最高の契約主 3
早く何とかしてほしい、それが雨野光里の思っていることのすべてだった。
体力は弱り、視界は霞んでいる。テーブルの対面に座っている文香の顔もぼやけはじめた。もはや、文香はみんなのことは自分が心配したところでどうにもならないと開き直っているらしく、無表情でお茶を飲んでいる。湯気が眼鏡を白く曇らせていた。
(……こいつを使わなきゃいけないとか……物騒な世の中になったものだわ)
塩沢から渡された小型の拳銃を机の上に置いたまま、雨野は焦点の合わない目で自分の掌を眺めていた。
霧矢が破壊したワゴン車の残骸はすでにレッカー車によって撤去されており、状況把握もすべて終わったのか、警察も引きあげていた。もう真っ暗になった外は人の気配はまるでない。
(……護……大丈夫なのかしらね……)
退院おめでとうパーティの主役はどこかへ姿をくらましており、今年の聖夜は散々な展開となっている。去年よりはましかもしれないが、それでもこんなトラブルに巻き込まれたのはとんだ不運という他はない。
(…三条、あんた、早く何とかしなさいよ……みんなが苦しんでるんだから)
力なく、テーブルを拳で叩く。文香がそれを見て顔を上げた。
「どうしました。本格的に体調が悪いなら、寝た方がいいはず」
敬語づかいが苦手な文香は固い口調で雨野に忠告する。敬意がないわけではなく、単に口調が人より変わっているだけなのだが、雨野は苦笑いする。
「あんたも、わかってるでしょ。私がどういう人間なのか」
「まあ、わかっています」
素っ気なく答えると、彼女は眼鏡を外し、ハンカチで汚れを拭い始める。素顔はそれなりに美形に入ると雨野は思った。自分よりは上だと。
眼鏡をかけ直し、文香はテーブルを立つ。そのまま店の窓のカーテンを閉めた。
「会長。私は、あなたとは違って幸せな人間です。あなたの不幸は悲惨なものでした。それは有島先輩から聞きました。しかし、あなたがそれによって何を思い、何を感じたのかは、私にはわからない。いや、あなた以外の誰にもわかりません」
雨野の方を向かずに、文香はただカーテンと向かい合っていた。雨野は揺らぐ景色の中、数週間前に知り合ったばかりの短髪の後輩を見ていた。
「同じく護とて、この失われた年月を目の当たりにし、何を思い、何を感じたのかは彼にしかわからないはず。だから、私たちは彼を信じて待つ。それしかない」
目を閉じて文香は一呼吸置いた。目を開けると続ける。
「もし、その結末が悲劇だったとしても、受け入れましょう。その後でどうするか、決めましょう。私みたいな幸せな人間が言っても説得力はないかもしれないが」
不幸に耐えることはできる。雨野は不本意ではあるがその力を培ってきた。しかし、幸福の後の不幸は一段と残念だ。護が目覚めたという幸福の後の親の電話の不幸はひどいものだった。そして、もし、護の身に何かあれば、最悪の不幸だろう。
万が一、結末が不幸だったとして、その後で何を決めるべきか。リリアンとまったく同じ道を辿るのか。弟を殺した存在に復讐を誓い、その執念だけで生きるというのか。
(……そんな未来は嫌だ)
いくら半分裏の世界に足を突っ込みかけているとはいえ、まだ表で過ごしたい。拳銃とともに生きるにはまだ早い。
「護は無事。無事に決まってる。三条も、霜華ちゃんも」
一人で自分に言い聞かせている雨野を、文香は複雑な視線で見ていた。
(……三条、貴様は、期待に応えられるか?)
*
予定よりも銃弾を使いすぎたため拳銃をしまい、ホールに飾られた幅広の両刃剣をつかんだ。洋風の両手剣だが、装飾用なため対人殺傷力は低い。しかし、それでこそ使い甲斐がある。
「かかってこい。俺はここにいるぞ!」
塩沢は自分を取り囲んでいる魔生体を前に啖呵を切り、地下室の入り口に立つ魔生体を操っている男をにらみつけた。何としてでも地下へは通すまいとする魔生体は、塩沢に向かって走ってくる。
剣を豪快に振り回し、人型をした魔生体を一刀両断にする。本来は鉄の塊に過ぎない装飾剣にもかかわらず、本物の剣のようにざっくりと突き抜ける。
「剣の扱いは不慣れだが、斬られたくなければそこをどけ」
塩沢は本来両手で使うべき剣を片手で掲げると、地下室への入り口に向かって走り出す。道を塞ぐさまざまな形の魔生体を次々と斬り伏せると、入口の前に立ち、魔生体を操っているに魔族に剣を突きつけた。術を使って塩沢と遠くから攻撃すればいいものの、動かずに立ち尽くしている。体が震えていて動けないのだ。塩沢は銃を持つ手を蹴り上げると、ひじで顔面を打つ。そのまま倒れた敵を踏みつけ、地下室への階段を下りていった。
どうやら、どういう仕組みかはわからないが、魔生体は地下には入ってこられないらしく、塩沢を追ってくる気配はない。人間の戦闘員は全員生かしたまま戦闘不能に追い込んだため、今の塩沢はまさに大暴れし放題だった。
(…さてと、また、随分と地下は……)
階段を下りきると、塩沢は息を吐く。ホーンテッド・マンションの上とは違って、高度な実験施設そのものだった。
重い剣を左手で、右手で拳銃を握る。残り少ない弾倉を交換し人気のない廊下を走り出した。足音だけが響く中、塩沢は廊下の突きあたりの戸が破壊されているのを見た。拳銃を構えると、一気に中の人間に銃を突きつけた。
そこには。




