師走騒動は終わらない 6
「霧矢君。今のは初耳だが、いったい誰なんだ。こんなやつの契約主になってもいいなんて物好きなど俺はいないと思うのだがな」
「僕のクラスメイト。西村龍太といって、暑苦しくて女に目がないやつ。多分ホイホイと契約するはず。属性も一致してるし、あいつなら何されても平気だろう」
塩沢は霧矢を呆れた視線で見る。霜華は、ごまかすように笑っていた。霧矢は霜華を残して、塩沢を部屋の外に連れ出した。
廊下では下の階のレストランから客の喧騒が聞こえてきた。霧矢は塩沢に尋ねる。
「ところで、塩沢。あんたはあいつをどうする気だったんだ?」
「……襲撃に関与していた以上、野放しにすることはできない。かといって、まだ年も若い。殺すのもあまり気が進まないが…」
腕組みしながら塩沢は顔をしかめる。ただの脅しや罵り言葉としてではなく、本気でしかも現実性を伴った「殺す」という言葉を平然と言う塩沢も恐ろしかったが、セイスは自分の命を狙っていたわけで、霧矢としても、そう簡単に助けてしまっていいのかという思いもあった。
死人は出てほしくない。たとえそれが敵であったとしても、霧矢はそう思う。塩沢はその道のプロなので、いくら敵を殺そうと平気なのかもしれないが、霧矢はまだカタギの人間だ。魔族の存在を知り、マジックカードとはいえ異能の力を行使したことがあり、相川探偵事務所という裏世界の組織の存在も知っているが、それでも一般人なのだ。
「…とりあえず、僕や晴代の目の前で、誰かを殺すのは勘弁してくれ。まだ、それを見る覚悟はないからな……」
塩沢はジャケットの上から拳銃のケースを触る。霧矢は一歩下がった。
「……君はまだまだ、この世界からは遠い。彼女とは違って」
「彼女?」
霧矢は内心で霜華のことかと思ったが、文脈的に霜華と考えると違和感がある。他の誰かだ。
「………君は、表の世界と裏の世界の狭間に住んでいるようなものだ。引きずり込まれないように注意した方がいい。修羅に身を落としたくなければな」
彼に何があって裏の世界に足を踏み入れたのか、霧矢は知らない。でも、彼は彼なりに目的があってこの仕事をしていることはわかる。そして、その目的が何なのかも知らないけれど、霧矢は塩沢のことを信頼してもいい気はしていた。
「西村がそのうち来る。あいつと契約だけさせる。その後は好きにしてくれ。僕はできれば面倒事を抱え込みたくないからな」
塩沢は黙りながら考え込んでいたが、苦々しい顔をすると、意を決したように口を開いた。
「……気は進まないが、やはり殺してもいいか? 無論、その場を君らには見せない」
「殺すって……本気か?」
霧矢は冷たい目をした塩沢を見つめる。しかし、塩沢は続けた。
「仮に、その西村君とやらを彼女と契約させれば、彼も契約主となる。そうすれば、教団に狙われることもあるかもしれない。その危険性を考えると殺すのが一番と考える」
「殺すって、そんな残酷なことできるわけないだろ。あんただって、若いから殺したくないって言ってたじゃないか!」
霧矢は塩沢に食ってかかる。しかし、塩沢は霧矢をにらみつける。氷のような冷たい視線に霧矢は固まってしまう。
「……甘いな。とことん甘い。彼女は教団に所属していた魔族だ。何を企んでいるかわかったものじゃない。君だって、彼女に狙われていた身だぞ。そんな相手に対して情けをかけたりするのか? 君は」
「確かに、僕はあいつに命を狙われてたさ。でもな、だからといって、殺すなんてやり過ぎだ。そんなこと黙って見過ごせない!」
霧矢はあの時の霜華を思い出す。誰かが死ぬということに、深い悲しみを浮かべ、泣いていたことを。殺すということに嫌悪を抱いていた彼女の姿を。
「……誰であれ、殺したくないんだ。生きたいやつを生かしてやってくれよ。あんただって、罪なき人を悪人から守るために、戦ってるんだろ……」
「…俺たちは、殺すということをそのための有効な手段と位置付けている。そして、この殺害もその有効な手段の一つだ」
塩沢は拳銃を取り出す。しかし、もう霧矢は恐れなかった。
「なあ、どうしてもあいつを殺さなきゃだめなのか? 生かしておくとだめなのか? そこまであいつは危険な存在なのか?」
沈黙を保ったまま、塩沢は拳銃を再びホルダーにしまう。目を閉じると、塩沢は答えた。
「……どちらにしても、教団関係者は危険な存在だ。あいつが嘘をついている可能性だってある。もしかしたら、回復した途端、君をまた襲うかもしれない。そうなってからでは後の祭りだ。君は自分の命を賭けられるほど、彼女を信頼しているか?」
息を吐くと、塩沢は再び、霧矢を見つめる。今度は氷のような冷たい視線ではなく、純粋に真意を問う視線だった。
「……僕は、人を信じる。あんたとは違う。疑ってばかりじゃ何もできない。だから、たとえ敵であっても、僕は信じる」
「…そのやり方は時に危険だ。この世界は、悪人ばかりということを君は知らない。この世界の半分は嘘でできている。真実を見極める目もなしに、ありのままの様子を信じるというのは、あまりにも危険だ」
「……たとえそうだとしても、僕は信じたい。霜華を信じたように、あいつも信じたい。信じてもいいと考えてる」
たとえ、数百人、数千人を殺し続けた魔族、アブソリュート・ゼロだとしても、三条霧矢は北原霜華のことを一人の女の子として信じた。その結果、いろいろトラブルに巻き込まれたが、後悔はしていない。
セイスから悪人の気配はなかった。そもそも、あんな間の抜けた女の子が人を簡単に殺すことなどできないはずだ。
「なあ、塩沢。あんた、裏の世界に身を置きすぎたせいで、危険でないやつまで危険だと思うようになったんじゃないか? 確かに、あいつは教団の関係者だよ。でも、あいつに危険な香りはしない。生かしておいても大丈夫だ。もしも、僕を襲ってきたとしても、必ず退ける。だから、殺さないでやってくれ」
背は霧矢よりも高い塩沢の裾をつかみながら、霧矢は懇願する。塩沢は無表情のまま廊下に壁にもたれかかっていた。
「………本気なんだな?」
「………ああ。僕も霜華も、誰かに死んでほしくはないんだ。生きたいと思ってるやつが生きられないのは嫌なんだ」
服から手を離すと、霧矢は塩沢と並ぶように廊下に背を預ける。
「……わかった。命は助けてやる。しかし、俺はあいつを監視するだけの余裕はない。そこらのチンピラとは違って魔族である以上、危険も大きい。その上、一致属性の人間と契約させるときた。相当危険だが、もうこれ以上の言葉は無意味だな…」
霧矢の肩をつかむ。
「お前の覚悟を、見せてもらおうか」
「……ああ!」