クリスマス前の平穏と不穏 4
「よかったですね。無事、明後日には退院できるそうで」
浦沼から電車で一時間弱、人口三十万人ほどの地方都市では、三人の女の子が町を歩いていた。二人は高校生ほどでもう一人は小学生から中学生くらいだ。
「………どうかしましたか?」
セミロングの髪に優しげな顔立ちをしている女の子は、吊り目のショートカットの女の子に心配そうに声をかけた。
ハッとして、彼女は我に返った。
「…ああ、私って今、幸せだな……ってね」
ニコリと微笑みながら、雨野光里は有島恵子に返事をする。彼女の左手を握っている女の子、北原風華に「ありがとう」と言った。
雨野光里の弟である雨野護は、何者かにかけられた呪いと自身の契約異能の効果が不運なことに相乗効果を起こし、長い間眠り続けていた。その後、雨野家は両親が不和となり、彼女一人だけが家で暮らし、両親は別居しているという事態になってしまった。
彼女は呪いを解こうと奔走し、紆余曲折の後、偶然ではあったが風華と出会い、契約。発現した契約異能の解呪・癒しの風を操り、無事に護の呪いを解くことができた。
そして、今はその病院の帰り道である。霧矢と霜華は店があるからと先に帰ってしまい、三人で電車が出るまでの時間、駅ビルの中をうろついていた。
「やっぱり、クリスマス前だけあって、人も多いですね」
駅ビルの中は、クリスマスソングが流れ、テナントもクリスマスツリーやモールで覆い尽くされていた。コートに身を包んだ家族連れが楽しそうに服や贈答品を選んでいる。
「今年は、去年のクリスマスがアレだった分、少しは楽しめそうかな」
「護君が退院しますね。ただ………」
有島は言葉を濁す。雨野は気にもせず言葉を引き取った。
「親がすぐに戻ってくる可能性は低いかな。ただ、二人だけでも楽しいと思うけど」
笑みを浮かべながら息を吐いた。有島も微笑む。
その時、雨野のポケットが振動した。携帯を取り出すと、画面には役立たずの方の副会長の番号が表示されている。
「はい、私よ。何か用?」
「西村から聞いたぜ。やっと問題が解決したんだってな」
「雲沢。あんたそんなことを言うためだけに、私にかけてきたってわけ?」
電話の相手は雲沢誠也といい、県立浦沼高校の副会長である。が、役員としての器量は、下級生である霧矢や西村と比べてはるかに劣る。ただし、肉体の再生力だけは半端でなく、ターミネーターのごとく雨野の攻撃を受けてもすぐに回復し、生徒会室から追い出されても確実に戻ってくるのである。
「まあ、そう言うなって。それならばそれはそれでおめでたいことじゃねえか」
「あんたに祝われたくはないわよ。幸せが逃げていきそう」
「く~。言ってくれるじゃねえか。その毒舌に乾杯」
「今度こそあの世に送られたい? あんたの知能はサル以下だけど、野生動物だったら人間以上に危機回避本能があるはずだけど?」
電話越しにソフトな暴言を吐いている雨野を通行人は避けている。脇に立っている有島は居心地が悪そうに苦笑いを浮かべていた。
「風華ちゃんはおなかとか空いてないですか?」
話している雨野を横目で見ながら、有島は問いを発した。
おずおずと、うん、とうなずくと、有島はにこりと笑いで返した。風華も有島には同じハーフ同士で何となく気も通じているのだろう。
「とにかく! これ以上いちいち電話をかけてくるんじゃない! メールでいいから!」
息を巻くと、雨野は電話を切った。イライラした表情でため息をつく。
「雲沢君ですか?」
食卓にあれほど出さないでと言ったものが出てきた時のような顔で雨野は首を縦に振った。
「それよりも、風華ちゃん、おなかが空いてるようです。どこかに入りませんか?」
賛成、と短く答えると、雨野は風華の手を引き、喫茶スペースのあるパン屋に入った。
パンと飲み物を買い、三人は席に座った。
「ところで、私はよくわからないのですが、護君はいったい誰と契約したんですか?」
カプチーノに口をつけながら有島は質問する。
有島と風華は水を差すのも悪いと思って、雨野が帰ると言い出すまで護の病室には入らなかった。二人とも最後に一度だけ雨野に紹介される形であいさつしたが、それ以外は護とまるで話していない。
「えっと、闇の魔族でユリア・アイゼンベルグとか言ってた」
「闇のユリア・アイゼンベルグ……どこかで聞いたことある名前のような気がする……」
風華が思い出すような顔つきで声を出した。戦いのときはともかく普段は、どこか子供っぽい一面のある霜華とは違って、風華は何となく思慮深いイメージを醸し出している。
「聞いたことあるの?」
「でも、どんな人か思い出せない。どこかでうわさを聞いた気がするんだけど……」
コッペパンをちぎって口に入れる。頭を振ると、
「これ以上は考えても多分思い出せない。それよりも、何でその人は契約主を放って、行方をくらましてるのかわからない」
残念そうな口調で風華はかつて姉が抱いた疑問と同様の問いを発する。
「私もそう思います。基本、契約魔族は契約主と近い関係にある方が都合がいいはずです。それなのに、どうしてずっと離れているのか……」
「でも、契約が自然消滅してないってことは、お互いに信頼はあるわけでしょ?」
ミルクティーをすすりながら、雨野は首を傾げる。
「ええ。お互いの信頼は続き、しかも、まだ彼女はこちらの世界にいる。まあ、いろいろ聞いた話では、向こうに戻るのは相当危険なことでしょうが……」
風華は残念そうにうなずく。今向こうは虐殺が現在進行形で繰り広げられている。
「護の契約魔族は、何のためにこっちに来たのかよくわからない。向こうが大荒れになったのは護が倒れてしばらくした後のころだから、私たちみたいに戦いから逃げてきたわけじゃないと思う。でもそれだったらわざわざ魔力切れを起こす危険と隣り合わせなのに、何でこっちの世界に来たのか、と私は変だなって思う」
氷の入ったオレンジジュースをストローでかき回しながら風華は続ける。
「多分、今私が思ったことは何かの核心につながっていると思う。でも、嫌な予感もする」
「嫌な……予感…ですか?」
不安そうな表情で有島は風華の顔を覗き込んだ。
「何となくだけど、またそれで誰かが亡くなったりしそうな気がする……」
初めは冗談だと思ったが、雨野も有島も風華の声から本気でそう思っているのだとわかった。昨日まで修羅に身を置いていた子だ。流血の予兆については敏感で当然かもしれない。
「まあ、契約魔族がどうであれ、呪いが解けたのならそれでもういいと思いますよ。別に契約を意図的に解除しなければダメージを負うこともありませんし」
「……ユリア・アイゼンベルグねえ、どこの誰なのか……」
フレンチトーストにナイフを入れている雨野はひねり出すような声を出した。
いずれにしても、まだまだよくわからないことは多かった。




