愛された少年と救われぬ少女 1
「お待たせしました」
お盆の上には、常識はずれのサイズのクリスマスケーキがあった。自動車のタイヤくらいもある大きさのそれは、明らかに三人で食べるものではない。
こんなものを食べたら確実に太る。しかし、食べないのももったいない。
霜華は、食べるべきか食べないべきかと思索を巡らしていた。
「それにしても、よく食べるなあ……」
風華は感心した表情でせっせとケーキを切り分けているセイスを眺めていた。しかし、次の瞬間、風華の視線は違う場所にあった。
「いらっしゃいませ……ってこの前の……」
「どうも、北原姉妹がここにいると聞いたのですが……」
聞き覚えのある声が聞こえ、霜華は店の入り口の方に視線を向けた。塩沢雅史と、雨野姉弟がそこにいた。
「スキー場にいないと思ったら、やっぱりここにいたか。三人ともそろっているようだな。ちょうどいい」
塩沢は三人に近寄ってくるが、テーブルの上にあるケーキを見て、げんなりした表情になる。霜華はお察しください、という無言のメッセージを送っていた。
雨野の脇にいる男の子に気付き、霜華はあいさつする。風華は雨野に駆け寄って抱き付いた。
「はじめまして……かな。雨野護君。私は北原霜華。風華の姉で、会長さんにはお世話になってます。属性は水でハーフ。よろしく」
こちらこそ、と護は頭を下げる。全員が礼儀正しさに、は~となる。
「さて、本題だが、セイス・ヒューストン、君には昨日聞き忘れていたことがあった。質問に答えてもらう」
塩沢が巨大なケーキ越しにセイスをにらみつける。しかし、セイスは鼻歌を歌いながら、ケーキを切り続けている。塩沢を完全に無視するつもりだ。
「……答えてくれたら、好きなものを何でも食わせてやるつもりだったのだが……」
「何でも聞いてくれていいよ、特上寿司の出前よろしく」
携帯している出前のチラシを塩沢に投げ渡してきた。塩沢も何となく、この少女の扱い方を心得てきたようだ。霜華は苦笑いしながら、二人のやり取りを眺めていた。
「さて、では、最初の質問だ。ユリア・アイゼンベルグという闇の魔族を知っているか? 教団に囚われているという話だったが……」
「へえ、あんたユリアを知ってるんだ」
フォークを口に運びながら、声のトーンを変えることなく答えた。護がピクリと動く。
「そういう、お前も知ってるんだな?」
塩沢の問いに、首を縦に振ると、フォークを細かく切ったケーキに突き刺す。そのまま口に運んで、紅茶とともに飲み下すと話し始めた。
「ユリアと初めて会ったのは二年半ほど前、最後に見たのは去年の一月ころだったね。その少し前に教団から脱走して連れ戻されてきたって話だけど。噂じゃその後、北陸の支部のどこかに移されたって話を聞いたね」
結構感じのいい子だったけど、とセイスは頬張りながら付け加えた。
「ユリアは、その時まで契約主が何をやってるのか知らなかったらしいよ。契約主が契約異能で何をやっているのかを知った途端に、信頼の消滅によって契約は解けて、そのまま教団から逃げだしたって話だけど」
セイスはフォークを振りながら、塩沢を見る。
「でも、結構時間が経ってたけど、生きていたから、どこかでまた別の契約主を見つけたってことなんだろうけど、でも、何で、あんたらユリアのことなんて聞くの?」
塩沢は護を指さす。セイスはケーキから顔を上げると初めて護に気付いたようだ。
「へえ、ユリアの新しい契約主だったんだ。でも今まで教団によく見つからなかったね。それよりも、二年近くも何してたわけ?」
口のまわりについたクリームをナプキンで拭うとセイスは護を見た。雨野が代わりに答える。
「契約異能が暴走して眠り続けてたのよ。この二年間ね」
は~と息を吐くと、セイスは紅茶のカップを傾ける。
「そうそう、私からも一つ聞いていい? 私や風華を狙うのはわかるけど、何で教団は霧君も狙うのか、わからないんだけど」
「霧矢は、魔力が普通の人間とは桁違いだからね。もし、契約したら相当強力な契約異能になるだろうし、契約魔族だってかなりの力を引き出せるだろうから、狙う価値ありって判断したみたいだよ。そもそも、霜華は霧矢と属性も一致してるんだし、契約すればいいのに」
霜華もそれはわかっていた。そもそも、霜華が霧矢の家を居場所に選んだ理由は、霧矢がとても強力な水の魔力の持ち主だったからだ。その魔力は普通の人間の数倍以上、契約すれば、超強力な魔術の行使すら可能になる。
もっとも、霜華は強すぎる力は必要ないので、霧矢とは契約していないのだが。
「あと、何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、私は教団の正式なメンバーじゃないからね。教団に出入りはしてたけど、所属はフリーだから」
全員が驚愕をあらわにする。
「私はあくまで芹島個人の魔族であって、芹島が信者だったけど、私は別にあいつに協力してただけだから、ご飯と引き換えに。だから、教団そのものには所属してないよ。私が直接動くのは、今回が初めてだったけど……まさか、ねえ…芹島がやられるなんて」
巨大ケーキを三分の一ほど平らげると、ティーポットから紅茶をカップに注いでいく。
「じゃあ、お前は芹島に賄いつきで雇われていたようなものだったのか?」
「そういうこと。完全にビジネスパートナーみたいに割り切ってたから。あいつが契約異能で何をしようが私は知ったことじゃない……と。教団やあいつへの忠誠心なんてカケラもありませ~ん」
塩沢は呆れた表情でこのことに関する質問を打ち切った。彼女の言葉が真実なら、昨日の霧矢との問答自体が無意味となってしまう。得にもならないことで霧矢を殺すはずがなく、食事さえ与えておけば、まったく問題ない魔族だったのだ。
(……余計な覚悟をさせてしまったな……バカらしい)
ただし、それでも教団のメンバーが襲撃してくる可能性がなくなったわけではない。
「話は変わるが、この魔族二人はお前のことをどこかで見たことがあるって言っていた。別にどうでもいいんだが、どういうことなのかは聞いておきたい」
「内戦が始まるまでは、こっちとあっち、ちょくちょく往復してたからね、どこかで見かけるくらいのことはあってもおかしくなかったんじゃない? こっそり帰ったときはいきなりあいつが、異能が使えなくなったって、パニックになってたけど」
霜華は、先ほど思っていたことを塩沢に問う。
「教団って、何がしたいの? 魔族の力をどうして欲しがっているの? 世界の仕組みを変えると言っているけれど、どんなふうに?」
塩沢は眉を吊り上げる。言われてみればまだ三条家の人間には詳しく説明してはいなかった。
「連中は増えすぎた人間を淘汰したいらしい……魔族の力を使えばマークされにくいから…」
霜華はいったん塩沢の話を遮った。塩沢の説明を聞く前に、風華の世話を雨野姉弟に任せ、いったん家に戻ってもらうことにした。風華は嫌がったが、雨野の誘いに渋々応じた。
三人が店から出ていくと、塩沢は話し始めた。
「魔族とはいえ、子供に聞かせるような話ではないからな。賢明な判断だ」
塩沢は話し始める。セイスが巨大ケーキを独り占めしている間、霜華は塩沢の話を熱心に聞いていた。
そんな危険な連中がこの世界には存在した。むこうの世界よりはまだましだが、その思想はこの世界をむこうの世界と同じような状況へと導いてしまう。悲鳴と剣戟がこだまするだけの深紅の世界。たとえ、その思想がどのような意志に基づいたものであれ、認めがたい。
「いずれにしても、連中は危険だ。特にカルト教団の信者ってのは、人間じゃない、機械なんだ。教祖や幹部の命令で動き、それによって救われると信じ込んでいるからな」
塩沢はもう冷めきっているコーヒーを口へ運んだ。塩沢の話が終わるころには、セイスの巨大ケーキはほとんどなくなっていた。
「まあ、ユリアは俺たちが助け出す。君らはチンピラの襲撃にだけ注意してくれていれば問題ない。あと数時間でリリアンも長年の恨みに一区切りつく」
「……救世の理の教祖って誰なのか、私は名前だけでも知っておきたいんだけど」
「……名前ははっきりしない。信者からは救世者と呼ばれているが、素性は完全に謎だ。写真もないし、似顔絵もない。情報が少なすぎてこちらも動けない」
塩沢はセイスに視線を向ける。セイスはまばたきすると、
「救世者、私も会ったことはないな。芹島がよく話していたけど、私からしたらどうでもよかったね。あんなの信じ込むなんて、わが契約主ながら呆れてたけど」
軽い口調で答えた。本当にセイスにとって芹島は食糧庫としての価値しかなかったらしい。