最高の契約主 4
「塩沢!」
「……間に合ってなかったようだな……護は……」
霧矢のコートを羽織って壁にもたれかかっている護と、脇の血だまりを交互に見ながら、塩沢は銃をホルダーに戻し、剣を投げ捨てた。低い声で、
「死んだか?」
「二人とも生きてる。勝手に殺すな」
霧矢が苛立ちながら答えた。塩沢は息を吐くと、気を失っているトマスへ視線を移した。鼻が折られ、顔面血だらけになった男を無表情で見るとそのまま霧矢の方へ向き直った。
「ひとまずは、よくやったと言っておこう。しかし、まだ瘴気の正体はつかめていない。何かわかったか?」
護を気遣いながら塩沢は問いかける。霧矢は無言でガラスケースの中を指さした。塩沢はケースに近づくと、中にある人影を見て、目を閉じた。
「………これが、ユリア・アイゼンベルグか」
霜華はうなずく。塩沢はしばらく黙っていた。目を開くとトマスにとどめを刺そうとしたが、ホルダーに触れたところで止まった。
「殺さない……だったな」
「……僕たちは手を下さない。それを前提でここに来たんだからな。それよりも塩沢、お前に頼みたいことがある」
霧矢の言葉を聞くと、塩沢は眉をひそめて霧矢の方を向いた。
「…こいつを止めてほしい。僕たちじゃわからない」
辞書ほどもある厚さのマニュアルを霧矢は投げ渡す。塩沢は器用にキャッチするとページをめくった。
「……医学専門用語のオンパレードだな。君たちには難しいだろう」
塩沢はものすごいスピードでページをめくっていく。
「あんたは殺し屋だもんな。人を生かす方なんてわかるわけないか」
霧矢は難しい顔で読み込んでいる塩沢を見て肩を落とした。塩沢は顔を上げると、そのままマニュアルを脇に放り捨てた。
「どけ、止める。簡単なことだ」
霧矢を押しのけると、塩沢は機械を操作していく。そして、最後のボタンを押すと、装置が停止し、機械の作動音が消えた。
ガチャというロックの外れる音が聞こえ、霧矢はユリアのガラスケースを開けた。霜華も駆け寄ってくる。
霧矢はユリアの脈をとる。きちんと腕は波打っている。少なくとも生きてはいるようだ。
「…で、これからどうする? 連れて帰るにしても、護君と彼女をどうやって運ぶんだ」
塩沢はコートを脱いでユリアに着せ、彼女をカプセルの外に出し、床の上に横たえた。霧矢は腕組みする。
「………ユリアは僕が運ぶ。塩沢、護を運んでくれるか?」
「構わないが、外は敵だらけだぞ。そんな手負いの人間を運ぶ余裕はないと思うが……」
塩沢の発した言葉に、霧矢は表情を変える。霧矢が入ってきたときは、一体の魔生体こそいたものの、敵らしい敵はいなかった。
「きっと、私たちが暴れたのに気付いて駆けつけてきたんだよ」
塩沢はうなずく。霧矢は顔に汗を浮かべた。恐る恐る塩沢に敵の数を尋ねる。
「大半は俺が倒したが、魔生体が二十、銃を持った人間が十人ほど。まだ戦えるはずだ」
こちらと敵の人数差は大きい。しかも、こちらは動けない二人を運ばなければならない。その間は戦うなど無理だ。
「魔生体は問題ない。あれは単なる機械のようなものだから、いくら潰そうと君たちでも問題ないだろう。まず、俺が先に行って全部倒してくる。しかし……」
あくまで殺さないというのを貫くのであれば、銃を持った人間十人は大きな脅威だ。あちらはこちらを殺す気は十分にあり、容赦なく撃ってくるだろう。
「俺は、もう余裕はないぞ。銃弾も残り少ないからな」
塩沢は、霧矢たちのために、ここに駆けつけてくるときも、誰一人として殺さず、生かしたまま動けなくしたと言ったが、手加減する方が余計に面倒で危険だともつぶやいた。
「相手を殺すなら、脳天を一発で撃ち抜けばいいが、殺さずに動きを封じるとなるといろいろ命の別状のないところに数発撃ち込まなければならない。弾を無駄に多く使う。飛び道具を持たない魔生体なら剣で戦うこともできるが、複数の銃を持った敵を剣だけで倒すのは無理だ」
塩沢はポケットから予備の弾倉を一本取り出すと「残りはこれだけだ」と言った。つまり、今、塩沢が使えるのは拳銃に装填されたものも含めて残り二十四発。
「塩沢、お前、契約主じゃないから、力砲を使えるんじゃないのか?」
「確かに、俺は契約主じゃない。だが、聞いた話ではそいつの威力は、使用者の放出する魔力に比例すると言ったな。俺じゃあまり威力は出ないはずだ」
霧矢に差し出された力砲を受け取ると、もう用済みになった機械のカプセルのガラスに向けて塩沢は引き金を引く。
そのまま、ガラスにひびが入った。塩沢はそれを見て首を横に振る。
「これじゃ、敵に小石をぶつけるのと大差ない。君が使ってこそ意味がある」
霧矢は同じようにガラスに向かって発砲すると、ガラスは粉々に砕け、四方八方に飛び散った。勢いのついた破片は壁や床に突き刺さった。
「……じゃあ、お前は、殺すのか? 敵を」
「それ以外にどんな方法がある。さっきは余裕があったから殺さずに入ってこれたが、今は手加減するほどの余裕なんてない。下手をすれば、君も護君も全員殺されるかもしれない」
塩沢は床に転がっている剣を拾い上げた。
「君に誰かを殺せというつもりはない。そういうのは俺の仕事だ。とりあえず、君たちの仕事はこの機械類を破壊することだ」
塩沢は霧矢に背中を向け、霜華の方に向き直る。
「五分経っても戻らなかったら、その時は、絶対零度―アブソリュート・ゼロ―、君が何とかするんだ。みんなを守るために敵全員を殺せ。魔力が足りないなら霧矢君と契約しろ。もう瘴気はない。契約しても問題ない上に、彼の魔力なら相当強い術も使えるようになるはず」
霜華は固まる。塩沢は霜華がアブソリュート・ゼロだと知っていた。
数えきれないほどの敵を殺し、そして、殺戮に嫌気がさしてすべてを放り出して、こちらの世界に逃げ込んできた氷の女。絶対零度の霜の華。
絶対零度、北原霜華の奪ってきた命の数は、葬儀屋、塩沢雅史ごときがかなうものではない。
「……どうして、知っているの……」
「リリアン・ポーンとエドワード・リースから報告は受けている。アブソリュート・ゼロがこちらの世界に来ていると」
塩沢は目を閉じる。霜華は何も言えずに立ち尽くしていた。
「君の気持ちはわかる。もう誰も殺したくないというのは。そのために、こちらの世界にはるばる来たんだからな。しかし、殺されてしまったら何の意味がある」
塩沢は霧矢を一瞥するとそのまま歩き出した。
「できるだけ、君たちに配慮してなるべく敵を殺さないようにはするが、期待はするな」
指を五本出すとそのまま姿を消した。五分間で、何人が死ぬのだろう。
霧矢は霜華を見る。