23話
地図に記された場所、大通りから一本入った先のレンガを模したタイルが外壁に使用されている三階建てのアパートは、壁の汚れ具合から察するにまだ築数年といったところか。古びた印象はなく、落ち着いた雰囲気を与えてくれる建築物の二階の一室が倉科涼子の部屋とある。
「トシ、ここだって知ってた?」
「いや、初めてでござるよ。拙者は社台学園内のみの担当でござる。流石に男の身であるが故、あまり私生活には立ち入らないように配慮されているでござる。今は他の者がしっかり任務を遂行しているでござるよ」
なるほど、プライベートまで彼の担当ではないのは道理とも言える。
歳蔵の言葉から推測するに、現在は女性忍者のクノイチが付近に忍んでいるらしい。
確かに教え子とはいえ年頃の異性が張り付いていたのでは、担任とてあまりいい思いはしないであろう。また歳蔵も学園に自宅にと四六時中ついて回っていたのでは、睡眠時間すら危ぶまれ彼自身の人としての生活が破綻する。
「だったら、学園の担当もクノイチにすれば良かったじゃない。そうすれば覗きの心配しなくて済んだのに」
「いや、今年十六になるのが拙者だけだったからでござるが……、冤罪でござるよ……」
歳蔵は、「覗き」という言葉に首を傾げる天宮の視線から、バツが悪そうに顔を背けていた。
そして、いざここまで来たのはいいが、教師の自宅を目の前にして遊真はなんとなく気後れして二の足を踏んでいたのだが、
「二○一号室だっけ?」
流星は我が家の如く気兼ねなく、一人スタスタとエントランスへと突撃を仕掛けた。
その無遠慮な行動力に引っ張られて彼女の小さな背中を皆で追いかけ、階段を上がった先で表札を眺め歩けば、角部屋に「倉科」と掲げられた玄関を発見する。
躊躇いなく呼び鈴を押下する流星を尻目に、なんとなく周囲を見渡していたのだが、不意に内側から扉が押し開けられ、顔だけを覗かせた一人の女性と対面し、驚く。
「はいはーい。あら、いらっしゃい」
「え? あ、あの……」
と遊真がどもってしまったのも無理はない。
微笑む眼鏡の女性は紛うことなく倉科涼子なのだが、どうもどこか違和感を覚える。
何が違うのかは上手く表現出来ないが、違うことだけは断言出来る。纏う雰囲気とでも言うのか、彼女から受ける印象が普段と異なっていた。いつもの涼しげで自然と人を威圧するような気配がまるでなく、妙に明るく親しみ易いのだ。大体、過去担任が標準語で話していた記憶も無く、それが居心地の悪さに拍車を掛ける。
表札を二度見、三度見と何度も見直しながら何がなんだかと困惑する遊真だったが、玄関の倉科涼子らしき女性は、その様子に何やら理解に及んだようで、
「ああ、ごめんね。今、姉さん呼んで来るからちょっと待ってて」
と笑みを残したのち顔を引っ込め、部屋の奥へと戻っていく。
「姉さん?」
完全置いてきぼりの遊真は同行人達と顔を見合わせるのだが、流星もポカンと口を開け、天宮はいつもの調子で笑み顔を維持、唯一歳蔵だけが我が知り物の顔をしていた。
「倉科先生は双子で、今の方が妹君の温子殿でござるよ」
双子、と聞いて漸く合点がいく。それほどまで容姿は瓜二つだったのだ。
「喋り方が全然違うくない?」
流星の指摘も尤もだが、本来、古風な口調の担任がおかしいのである。慣れ親しむとは恐ろしいもので、倉科涼子の顔で標準語が出ると違和感を覚えるようになっているらしい。
暫し玄関先で取り残されていた遊真達だったが、再び玄関が押し開かれて倉科涼子が再登場を果すが、
「おお、良く来た、……と、お主達なんとも個性的な格好をしておるな。……まあ良いじゃろう、遠慮せずに上がるが良い」
出会い頭に面食らっているのはさておき、先程の親しみ易そうな彼女とは違い、いつもの近寄り難い担任でどこか遊真を安心させた。
そのまま挨拶もそこそこにリビングまで通されるが、初めて訪れる他人の家にどうも落ち着かない。いや、落ち着かないのは初めてだからだけではないのだろう。
そこは如何にも大人の女性らしい、シックなインテリアで固められた空間だった。
「もうすぐ準備が整うじゃろう。儂ら姉妹だけで暮らす住まい故、そう広くはないがその辺で適当に寛いでおるがいい」
そう、担任の言葉の通り、女性である倉科涼子と双子の妹以外の存在を示すような痕跡は何一つ目に付かなかったのだ。敷かれた絨毯には二人用にしては少々大振りのテーブルが鎮座しているが、脇に置かれているソファは個人用の小さなモノが二つしかなく、目に付くモノは小物に至るまで担任世代に似合いそうなものばかり。そこに彼女達以外の家族が同居している気配が感じられなかった。
どうやら倉科姉妹は、二人でこのアパートをシェアしているらしい。
流石に目のやり場に困るようなモノは見当たらなかったが、それでも居所のなさは半端ではない。偶々目の合った歳蔵が無理やり笑い顔を作っていたが、恐らく遊真と似たり寄ったりの心境なのだろう。
「そういえば、お主ら井中は一緒ではなかったのか?」
そんな折、姉妹でキッチンに入っていた倉科涼子から、声だけが誰となく投げ掛けられる。流星と歳蔵の視線は当然連絡を受けた遊真に向けられるが、遊真としても言い出す切欠がが欲しかっただけに渡りに船だった。
「実は……」
と切り出すのだが、井中の不参加を知った後の担任は「そうか」と、残念そうに声のトーンを落としていた。
「少々お灸が過ぎたようじゃな」
直接絞られていた場面を見ていないので、少々過ぎたお灸がどれ程なのかは知る由もない。しかし、今回は間違いなく井中の過失であり、仕出かした内容と結果だけ見れば、怒られた、の一言で済ませられたのは寧ろ幸運と呼べるのではなかろうか。
教師たる倉科涼子が、そこまで気に留める必要はなく思える。
「さて、それをお主らに漏らしていても仕方あるまい。少し場所を空けてくれぬか」
気を取り直した倉科涼子がキッチンから姿を現すと、両手にホットプレートを抱えていた。
遊真が脇に身を寄せると、
「今日は焼肉じゃ」
テーブルの中央にホットプレートを据え置き、素早くセッテングを完了させていく。
勝手にテレビをつけチャンネルを変えていた流星はそれを聞きつけると、遊真の隣に座っていた歳蔵を有無も言わさず押し退けて、ホットプレートから距離が最も近い場所に陣取った。
「あんた、身体デカいんだから誕生日席からでも手、届くでしょ」
追い遣られた形の歳蔵は「何故?」と目を白黒させていたが、流星の言い分に多少でも納得する部分が見られたのか、苦笑を漏らしながら渋々従うことになる。
その間、天宮はと言えばずっとリビングの天井を眺めていたのだが、何が楽しいのか遊真の感性では今一理解出来なかった。




