耳に届く。


「私は、お父さんを立派な人だと思ってるし、お父さんのことが好きです。でも、お父さんが何を考えてるのかわからない時があります。お父さんは、私のことをどう思っているのか……不安なんです」


 果たして、少女の告白に対して、スキルテイカーはどのように答えることができただろうか。

 沙織が無表情の裏に隠した感情は、間違いなく怯えである。スキルテイカーは、それまで、沙織は父親に課せられた過剰な期待を背負い、それを裏切ることを恐れているのだと思っていた。だが、決してそれだけではないだろう。沙織の抱くもっとも大きな恐怖の正体は、自身が、父親に愛されていないのではないかという懸念なのだ。


 スキルテイカーの見る限り、不二崎仁が、沙織に父親としてどれほどの愛を注いでいるのか、感じ取ることはできない。不二崎は昨日、こう言った。『あんたには〝父親〟のなんたるかを論ずる資格があるのか』と。よくもそんなことを言えたものではないか。沙織は父親の愛に飢えているのだ。


「不二崎さん、」


 スキルテイカーは、彼女の小さな頭にそっと手を載せて言った。

 彼は沙織の懸念を解いてあげることはできない。ここで父親に関する真実を告げることも、偽ることも彼にはできなかった。スキルテイカーができることはただひとつ。彼女を助けてあげることだけだ。そして今、スキルテイカーが言えることはただひとつ。


「もう少し、我慢していて」


 不二崎沙織を、不二崎仁の妄執から解き放ってあげなければならない。スキルテイカーは、意思を固めた。






 その日も、不二崎沙織は一人で帰宅した。学校にもそこそこ仲のいい友人たちはいる。だが沙織は、彼女たちとは決して一緒に帰ろうとしなかった。自らの住まいが、友人たちと比べてあまりにも異質であることを知っていたからだ。そのくせ父親が昼間から家にいるというのも、母親が影も形も見えないというのも、何かも異質である。沙織は、そこを友人たちに指摘されたくはなかった。

 自分が惨めな思いになる、というだけではない。友人たちの指摘が、沙織の父親を傷つけることを何よりも恐れていた。父・不二崎仁が、決して強い人間ではないということを、沙織はこの歳ですでに知っている。他の子供たちが眺めるような、父の大きな背中を、沙織は見たことがなかった。どこまでも小さく、臆病な男。それが沙織の父親、仁である。


「お父さん、ただいま」

「おかえり、沙織」


 帰宅後、軽い言葉をかわす。

 いつものようにちゃぶ台前に座り込み、植物のようにまんじりとも動かない父親だ。彼はカーテンも締め切った薄暗い部屋の中で、沙織を見上げてこう言った。


「どうだった、学校は」

「いつも通り」

「そうか」


 父と楽しく会話をしたのは、一体いつが最後だろう。


「なんだか、いつもに比べて、静かだね」

「お父さんがか?」

「ううん。家の周りが」


 それがたとえ意味のない会話であったとしても沙織はなるべく、長く続けるように努力した。沈黙が長く続けば続くほどに、父親がどこか遠くへ離れて行ってしまう気がしたのだ。


「沙織、」


 暗闇の中で、仁は懐からそっと何かを取り出した。


 ああ、またか。


 沙織は思う。仁が取り出したもの。それは鍵である。なんの飾りもつけられていない、一本の鍵。それは、わずかな光を反射して、不気味な光を放っていた。沙織の身体の中には、この鍵と同じものが、すでに何本も収まっている。

 この鍵は嫌いだ。まだ身体の中で、不気味に蠢く感覚がある。だが、父の取り出したそれを拒絶することは、沙織にはできなかった。震える手をそっと伸ばして、鍵に触れる。瞬間、身体に疼きが走って、額に鍵穴が開いた。


「沙織、それは、歌がうまくなる鍵らしい」

「お父さんは、私の歌、嫌いなの?」

「好きだよ。だから、もっと上手くなって欲しいんだ」


 仁の瞳は笑っていない。その言葉が真意でないことを、沙織は見抜いていた。

 沙織は、鍵穴に鍵を通す。そうせざるを得なかった。父の要請を断ることはできない。父の期待を裏切ることはできない。沙織はこの鍵が嫌いだ。鍵を身体に通すたび、自分が何か、知らないものに作り替えられていくような感覚があった。自らの意識をつなぎ止めているのは、ひとえに父の望むままの子であろうとする、その思いに拠る。


 だが、父は、


 不二崎仁は、


 こうまでして言うことを聞く自分のことを、愛してくれているのだろうか。今の自分が気に入らないからこそ、次々と鍵を与えて、自分の望むままの子供に作り変えようとしているのではないだろうか。だとすれば、父を慕うこの気持ちですらも、本当は余計なものであるのかもしれない。


 かちゃり、という音がして、沙織の中に鍵が飲み込まれていった。その光景を眺めて、不二崎仁が強く頷く。


「それでいい」


 父が自分に鍵を与え続ける理由。それを沙織は、これ以上考えたくはなかった。思考を停め、今の状況をただ受け入れる。


 直後、急激な目眩に襲われた。身体がぐらつき、バランスが崩れる感覚があった。身体の中で、複数の力が反響しあい、せめぎ合う感覚があった。降って沸いたような感覚の変化。結果、沙織の華奢な身体が、安いアパートの床に倒れこむ。


「沙織……!?」


 そこで父は、初めて感情を込めた声音を発した。不二崎仁は倒れ込んだ沙織の元まで這って移動し、その身体を抱き抱えようとする。その姿を察知して、沙織は抑えかけた自らの感情が、再び鎌首をもたげるのを感じた。


 その時、窓が割れる。

 カーテンがぶわりと舞い上がり、風が室内に吹き付けた。町並みに落ちた夕暮れの赤が室内に差し込む。沙織と仁が思わず振り向いた先には、一人の怪物が立っていた。

 全身にまとったボロ切れが風にはためき、夕暮れよりも赤く輝く双眸が二人を睨む。怪物は、鉤爪の生え揃った指先をこちらに向けて、こう言った。


「俺は『スキルテイカー』。おまえの、〝業〟を奪う」

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