平穏の終わり 10
「で、何でお前がうちにいるんだよ」
「いいじゃん。霧矢のスキー板の整備を代わりにやってあげてるんだから」
霧矢のスキー板にワックスを塗っている晴代に霧矢は小言を言った。霜華は店番をし、風華は興味深そうにスキー板を見ている。おそらく、スキーをした経験はないのだろう。
「それよりも、お前、もう木村や西村を誘ったのか?」
とげとげしい声で霧矢が質問すると、晴代は最高級のスマイルで大きな丸をつくった。霧矢はため息をつく。
「課題せざる者、遊ぶことなかれ。僕はこれだけはきちんと言っておくぞ」
こたつに入って霧矢は英作文のエッセイのネタを考えていた。霜華のことでも書こうかと思ったが、学校に魔族が云々などと電波全開(真実であることは証明されているが)のエッセイを提出しようものなら、教師から、呼び出し、お説教、再提出の三連コンボを食らうことは容易に予測できる。
(……何を書けばいいのやら……)
「Yesterday, I was nearly sniped. If it was not for his advice, I would have been killed.」
ダメだろう。嘘はいけません。本当だけど。
アイデアが浮かばず、髪をくしゃくしゃにする。雪はますます積もっていくのが窓の外に見えた。こんな日は狙撃に向かないから、殺される心配はない。
殺される心配をする必要ができた時点で問題なのだが、もう霧矢にはある種の覚悟、いや諦観というものができていた。もはや、霧矢のまわりにはお気楽女と呼べるものしか存在せず、それらを頼ってもあまりあてにならないのだから。特に晴代とか理津子とか。
横目で頼りにならない幼馴染を見ながら、霧矢はこたつの上のみかんに手を伸ばした。
「あたしも食べる。風華ちゃんも食べたいって」
「ほらよ」
霧矢が橙色の果実を放り投げると、風華は風を操って自分の手の上に落とした。
「食べ物を投げないで! バカ!」
「お前な、年上にバカはないだろう。投げたのはよくないことだったが」
風華はふん、と鼻を鳴らした。霧矢は皮をむいていく。白い部分は取らずにそのまま一房を上空に放り投げ、放物線を描いたみかんを口で受け止めた。
「霧矢……昔から、ずっとそうだったけど、みかんやピーナッツをそんな風に食べたら危険でしょ……気道に入ったら救急車呼ばなきゃいけなくなるし」
「……お姉ちゃんも昔、そんなことしてダウンしたこともあったっけ……」
「霜華のやつ、死にかけたことがあったのか?」
風華は思い出し笑いをしながら、まわりに霜華がいないことを確かめて、
「のどに詰まらせたわけじゃないんだけど、上にお団子を放り投げたとき、偶然あたりを飛んでいた虫が団子と一緒に口の中に入って……」
全員が大笑いする。やっぱり、霜華は妹よりも子供っぽい一面があった。
「それで、さんざん大騒ぎして、私が静かにしてと何度言っても家の中を走り回ったりして…あれはひどかった」
くすくす笑いをしながら、風華はみかんの皮をむいていく。
「………よかったな…」
「何が?」
風華が、霧矢の顔を見る。霧矢は微笑んで、
「…お前、こっちの世界でもいい感じじゃないか。楽しそうで何よりだ。僕も嬉しい」
「な……何よ…いきなり…」
唐突な霧矢の台詞で風華は戸惑う。ぶつぶつと何か言っていたが、プイとそっぽをむいてしまった。晴代はニヤニヤ笑いを浮かべ、霧矢に耳打ちをする。
「なに~? 霧矢、こんな年の子相手にフラグ立てようとしたわけ? そっちの趣味が……」
「だ・ま・れ。どうしてお前はいつもフラグとかカップリングとかそういう発想に結びつくんだ。単に僕は感想を述べただけだ。脳ミソポンコツ女め」
「ひっどーい。何その言い方!」
「事実を述べたに過ぎない。否定するだけの材料はあるのか?」
みかんを今度は投げずに普通に食べながら、霧矢は晴代に乱暴な言葉で返した。
「ふらぐ?」
「まだ知るには早い単語だ。もう数年待つんだな」
風華がよくわからないといった感じで首を傾げる。霧矢は即座に回答を拒否、晴代にも目で釘を刺した。この女は霧矢が目を離そうものなら、何を吹き込むかわかったものではない。
「そうそう、晴代に聞いておきたいんだけど、霧矢って信用していい人間なの?」
本人の前でそんなことを聞かれたのは癪にさわったが、霧矢は敢えて口に出さない。
「うーん。そうだね……頼りがいがあるけど所々で冷たい。自称中途半端なエゴイスト。でも悪いやつじゃない」
「まともな評価ありがとう。たまにはまともに振る舞うな」
「どういたしまして。じゃあ、逆に霧矢はあたしのことをどう表現するわけ?」
霧矢はニヤリと笑うと腕組みし、しばらく間を置いた後に口を開いた。
「……非常に子供っぽい。行動がいろいろと痛い上に、趣味は公言できないものがある。そして、困ったときは誰かに頼ることが大の得意で人の迷惑は基本的に顧みない。ただし、存在を忌み嫌うほどではないのがせめてもの救いだな」
「何よ。その評価。いくらなんでも、最低限のオブラートに包みなさいよ」
晴代の持っているみかんの皮が焼けて黒こげになっていく。あたりに焼きみかんの微妙なにおいが立ち込めていく。大して嬉しくもないが。
「じゃあ、晴代は霧矢が好きとか、そういうわけじゃないんだ」
「こら、マセガキ。そういうことは心のうちにしまっておけ。自分で考えることで、面と向かって人に聞くようなものじゃない」
「そうよ。そういうのは、自分でその想いが何を意味するのかわかるようになってから」
「ふーん……」
風華はまだ、そういう体験をしたことはないのだろう。誰かを見て何となく気になるとか、心にくるといった体験は。
年齢的に、そろそろそういうことが起きても不思議ではない。しかし、そこまで思って、霧矢は自分もそういう体験はまったくないことを自覚し、落胆してしまう。
「晴代は、好きな人とかいるの?」
「えっ……」
風華が唐突に質問し、晴代は戸惑う。霧矢もあまりにもダイレクトな質問を聞き、みかんを取り落としてしまう。今時、ここまで直截な言い方をするのは珍しい。
「あ……あたしには……別に……」
(……いるのか。こいつには)
この動揺は明らかにおかしい。相手が誰なのかはさておき、と言うより、自分でなければ誰でもいいが、今現在、気になる人はいるということだ。
「ふーん。そっかあ……」
風華も察したようで、そのまま何も追及しなかった。晴代は顔を赤らめながら、再び軍手をはめ、ワックスを塗り始めた。




