25話
やがて天宮も満足したのか箸を置き、食欲を十二分に満たした面々はまったりとした時間をリビングで過ごす。その様子を満足げに眺め回した涼子は、
「もう食べられそうもないようじゃな。では、少しテーブルの上を片付けるかの」
「あ、手伝いましょうか」
「いや、今日のお主は客じゃ。そこでのんびりしておれ」
腰を浮かせかけた遊真を言葉のみで制し、飲み物を残しつつホットプレートと食器類をキッチンへと運び入れる。
「そうそう、というわけで少しこのお姉さんとお話しましょう」
弾む声に視線を向ければ、テーブル越しの温子が自分の鼻先を指差していた。
「まずは、今日の焼肉パーティが催された理由を知りたいな」
「え? ヌルコさん、知らなかったんですか?」
「貴方達がクラスメイトのミスを自ら進んで対処したってのはなんとなく聞いてるわ。でも、もう少し具体的に知りたいじゃない。どんな事件だったのか」
本当は涼子を危険に晒させないための行動だったのだが、どうやら担任の中ではそういう扱いになっているらしい。なるほど、遊真は今日集められた本当の理由をわかった気がした。担任は自分の代わりに事に当たったお礼ではなく、クラスメイトのために行動を起こした遊真達を労うために会を開いた。だから井中も誘われていたのだ。更に親交を深めさせるために。
ただ、話してしまって良いのか判断つかない。なにせ守部の失態及び、一般人も通う学園の敷地内にて幻獣の出現と、少々問題がデリケートなのだ。
同時に遊真は一つの疑問が湧く。それは好奇心もあって抑えられず、即座口から発せられる。
「ヌルコさんも、実は魔術師だったりするんですか?」
涼子と同じ血を持つ一卵性双生児ならば、その可能性は非常に高いのではないか、と考えたのだ。
遊真の不意の言葉に、温子は一瞬動きを止めた。キッチンで作業中の涼子以外の、会話の当事者以外の三人も僅かに反応したのだが、彼女は気が付いていないようで、
「あー、もしかしてそっち絡みの話? そっか、姉さんがそういう人なのは知っているけど、私、そっち方面の話は全然わかんないのよね」
苦笑を浮かべたのみだった。
遊真は意外に思う。姉たる担任は魔術師として途方もない素質を持っているのに関わらず、まさか妹は一切の知識を持っていないとは。
後天的に守部としての異能な力を身につけるのは不可能ではないが、才能はやはり血筋がモノをいう。彼女達双子の両親がどのような人物かはわからないが、【ミズノアキラ】としての素養は、どういうわけか姉にしか与えられなかったらしい。
「もしかして、遊真君もその口?」
遊真は躊躇いがちに頷く、が。
「大丈夫よ、姉さんのことで良くわかってるつもり。無闇に誰かに話したりしないわ」
温子は守部に対する理解を示していた。そして「そっか」と一人呟き、やや寂しげな面持ちで遊真を見つめる。
「じゃあ、今まで結構大変だったりしたんじゃない?」
それは言われるまでもなく当然であろう。幾ら異界の脅威と対峙する能力を持ち合わせていたとしても、安全が確約されているわけではない。怪我は勿論、死すら背中合わせと言っても過言ではないのだ。
「そうですね。かなりヤバい時もありましたよ。現についこの間、倉科先生……、あっ、と、涼子先生に助けて貰ってますし」
「あっ、そっちじゃなくてさ。確かに化け物相手も危ないんだけど、えっと、プライベートの方よ」
温子の言っている意味がわからず、遊真は「プライベート?」と首を捻るが、
「あれ? 遊真君はその不思議な力が何故自分だけ使えるのか、使えるというだけで何故自分が戦わなければいけないのかって悩んだことない?」
と、温子は守部の根元たる部分に疑問を寄せていた。
その様な否定的な考えは持ったことがないと言えば嘘になる。危機に陥れば少なからず過ぎる思考だ。しかし、もし遊真が珠操師としての力を喪失したら、抗う手段が失われたらと考えたら、その時のが余程寒気がしてしまう。
遊真が答えあぐねていると、隣の流星が割り込み、
「愚問ね」
と前置きした後、
「あたしは力を持っているとわかった時は嬉しかった。今もその思いは変わらない。だって、そうでしょ? あたしは人に頼らず、自分の力で自分達の居場所を守れるのよ? 戦わなければいけないんじゃない。戦うことが出来る、なのよ」
彼女らしい見解を述べた。
そう、守部は他人のために無理やり戦わせられているのではない。自分達を含めた人が生きる世界を守っているのだ。だからこそ逃げず、恐れず、常に最善を尽くして戦える。自分の居場所を失わないように。
そんな気負った様子もなく、さも当然とした顔の流星に温子は、
「へえ、惑井さんまだ若いのにしっかりしてるのね。姉さんとは大違いだわ」
と驚きの発言を放った。
「えっ? 涼子先生が?」
と遊真が反応を示せば、温子も失言と気付いたのか慌てて口を押さえるが、時既に遅し。
興味を惹かれた八つの眼光。その隠すことのない輝きに怯んだ温子は、己の失態に握り締めた拳骨で軽く頭頂部を叩き、小さく舌を出す。
話の流れから推測するに温子は、「担任涼子が過去そういうことで悩んでいた」とも受け取れる内容を溢したのだ。今の自信に満ちた担任を知る遊真達が驚き、そして興味を抱いてしまうのも当然と言えよう。
温子は座った姿勢のまま首を伸ばしてキッチンで洗い物をする姉の様子を窺い、暫らく戻る様子が無いのを確認すると、
「この話は絶対内緒にしてね」
と前置き、やや前傾姿勢をとって、声のトーンを落として話し出す。
――温子曰く、姉は中学の時まではそれはもうずっと悩んでいた。不思議な力が使えるのも当然として、何故自分が戦わなければならないのかを。
加えて、姉の周囲には知らない大人達の眼があった。
何時からだったかは定かではない。いつの間にかとしか言いようのない自然な流れで、彼らは幼い姉の行動範囲をつかず離れずの絶妙な距離感で存在していた。
何故か姉には優しい彼らだったが、しかしその表情はあくまで作り物であり、常に畏怖と緊張を仮面の下に隠していたのは子供ながらに理解出来たという。そして彼等は、彼等以外の周囲の大人をさり気なく姉から遠ざけていた。それは神経質と言っても過言ではなく、すれ違う通行人にすら迂回させるという徹底振りだった。
子供というのは敏感なもので、近所の子達はその大人達の不可解な行動を鋭敏に感じ取り、不気味さ故に姉は遊び友達をも失ってしまう。
姉は気付く。彼らは姉に化け物との戦いだけを強要しているのだと。それが倉科涼子の存在価値なんだと。
自分の置かれた立場を知ってしまい、大人達の監視の下、戦い続ける宿命を受け入れてしまった姉は、何時しか自ら周囲との距離を置くようになっていった。それからというもの、未来を思い描くことすら許されない、ただ化け物達と戦う日々、そんな悲壮感漂う姉に、肉親すらどんな声をかけていいのかわからなくなっていたという――。
遊真はそこまで耳にして気付いていた。
恐らく、目の前の妹は真実を伝えられておらず、周囲の大人達が戦いを強いていると勘違いしているのであろう。
彼女の姉は一介の守部ではなく【ミズノアキラ】の転生体でなのだ。有事の際は【閂】と呼ばれる秘術の行使を迫られる可能性があり、常にその命を捨てさせられる宿命を背負わされている。幼くそれを理解すれば、絶望に打ちひしがれても無理はない。遊真達の境遇とは似ているようでまるで違っている。
周囲の大人達は【ミズノアキラ】の転生体、倉科涼子の身を案じての行動であり、そもそも守部は戦いを強要されるものではない。
とはいえ知らなければ勘違いしてしまうのも致し方ないと言えよう。
遊真の胸中など知らない温子は、
「でね」
と話を繋ぐと、重々しい話とは裏腹に、どこか晴れやかな面持ちで続きを語りだす。
――それは彼女達双子が高校一年に上がってからすぐ、夏休み前頃の時期だったという。
周囲からの接触を絶ち、そんな姉を気味悪がって教師すら距離を置くようになっていた中、一人の教師が現れる。その教師とは定年を迎えた後、臨時講師として学校に残った白髪の老教師で、怒る姿が想像出来ない温厚を絵に描いたような人物だった。
老教師は気付けば姉の傍にいた。しかし話を聞くでなく、また諭すのでもなく、ただ時折校内を連れ回すだけだった。時にベランダで景色を眺め、時に食堂でお茶を啜る。周りの目から見ても、何をしたいのかまるで見当がつかなかった。
そんなある日、老教師はいつものように姉を引き連れ、中庭へと向かう。
中庭と言っても校内の中央に位置するでなく、北側の裏山と地続きになった一角に手を加えたその場所は、数本の立ち木を刈り揃えた植え込みが囲う、自然な環境を残しながらも見栄えを良くした緑が豊かで生徒の間でも人気の憩いのスポットだったという。
小鳥達が囀る中、老教師は苦もなく中へ立ち入ると、そのまま立ち木の一本に背を預けながら姉を手招きをした。
姉は躊躇を見せつつも、優しくゆっくりと手招きする老教師に誘われるがまま、おずおずと緑に囲われた中庭へと足を踏み入れ、老教師の隣へと腰を下ろす。
老教師は姉が落ち着くのを見届けると、ポケットからコンビニで貰ったものであろう白いビニール袋を取り出し、徐に袋の口へと手を突っ込み、中身を握って引き抜いた。姉の目の前で広げられた皺だらけの掌には、一掴みの白米が乗せられていた。
姉が不思議そうに米粒の山を眺めていると、周囲で囀っていた小鳥達が舞い降り、枯れ枝のような老教師の手に止まって白米を啄ばみ始めた。
その様子を他人事のように見つめていた姉の目の前に、老教師の手が差し伸ばされる。握られているのはビニール袋。中身は言わずと知れた白米であろう。
姉は自分に差し出された意味を理解し、中へとおずおずとしながらも手を差し入れる。引き出された拳を開けば控えめに握られた白米が盛られており、暫らくすれば白い掌の上に人馴れした数羽の小鳥が集まっていた。
その時、姉は久しぶりに微笑んでいたという。
そして老教師は表情を柔らかくした姉に微笑みかけ、
『すまぬが、儂はお主が何に悩んでおるかはわかってやれん』
と前置き、のんびりと独り言のように呟く。
『しかしじゃ。お主はこの一ヶ月、儂とどこにいったかの。ベランダで山々を眺め、食堂でお茶をし、屋上で日向ぼっこ。校内とはいえ色々なところを巡ったものじゃ』
突然話し掛けられた姉はその声の方へと首を向ける。だが何を言わんとしているのか理解出来ず、ただぼんやりと老教師の顔を眺めていた。
老教師は掌の上に集まる小鳥達へと視線を戻し、
『今日は儂の誘いで中庭に来た。そして儂の真似をして、自分もこの鳥達と戯れてみたいと思ったじゃろ? そうじゃ、お主は自分の目で楽しみを見出し、そしてそれを自分の意思で実行に移した。しかし誰も咎めてはおらんじゃろ?』
と、説く。
そこで姉は目の前の老教師の伝えたいことに漠然と気付いたのだろう。無表情の中で暫し目を瞬き、微かな驚きが表されていた。
『そう、倉科涼子、お主は何をしてもええ自由を持っておるのじゃよ。自分の生きたい様に生きるがええ。進みたい道を進むがええ。お主はまだ若い。全てを諦めるには早過ぎる。遠慮など不要じゃ。人には己の人生を謳歌する自由を誰しも持っておる。但し、人様の迷惑にだけはならんように、じゃ』
老教師に説かれ、小鳥達に囲まれたその日を境に、姉、倉科涼子は一変し、私生活において明確な意思を表すようになったという――。
「と、まあ、その先生がいなければ間違いなく今の姉さんはいなかったわね」
と、最後に温子なりの感想を添え、過去の話を締め括られる。
それまで沈黙を貫き耳を傾けていた流星は、心温まるエピソードの余韻を溜め息一つで盛大にぶち壊し、
「それにしても暇人ねえ」
と呆れた。当然それを聞いた温子は浸っていた気分を害され、むっとし、
「そんなこと言わないでよ。そのお陰で姉さんが立ち直れたんだから」
「そのお爺ちゃん先生のことじゃないわ。ヌルコのことよ」
と流星は、担任の妹の渾名を無敬称で名指しする。
「一部始終、それをずっと見てたんでしょ? でなきゃそこまで事細かに語れないわ」
「う……、そりゃ姉さん連れ回して何してるか気になるし、当たり前でしょう。それより、その後の姉さんは凄かったわよ」
形勢不利と見た温子は、無理やり話題転換に掛かった。
「それはもう人が変わったみたい。色んなことに興味を持ち、どんなことにでも精力的に挑戦した挙句、その先生に憧れて教師にまでなったんだから。でね、姉さんは言ってたわ。儂も悩める生徒に道標を示せるような教師になりたいのじゃ、ってね」
そして今の担任、倉科涼子があるのだという。
先程の、恐らくその老教師を真似ていたであろう温子の口調が、今の担任のそれに近いことを指摘すれば、「当然」と前置いた後、
「その先生の口調まで伝染っちゃったのよ」
と教えてくれる。遊真は始め担任の口調は【ミズノアキラ】としての思考の影響なのかとも考えていたが、どうやらその古風な口調は後天的だと判明した瞬間だった。
「すまぬな。片付け始めたら中途半端では終われなくなってしまい、気が付けばこんな時間になる有様じゃ」
リビング組の話が一区切りついたところで、キッチンでの作業を終えた良子がリビングへと戻るが、皆、示し合わせたかのように何事も無い顔をしていた。遊真としては、担任涼子の過去を知ってしまったばかりで顔に出てしまうのではと危惧したが、それは杞憂に終わり、何も悟られることなくトレーを両手で携えた良子がテーブルに歩み寄るのを目で追う。
「何やら盛り上がっておる様子じゃな。一応、デザートを用意してみたのじゃが、お主ら腹の具合はどうじゃ?」
と涼子がテーブルに置いたトレーには五つの小鉢があり、その上にはバニラであろう冷やされたアイスクリームが取り分けられ盛られていた。
「あっ! 姉さん、それ! 私のアイスじゃない!」
それを目にした温子が即座に抗議を飛ばすが、
「ケチケチするでない。それにあんなバケツ一杯食っておったら、ぶくぶくと醜く太るだけじゃぞ。お主達、ヌルコの肥満対策にこれらを処分してやってくれぬか」
平静でもって受け流され、一皿ずつ遊真達に手渡されていく。
バケツ一杯と聞いてどれだけの量が蓄えられているか気になるが、倉科姉妹宅の冷凍庫を覗き見ることが出来ない遊真にそれを知る術はなかった。
そんな遊真に凭れ、先程までオーバーオールの腹部を撫で回してうんうんと苦しみの声を上げていた流星だったが、やはり甘いものは別腹のようで喜色を顔一杯に表していた。遊真も同様に、小鉢程度のアイスならまだ食べられそうな気がするから不思議だ。
がっくり肩を落とす温子を尻目に、涼子は席に戻りアイスを口に運ぶ生徒達を眺め、再び目元を緩める。そして一人手にしていた缶のプルタブを指に掛け、「カシュッ」と小気味良い音色をリビングに響かせた。
「儂は甘いモノよりこちら派じゃ。客を招いた身分ですまぬが、一本だけ許してくれると助かる」
涼子の手にしているのは缶ビールだった。
親指ほどの飲み口に口をつけるとゆっくりと傾け、おいしそうに喉を潤す。
「本当はお主らと飲み交わしたいところじゃが、流石に儂にも教師としての立場というものがあるからの。今日は儂一人。そういった機会はお主らが卒業してからのお楽しみとさせて貰う。そうじゃ、いつかそういう日が来るのを楽しみに、じゃ」
涼子の言葉は自分に言い聞かせるかのような響きを伴わせていた。
大いなる運命を背負い、太古より転生した彼女のささやかな希望。そんな程度の望みなら叶えてあげれそうだと、遊真は一人ほくそ笑む。そう思えるまで担任との付き合いが長くなるような気がしたのだ。
それは【ミズノアキラ】の転生体である魔術師「倉科涼子」ではなく、少しとっつき難いところのある社台学園一年D組担任「倉科涼子」として。
この人ならきっと良い教師になれる。生徒の立場から言うのはおこがましいのであろうが、遊真はそう思わずにはいられなかった。
一度は人生を絶望の縁へと叩き落とされ、そこから這い上がるという経験をした彼女が、漸く人並みの夢を見てチャンスを手にしたのだ。未だ尋常ならざる宿命を背負いながらも、必ずやその意志を貫いてくれるに違いない。
遊真はアイスのまだ半分程残った小鉢を涼子の目前に掲げた。
涼子はその遊真の行動に僅か首を傾げたが、すぐに理解を示し手にした缶ビールを突き出す。
「その日は必ず来ますよ。とりあえず今日はこれで」
「では、来る日に向けて。乾杯じゃ」
小鉢とアルミ缶が衝突し鈍い音色を奏でる。決して心地良い音色ではなかったが、涼子は満足げに頷いていた。




