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第1話 舞踏会

 みなさま、ごきげんよう。わたくし、ビアンカ・コンラッドと申します。

 父は第八代コンラッド男爵ジョン・トーマス・コンラッド、母はランセル市長を務めたジョージ・ウォートン卿の娘ヴァレリアでございます。


 え? お前の親のことなんてどうでもいい?

 そうよね、わかっているわよ。でもね、私だって好き好んでこんな七面倒臭いことをしゃべり始めたわけじゃないの。あなただってご存じでしょ? ここでは、あなたみたいに初めてお会いする方には、こうしていちいち自分の親がどこの誰でどういう身分なのか、自己紹介の際に必ずきっちり説明しなきゃならない決まりなの。

 まぁ、あなたがそう言ってくれるなら兄弟のことは割愛しちゃうわね。


 えぇと、あらためてはじめまして、こんにちは。

 私、ビアンカ・コンラッドっていうの。よろしくね。

 これでも一応、宮廷女官なんてやってるのよ。


 え? どこの宮廷?

 そりゃあ皇帝陛下のいらっしゃるホワイト宮殿の宮廷に決まっているじゃないの。やっぱり女官勤めをするならホワイト宮殿よね。ここで女官や侍女を勤め上げたとなれば、婚姻のときに箔がつくもの。私みたいな未婚の下級貴族の娘が行儀見習いとして出仕するには、これ以上好ましく望ましい場所はないわ。


 だって、ここは帝国で最も高い地位と身分を持つ人間の巣窟。

 絶大な権力と莫大な富を、手の中の紙きれのように意のままに操れる人々が集まる場所。誰だって当然、その恩恵にあやかりたいって思うでしょ?


 ちなみに、恩恵――ここに出仕する女が目指す最終目標――とは、地位と権力と富を持った貴公子と結婚することを指す。

 宮廷女官のほとんどは、ごく一部の恵まれた者を除いて、みずから結婚相手を探しに宮廷に出仕していると言っても過言じゃない。実家が満足な持参金を用意してやれなかったり、親にとって不都合な恋人から引き離されたり、一族と自分の野心を背負って乗り込んできていたりと、事情は様々。

 彼女たちの中には、皇帝陛下や上流貴族、有力な廷臣といった権力者の愛人に納まっちゃう強者もいる。


 そんな中、私は幸運にも婚約者がいる。

 つまり、血眼になって結婚相手を探す必要はないというわけだ。


「あぁ、あのお方は今日も美しいな」

 私の真横に立つすらりと背の高い若い男が、少し遠くを見つめながらつぶやいた。


 やわらかそうな金褐色の髪はくるんと跳ね、太陽の下で過ごしている者特有の金色の筋がきらきらと輝いていた。近衛騎士らしく上背があり、手足が長く非常に均整がとれた恵まれた体躯だ。どんな女もうっとりさせる長い睫毛に縁取られた明るい若草色の瞳は、つねに少年のように悪戯っぽくきらめいている。一挙手一投足はあくまで礼儀正しいのに、眼差しは見る者を油断させる不思議な甘さを帯びている。


 そう、彼がそのひと。

 クリストファー・ケアリー ――ここホワイト宮殿では、ほとんどの人が彼をケアリー子爵と呼ぶ――は私の幼馴染みで、一応、婚約者。


「あの白いうなじ…… まるで白鳥のようだ」

 うっとりと彼が見つめる先には、白鳥の化身のような絶世の美女。

 目の覚めるような鮮やかな青いドレスは、淡い金色の髪を結い上げあらわになった彼女の白い首筋の芸術的な曲線を際立たせている。彼女の華奢な首に、周囲のご婦人方のような豪勢な首飾りはない。彼女のしなやかな鎖骨こそが、今宵、最上級の首飾りだ。


 私はこっそり溜め息をついた。

 これでも一応、この日の舞踏会のためにドレスを新調したのよ。かなり奮発して、きれいな若草色のシルクであつらえたの。今流行りの小さなシャンデリアのように揺れる淡水真珠の耳飾りとおそろいの首飾りも、仲のいい女官たちから「とっても小粋ね!」って好評だったのよ。


 私の婚約者はそんなことには気付きもしない。そして、それはいつも通りのことだから、私も今さら嘆いたりはしない。

 でもね、婚約者の目の前でこれほどおおっぴらに他の女性に見惚れる殿方なんて、そうそういないと思うのよ。果たしてこれは幼馴染みゆえの気安さなのか、それとも私が自分の婚約者だということをきれいさっぱり忘れているのか、考えることすらすでに飽き飽きよ。


 私の婚約者は現在、皇太子殿下の麗しき愛人に夢中だ。

 もっとも、彼女に夢中なのは彼に限ったことじゃない。皇太子殿下をはじめ、この宮廷の貴公子たちのほとんどが、彼女の優美で官能的な美貌と独特の魅力にすっかり参ってしまっている。あの宝石のように美しい真っ青な瞳でじっと見つめられようものなら、女の私だってドキドキして落ち着かない気持ちになっちゃうもの。殿方なら一発よ。湖の魔女に魅了されて溺れる舟乗りみたいにね。


「一言でもいい。あのお方にご挨拶だけでもできたら……」

 私の真横で、クリスは性懲りもなく未練がましいことをつぶやいた。皇太子殿下とともに離れていく彼女を切なそうに見つめながら、遊び道具を取られた子供のように、すっかりふくれっ面になっている。

「公妃様がお声をかけてくださるのを待つしかございませんわね」

 にやりとたわむ口元を隠さず、私はクリスにこっそりささやいた。

「そんなことは百も承知さ」

 すると、クリスは拗ねたように眉をひそめた。


 相手は皇太子殿下の愛人。おいそれと声をかけていい相手じゃない。

 彼が彼女に会える、というか、遠目に姿を見られるのは、せいぜい今日みたいなホワイト宮殿での舞踏会くらいだ。でも、こうした公的な場所では、なにはともあれ身分と体面を最優先しなきゃいけない。(おおやけ)によほど親しい間柄か火急を要する用件でもない限り、自分より身分が高いかたへ声をかけるのは礼儀知らずの大馬鹿者と自己紹介するようなものだ。

 これ、宮廷の絶対ルールのひとつね。


 ちなみに、“公妃”っていうのは皇帝陛下や皇太子殿下の愛人に与えられる称号。国から正式に認められた身分で、引退後――寵愛を受けていた陛下や殿下から「お役御免」を言い渡されたり、彼らが崩御された後ってことね――は大層な額の年金まで支給されるのよ。爵位としては公爵夫人に相当するの。だから、いかにダンレイン伯爵家の跡取り息子とはいえ、クリスから公妃に声をかけることははばかられる。


「わたくしは毎日あの方と挨拶やおしゃべりを交わして、一緒に家庭教師の授業も受けておりますのよ。うらやましいでしょう」

「あぁ、まったくだよ。できるものなら入れ替わりたいぐらいだ」

 私の嫌味にクリスは真顔で本音を返してきた。もう溜め息すら出ない。


 そうなのよ。私は皇太子殿下の愛人、ベルフォレスト公妃の侍女。

 あろうことか、よりにもよって自分の婚約者が横恋慕する絶世の美女に仕えている不憫な身の上なの。


 貴族とはいえ末席中の末席、片田舎のちっぽけな男爵家の娘だもの。皇后陛下や皇女殿下の侍女になれるほど自惚れてはいなかったし、高慢チキと悪名高い皇帝陛下の愛人たちの侍女になるよりはマシよね。だからって、なんで自分の婚約者から嫉妬じみた羨望を向けられなきゃならないのよ。


 というか、むしろ私がこの男に嫉妬を向けなきゃいけないんじゃないの? 私以外の女性に目移りするなんてひどいわ! って。

 殿方は女の嫉妬に恐れをなすというけれど、やきもち程度なら愛されている満足感と女への愛しさを覚えるって誰か言っていたような…… 私もクリスに対してそういう手練手管を使って、もっと情熱的な関係を築くべきなのかしら?


 でもねぇ、クリスと私はすでに婚約しちゃっているし、それは周知の事実。そもそもハイハイしていた頃から顔見知りの幼馴染みだし、今さら恋の駆け引きをしようとしたって、どだい無理だと思うのよね。


「ビー」

 ひどく近い距離から、かすれた声がした。


 私の散漫な思索が途切れた。溜め息が漏れそうになった。身体の真ん中を甘い痺れが走った。ぞくりとした。手のひらで私の背中を上下に撫でさすりながら、クリスが私の耳元で囁いた。


「ケアリー子爵、このような場所ではその呼び方はお控えくださいませ」

 クリスにしなだれかかりそうになるのを懸命にこらえて、私は言った。


 あぁ、もう!

 舞踏会の場で幼い頃からの愛称で私を呼ぶなんて!

 おまけに手! その手の動き、礼儀正しさに少々欠けるのではなくて?

 もし誰かに見とがめられたら、はしたないと(そし)りを受けるのは私なのに!


 クリスって、宮廷ではいかにも気さくで親切で温厚篤実な貴公子を気取っているけれど、所詮は苦労知らずの伯爵家のお坊っちゃまよ。彼の「誰も僕に文句なんて言ってこない。だから何をしたってへっちゃらさ」と言わんばかりの傍若無人な振る舞い、どうにかできないものかしら。


「婚約者どの、僕は今夜、ケアリー子爵として宮殿の客室に泊まることになっているんだ。僕の部屋はわかるね?」


 もちろん知っている。

 象牙色の柱とスミレ色の壁が素晴らしい、バルコニーから美しい朝日が差し込むクリスと私のお気に入りの部屋だ。


 でも、なぜか素直に「はい」と答えるのが癪だった。

 私は聞こえない振りをして愛想のない猫のように前を向いたまま、優雅に踊る人々を見やった。


「待ってる」

 クリスの声は悪戯の共犯者と落ち合う約束でもするように楽しげだ。

 それはきっと、私が必ず彼の部屋を訪れるとを知ってるからに違いない。

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