師走騒動は終わらない 9
十二月二十四日 月曜日 雪時々曇り
「退院おめでとう。護」
「うん……」
塩沢が運転手を務める形で、雨野姉弟は小林記念病院から出てきた。護の右手には紫色、つまり闇の契約の紋様が刻まれている。姉の額には緑色。姉弟そろって契約主である。
そして、今は、町のファミレスで昼食と洒落こんでいる。
「塩沢さん。送っていただいてありがとうございます」
「どういたしまして。姉と違って君は随分礼儀正しいな」
「何よ。その言い方。私が礼儀知らずみたいじゃない」
塩沢は苦々しい視線で姉の方を見た。いちいち指摘するのもバカらしいと思えた。その様子を弟の方は、困ったような表情で見ていた。
「ところで、先ほども話したように、俺はユリア・アイゼンベルグ、君の契約魔族について調べている。できるだけのことを教えてもらいたい」
護はあまりユリアのことを話したくはないようだった。まだ、中学校に通っていない中学生は口を閉ざしている。しかし、塩沢は続ける。
「今、彼女は教団に捕まっている。助けるためにも、君の知っていることを教えてくれ」
「ユリアが捕まってるって!」
ガタと椅子から立ち上がり、塩沢に顔を近づける。雨野は護をつかみ、椅子に座らせた。興奮したまま、護は塩沢の目を覗き込む。
「救世の理については話したな。連中は魔族と契約主を狙っている。おそらく、ユリアもそれで捕まったのだろう。今どうなっているのかはわからないが、教団の情報が欲しいんだ。協力してくれ」
塩沢が、憂いをたたえた目で護を見る。護は悩んでいたが、口を開いた。
「……ユリアは、悪いやつらから逃げてきて、魔力が切れそうだから契約してくれって言ったんだ。僕は、それで契約した」
小さな声で護はつぶやく。塩沢は目をそらさずに話を聞き続けている。
「…最初は、魔族なんて言い出して、からかってるのかと思った。でも、本当に魔法みたいなことをして……」
「まあ……私も、恵子と出会う前だったら、あんたは頭でも打ったんじゃないかって思ったでしょうね……魔族って言っても…」
雨野も護の意見にうなずく。普通の人間だったら、そんなことを言えるわけもない。
「君は、いつごろ契約したんだ」
「倒れる三日ほど前。家の近くに隠れていたらしくて、よく会って話とかしていた。そして、あの日、ユリアと話している時に、変な奴が襲ってきて、気が付いたら姉さんに起こされてた」
考えてみれば、倒れる前の護は家族に隠れてこそこそと振る舞っていたような気もする。
「その悪いやつというのは、やっぱり救世の理だったのか? わからないのならそれはそれで構わないのだが…」
「うん。ユリアはそいつらから逃げ出してきたらしい。でも……」
塩沢は目を細めた。
「このことは、誰にも言わないでって言ってたんだ」
ノートパソコンを取り出し、報告書をまとめていく。雨野は場に居づらくなったのか、ドリンクバーへ飲み物を取りに席を立った。
(…ユリア・アイゼンベルグ、闇の魔族。年は当時十三歳、教団から脱走中に捕縛。逃走中に雨野護と契約した模様。雨野護はその戦闘に巻き込まれ、被呪。現在まで昏睡状態に陥っていた。現在彼女の消息は教団のどこかにいること以外、目下不明。ただし生存していることは雨野護との契約が消滅していないことから明白。引き続き調査を行う)
メールを相川へ送ると、塩沢はうなだれている護から腕時計へと視線を移した。
(……計画実行まで、残り八時間ほど……まあ、早く見積もって、主力の帰還まであと二十時間ほどか…)
パソコンの画面を閉じ、塩沢は目を閉じた。
「あの……塩沢さん……」
護がおずおずとした口調で塩沢に話しかける。塩沢は目を開ける。
「捕まってるんだったらユリアを助けてあげたいんです。でも…どこにいるのか……」
塩沢は護の表情からあることに気付いた。まだ雨野は戻ってきていない。塩沢は少し表情を崩すと、小さな声で話す。
「君は、ユリアのことが好きなんだな?」
「えっ…あの……その……」
おそらく、年齢的に初恋だったのだろう。そして、一目惚れでも。
「別に、恥ずかしがることはない。ただな、あんまり焦るな。まだまだ、情報が足りない。どこに囚われているのかもはっきりしない。それを調べるまでは、助けることはできない」
塩沢は護の肩を叩く。
「もう少し、俺たちを信じて待っててくれ。乗り込んで救ってやるから。君の手の契約の紋様が消えていないということは、まだユリアは生きてこの世界にいるということを意味している」
塩沢は微笑む。護は顔を赤らめたまま首を縦に振った。
「どうしたの? 護。何か気になることでもあった?」
姉が戻ってきたので、護は首を横に振り、外の景色を眺めていた。塩沢はいつもの無表情に戻っている。
カラフルな液体の入ったコップを置くと、雨野は腰を下ろす。
「……とりあえず、君たちを家まで送ったら、俺は仕事に戻る。もう一度、セイス・ヒューストンに聞いておかなければならないことがあるからな」
コーヒーをブラックのまま飲むと、塩沢は雪の降る鉛色の空を見る。雨野は何も言わずに黙っていた。塩沢は続ける。
「何か、魔族がらみで困ったことがあったら、俺よりも北原姉妹に聞いた方がいいだろう。助けを求めるにしても、俺が出るといろいろ過激なことになりがちだ。復調園調剤薬局の三条霧矢君に頼むといい。あいつは優しすぎる一面があるが、穏やかに解決したいなら、俺はあいつを頼ることを勧める」
目を閉じたまま、カップを傾ける。雨野は霧矢に頼るのはあまり気が進まないようだったが、塩沢のオススメということで何も言わなかった。
「その…三条霧矢さんって、姉さんの後輩なんだよね……」
「そうだ。契約主ではないが、腕はかなり立つし、意志もそれなりに強い。おとといに出会ったばかりだが、どんな面倒事でも解決できる人間だ。困ったとき、君の力になってくれるはず。もちろん、彼は君のことはもう知っている」
護は姉から霧矢のこと多少は聞いている。姉の契約魔族、北原風華の保護者的存在で、頼りなさそうなイメージを持つが、結構役に立つ後輩と言っていた。
会ったことはないが、頼れる兄的存在だろうか、護は多少期待していた。