2話
既に解散の号令が発せられた一年D組の教室は、担任の退室もあってクラスの生徒達もぎこちなく帰り支度を始めていた。
地元の高校であるにも関わらず同じ中学出身者が同じクラスにならなかったこともあり、気軽に話しかけてくれる生徒もいなかった。そんな寂しい環境も、与えられたばかりの自席にて物思いに耽っていた遊真にとっては、ある意味都合が良かったのかもしれない。
頭に浮かんでいるのは、数ヶ月前に父親から言い付かった言葉。
『社台学園に行け、そして倉科涼子という人物を監視しろ』
えらく漠然とした指示に困惑したのを覚えている。
詳細を聞き出そうとしたのだが、今は知る必要がないと口を閉ざし、それ以上語られることは無かった。
その時はいずれわかる、社台学園へと赴き倉科涼子という人物に会えば何か掴めるだろう、そんな程度には考えていた。だが、まさか相手が守部、それも並々ならぬ実力の持ち主だなどとは思いもよらなかった。
こうしてどう知り得たのか、倉科涼子たる人物がここ社台学園に赴任する情報を事前に把握していた父親の差し金であろうこのクラスに潜り込んだはいいが、やはり彼女が監視される理由が気になる。
単に現代に生きる数少ない守部の一人、それも大いなる力を秘めた魔術の使い手だから、というわけではあるまい。
確かに守部達がその力故に、恐怖ややっかみの対象になるケースも存在している。
しかし、守部達とて馬鹿ではない。異能の力を振るえたとしてもその身は脆弱な人の身であり、世間から疎まれ、社会から弾き出されれば生きていけなくなることを知っている。そのため、守部達も無用なトラブルを避けるために己の力を無闇にひけらかさず、影に忍び、人知れず役目を果たしながら人間社会に溶け込んできた。
結果、現在ではその姿が見えなくとも異界の脅威からの護り手としての地位を確立しており、人としての道から大きく外れなければ必要とまでされている。
ならば彼女が何かしら悪事に手を染めたのか。とまで考えて、自らの考えを即、否定した。
遊真が昨夜見た倉科涼子は決して悪い人間には見えなかった。成り行きとはいえ遊真の窮地を救い、地上界に不幸をもたらす【混沌なる妖】の退治が自分の役目とも言っていた。教職に就くほどだから道理を知り、分別もつくはずであろう。
何より、救われた立場上、善人補正が掛かって見えるのかもしれないが、あの覚悟染みた瞳の奥を覗き見てしまった遊真には、倉科涼子と悪いイメージがどうやっても重ねられなかったのだ。
となると――、
「だめだ。情報不足で、さっぱり思いつかない……」
自分に何をさせたいのか、父親の意図がわからないのは癪だが、暫らくは大人しく監視とやらに従事するしかない。
そんなことを考えながら、意識を思考の淵から現実に戻しながら腰を上げ、ふと気付く。
今日から住人となった教室の生徒等も疾うに帰宅の路につき、すっかり疎らとなった教室の中。振り向かなければ視界に入らず、人の気配をぎりぎり感じさせない距離感、と遊真が下校を決め込み席を立ち上がらなければ気付けない絶妙な立ち位置で、一人の女子生徒が柔らかな笑みを湛えていた。
瞬間、どきりと心臓を跳ねさせてしまうのも無理はない。
小さく端整な顔立ちは穏やかな性格を感じさせ、肩口に届かぬ辺りで切り揃えた癖のない黒髪が良く似合う。争い事とは無縁のような清楚でおっとりを体現してみせた、見た目麗しい文学系美少女。
近い将来同級生は勿論、上級生からも数多く口説かれるであろう。そんな万人受けする容姿の美少女が「貴方に用があります」、と言わんがばかりの気配を醸していたのだ。
念のため周囲を見渡してみるのだが、付近に自分と彼女以外の生徒は見当たらず、空席ばかりが目に入る。自意識過剰による勘違いでもなさそうで、ならばやはり自分なのかと彼女に視線を振ると、
「今、少しいい?」
漸く、鈴を鳴らすような音色で問い掛けてきた。
「もしかして、ずっと待っててくれた、とか?」
「考え事してたみたいだから」
「そっか、ごめん。えっと……」
遊真が彼女を何と呼べばよいのかと思案していると、それを察したのか目の前の少女が口を開く。
「私の名前は天宮鈴音」
「天宮さんか。で、何か僕に用?」
「ついて来て」
と口にするや、遊真の反応を待たずして、彼女は廊下へと至る扉に向かって歩き出す。
一方的な物言いなのだが柔らかな物腰がそれを感じさせず、また、自分に非が無くとも待せていたという負い目が、
(まあいいか……)
遊真を素直に従わせていた。




