クリスマス前の平穏と不穏 1
「おじゃましま~す!」
霜華と文香がやってきたのは、喫茶・毘沙門天の裏にある民家だった。
「ああ、霜華ちゃんと文香か。いらっしゃい。上がって」
表札には上川と書かれている。そう、晴代の家である。相当昔から建っている霧矢の家とは違って、わりと新しい木造の家だ。
「霜華ちゃんがあたしの家に来るの初めてだよね?」
霜華はうなずく。キョロキョロと家の中を見回すと、やはり霧矢の家とは違って洋風のつくりだ。居間は、畳にこたつではなく、フローリングにテーブルだ。
「あたしの部屋は二階だから、付いてきて」
「晴代。きちんと片付けてあるのか? この前、私が来たときはひどかったのだが」
うっ! と文香の言葉に晴代は固まる。少し焦ると、晴代は苦し紛れに言葉をひねり出した。
「えっと………十分だけ、リビングで待っててくれない?」
「やはりそうなのだな。予想はしていたが」
眼鏡越しに突き刺すような視線を向けられ、晴代はうろたえる。ドタバタと階段を上っていくと、乱暴にドアが閉まる音が聞こえた。
「やれやれ……」
文香は腕組みをしながらため息をついた。いつものことなのだが呆れてしまうのは変わらなかった。これもいつものことだが。
「晴代って片付けられない人なんだね……」
「まあ、それを否定することはできない。昔は片付けを手伝わせるためだけに呼び出されたこともしょっちゅうだったが。今は、少しはましになった」
リビングの方に文香は歩き出す。霜華も続いた。
「ところで、私は昨日のことはよく知らないのだが、結局、リリアンの件はどうなったのだ?」
リビングのソファーに遠慮もなく腰掛けた文香は、霜華にも座るように勧めながら尋ねた。霧矢も文香に対してはあまり説明していなかったようだ。
「えっとね。何とか追い返したよ。霧君がやり過ぎた感じもしたけど」
「三条はいったい何をしたのだ。やり過ぎるとはいえ、相手は魔族だったのだろう?」
文香はポケットから手帳を取り出した。やはりメモ魔は何でも記録したがるらしい。
「魔族じゃなくて、契約主だったみたいだけど……えっとね、霧君が変な煙玉みたいなものを使ったら…トラウマを呼び覚ましちゃったみたいで、パニックを起こして倒れちゃった……」
リリアン・ポーンというのは、霜華と晴代を狙って襲ってきた女のことだ。昔、カルト教団に殺された家族の復讐をしようと、協力者となる魔族や契約主を探していて、もはや自暴自棄になって霜華たちを襲ってきた。
霧矢・霜華・有島の三人で退けたが、運が悪ければ、霜華は彼女と彼女の契約魔族、エドワード・リースを殺さなければならなかった。
「おそらく、その煙玉は私が作った催涙煙幕だ。三条に万が一の時は使えと預けておいたのだ」
「へえ。文香が作ったんだ。でもあれ爆発しちゃったし、何でできてたの?」
「爆発?」
文香がキョトンとした表情を浮かべた。あくまで催涙ガスと煙幕の両用を目指したものであって、殺傷用の爆弾を作ったわけではない。
「うん。黒い煙がもうもうと立ち込めたかと思ったら、リリアンが炎の剣を使ったら爆発しちゃった。それで霧君は思いっきり吹っ飛ばされたし」
霜華が首を傾げながら文香に尋ねた。文香は手帳の数ページ前をめくって考える。
「……なるほど。大体つかめた」
「何だったの?」
「おそらく、煙幕に入っていた炭素粉と可燃性ガスの混合気体に、火の剣が引火して発生した粉塵爆発だろう。まさか、相手が煙幕の中で火を使うとは……予想外だった」
手帳に書かれた煙幕の設計図を霜華に見せながら説明する。
「へえ、こっちの世界はそうやって武器を作るんだ」
「まあ、基本的に人間は異能を使えない。だから自然科学に頼るしかない。そうやって兵器も生まれてきたわけだが、殺し合いのために科学が発展してきたというのは嫌な話だ」
「殺し合いか……」
霜華は暗い表情を浮かべる。文香は突然の霜華の悲しみの表情に困惑した。
「どうかしたか? まあ、粉塵爆発を除けばこれで人が死ぬことはないが」
霜華は窓から外を見た。穏やかなこちらの世界は殺し合いが日常的に行われることはない。リリアンのように、たまに誰かが殺されたりすることもあるが、基本的には平穏な世界だ。
そして、霧矢は散々人を殺してきた自分でも、こっちの世界に居場所があると言ってくれた。昔、向こうが穏やかだったときにも、こっちの世界にちょくちょく遊びに来ていた。風華へのプレゼントを買ってあげたり、好きなものを買ったりしていた。
もっと早くこっちの世界に来るべきだった。そうすれば、自分が手にかけてきた相手の数は、少しは減っていただろう。
そう考えると後悔が自分を襲う。殺戮は避けることができたのではないかと。
「どうした。気になることでもあったのか?」
文香が心配そうな声で霜華の顔を見る。彼女は霜華が多くの人を手にかけてきたということを知らない。知っているのは霧矢・有島・風華だけだ。
「何でもない。ちょっと疲れてるだけだから」
霜華の言葉に、文香はふむ、とうなずくとそれ以上は深く追及しなかった。
外の通りを見ると、町の外れにあるスキー場へと向かうタクシーや徒歩のスキー客が目立つ。この商店街はもともと温泉街で、山もあるので冬ならばスキー客でそれなりににぎわう。そのかわり、春・夏・秋はまさに田舎町そのものとなる。
ここ、浦沼とはそういう町らしい。山に囲まれ、田んぼが町を占める典型的な田舎町だ。
「今日はスキー日和だが、この日差しの強さだ。雪目になる人が出るかもしれんな」
文香も観光客を眺めながらつぶやく。純白の雪に反射された紫外線に目を焼かれるとかなり痛む。すぐに治るが治るまでが相当痛いと霧矢は前に話していた。霜華は半雪女であるが、スキーの経験はない。むしろ、雪の上でも土の上と同じくらいのスピードで走れるので必要もなかったことが多い。
「晴代ってスキーが大好きなんだよね。この前、スキーウェアでうちに飛び込んできた」
「そうだな。中学校時代はスキーで晴代の右に出る者はいないとも言われたくらいだが…」
文香の話では、ゲレンデでの晴代の性能は異常らしく、空中一回転のモーグルも軽くやってのけるそうだ。
「もはや、晴代はスキー中毒と言ってもいい。週に必ず一回は滑らないと禁断症状を起こす。リフトの駆動音を聞くとうずうずしてくるらしいな」
クスリと笑って文香は冗談を言った。居間の机の上に置いてある定期券のパスケースのようなものをヒョイとつまみ上げた。
「やはりな。市内共通のシーズン券まで買ってある」
魚沢市内スキー場シーズン共通リフト券と書かれたカードの名前欄には上川晴代という署名がある。魚沢市は浦沼町や浦沼よりさらにド田舎なその他の村との合併を繰り返した結果、面積だけはだだっ広く、人口密度だけが極端に小さくなってしまった市である。
「それにしても、浦高の冬課題の量は割と多いのに、スキーなどしている暇はあるのかどうか」
「え……?」
「私ならば、今年中に終わらせられるが、先週の晴代の様子を見たのならわかるだろう。彼女には毎日かなりの時間を費やしても終わらせられるかどうか……」
文香はため息をつく。文香は学年で片手に入る秀才だが、晴代は下から数えた方が早い。ちなみに、霧矢は平均より少しだけ上である。
「まあ、何とかなるんじゃないのかなあ」
「そう祈りたいが、毎回、長期の休みの終わりごろになると私が呼び出されるのはお約束となっている。中一のころからずっとだ」
苦々しい顔を浮かべて、文香はリフト券を机の上に戻した。霜華は苦笑いする。
「それにしても、晴代は趣味と勉強の比率を考え直した方がいいと私は思う。私としては三対七くらいが良いと思うのだが、今の晴代は九対一だからな」
「スキーだけにそんなに費やしているの?」
文香は言葉に詰まり黙っている。霜華としてはなぜ黙っているのかは理解できなかった。
「まあ、スキーだけじゃなくて、他にもまあいろいろな趣味があると、そういうことだ」
それ以上は聞かないでくれ、と文香は遮った。
「お待たせ。片付け終わったよ!」
晴代がドタドタと騒がしく二階から降りてきた。
「やっと終わったか。だから、あれほどきちんと部屋は片付けておけと言っていたものを」
「説教はいいから。さ、上がって、上がって」
文香の小言をさらりと流し、晴代はうきうきと二人を引き連れ階段を上って行った。