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三万の兵を率いて魔王を討伐した勇者が帰還した。生き残ったのは百名だけだった

作者: アポロ
掲載日:2026/04/07

三万の兵を率いて魔王を討ち果たした勇者が、凱旋門をくぐる。

だが、民衆が期待した歓声は起きない。


帰還した兵は、わずか百名。

その誰一人として笑っていない。

勝利の行進のはずが、まるで葬列のようだった。


民衆は戸惑う。

どう声をかければいいのか分からない。

「おめでとう」と言っていいのか。

「ありがとう」と言っていいのか。

その空気を切り裂くように、一人の中年女性が前に出た。


「……あの、うちの息子は?

 あの子は、後から帰ってくるんですよね?」


勇者は立ち止まる。

だが、何も言えない。

喉が張り付いたように動かない。


代わりに、軍の大将が前に出て答えた。


「……ここにいない者たちは、魔王討伐にすべてを捧げました。

 彼らは……もう帰りません」


女性はその場に崩れ落ち、泣き叫ぶ。

その声に呼応するように、他の家族たちも次々と声を荒げた。


「うちの子は?!」

「夫はどこ?」

「返してくれよ……!」


勇者はただ立ち尽くす。

叫びは、すべて自分に向けられているように聞こえた。


胸の奥で、ひとつの思いが静かに形を成す。


――ああ、生き残るとは、こういうことか。

 叶うなら、自分もあの地獄で終わりたかった。


その言葉を口にした瞬間、

民衆は誰一人として、何も言えなくなった。


勝利の凱旋は、完全な沈黙に包まれた。



玉座の間は祝勝の空気に満ちていた。

王も大臣も、勝利の余韻に酔っている。

だが勇者の声だけが、そこに馴染まない。


「……戦士隊は魔王城へ向かう途中、伏兵により壊滅しました。

 魔導士部隊は……魔王軍の炎に包まれ……」


王が手を上げて遮った。


「よい、もうよい。

 それより、どう魔王を倒したのかを聞きたい」


勇者は一瞬だけ目を伏せ、淡々と続けた。


「魔王との戦いでは……パラディンが盾となり、胸を貫かれました。

 僧侶は、私に回復魔法をかけながら……魔王の爪で……」


再び、大臣が声を荒げて止める。


「こんなめでたい日に水を差すな!

 我々は勝ったのだぞ、勇者よ!」


勇者は答えない。

ただ、魔王の最期を淡々と語った。


「魔王は……最後まで立ち上がってきました。

 倒れたのは、私が剣を振り下ろした後です」


その瞬間、勇者の脳裏に焼き付いた光景がよみがえる。


――魔王の亡骸に泣きつく、魔族の幼い子ども。

――その隣で、崩れ落ちるように泣き叫ぶ魔族の女性。


だが、それは口にしなかった。

言えば、この国の“勝利”が崩れてしまう気がした。


王は満足げに頷き、言った。


「今夜は宴だ。

 英雄よ、存分に楽しむがよい」



大広間には酒と料理が並び、音楽が鳴り響く。

だが勇者は、誰の問いにも答えられない。


「勇者様、魔王はどれほど強かったのですか」

「仲間との絆は深かったのでしょう」

「勝利の瞬間はどんな気持ちでしたか」


すべての声が遠く聞こえる。

杯を持つ手が震える。


笑えない。

喜べない。

祝われる資格などない。


勇者は、ただ椅子に座り続けた。



宴が終わり、勇者は実家へ戻った。

母が心配そうに迎え、優しく背中を押す。


「……疲れたでしょう。

 自分の部屋で休みなさい」


扉を閉めた瞬間、勇者の膝が床についた。


暗闇の中で、戦場の記憶が一気に押し寄せる。


胸が締め付けられる。

息ができない。


勝利の余韻なんて一つもない。

ただ、生き残った罪悪感だけが濃く残る。


勇者は顔を覆い、声にならない声を漏らした。


「……どうして、俺だけが帰ってきたんだ」


部屋の静寂が、その言葉を飲み込んだ。



王都の門をくぐった瞬間、生き残った兵士たちは解散を告げられた。

「ゆっくり休め」と言われても、その言葉がどれほど空虚か、誰も口にしない。

宴に呼ばれることはなかった。

彼らの沈んだ顔は、勝利の祝福にはあまりにも不釣り合いだった。


街に入ると、人々は道を開けた。

感謝の言葉をかける者はいない。

どう声をかければいいのか分からないのだ。

兵士たちの歩みは重く、目の焦点はどこにも合っていなかった。


家が近づくにつれ、足を止める者がいた。

扉を開ければ、家族が泣いて抱きしめてくれるだろう。

だがその温もりは、戦場で冷たくなった仲間の身体を思い出させる。

彼は家の前に立つことすらできず、街外れの石段に座り込んだ。


別の兵士は、震える手で扉を開けた。

妹が飛びつき、母が泣きながら抱きしめる。

だが兵士の腕は宙に浮いたまま、抱きしめ返す力がどこにもなかった。

母の肩越しに、崩れ落ちた友の顔が浮かぶ。

「ただいま」

その声は、ほとんど聞こえないほど小さかった。


丘の上では、ひとりの兵士が沈む夕日を見つめていた。

隣には、戦死した親友の剣が置かれている。

「……お前の家族に、なんて言えばいいんだよ」

風が吹き、返事はない。

彼はその剣を抱きしめたまま、夜になるまで動かなかった。


酒場の裏では、兵士が膝を抱えていた。

酒を飲んでも何も感じない。

笑い声が聞こえるたびに胸が締め付けられる。

「俺が……もっと強ければ……」

誰にも届かない声で呟き、涙を止められなかった。


街の壁にもたれ、拳を震わせる者もいた。

怒りなのか悲しみなのか、自分でも分からない。

ただ胸の奥で、何かが壊れ続けている。

通りすがりの人々は、その目を見て道を避けた。


家に帰った兵士の中には、布団に横たわっても何も感じない者もいた。

家族が話しかけても返事ができない。

食事の匂いも、家の温かさも、すべてが遠い。

天井を見つめながら、彼は呟く。

「……俺は、まだ生きてるのか」


仲間の家の前で立ち尽くす兵士もいた。

扉を叩く勇気が出ない。

中から聞こえる泣き声が、胸を刺す。

「……ごめん」

そう呟き、彼は踵を返した。


夜になっても、兵士たちは眠れなかった。

それぞれの場所で、同じ地獄を見ていた。


仲間の断末魔。

焼け焦げた匂い。

崩れ落ちる兵士の顔。

「帰ったら酒を飲もう」と笑っていた男の最期。


勝利の余韻など、どこにもない。

ただ、生き残った罪悪感だけが、静かに胸を締め付けていた。



王は、国民の不安を鎮めるために、勇者に演説を命じた。

そして、生き残った百名の兵士たちを勇者の背後に並ばせることにした。

「英雄の姿を見せれば、民は安心する」

王はそう言った。


当日、勇者は壇上へ向かう途中で兵士たちを見た。

誰もがひどい顔をしていた。

夜も眠れず、涙も枯れ、心がどこかへ置き去りになったような顔だ。

勇者自身も同じ顔をしていることを、彼らは互いに理解していた。


兵士の一人は、勇者に言ってやろうと思っていた。

「なぜ俺たちだけが生き残ったのか」

「お前は本当に魔王を倒す価値があったのか」

「仲間を救えなかったくせに英雄面するな」

そんな言葉を胸に抱えていた。


だが、勇者と目が合った瞬間、何も言えなくなった。

勇者の目は、兵士たちと同じだった。

深い後悔と、終わらない痛みと、言葉にならない罪悪感。

そのすべてが沈んでいた。


勇者は兵士たちの前に立ち、静かに言った。


「……今日だけでいい。

 国民を安心させよう。

 死んでいった仲間に恥じないような顔をしよう。

 それが……俺たちに残された最後の務めだ」


誰も返事をしなかった。

だが、誰も否定しなかった。


勇者はゆっくりと壇上へ歩き、演席に立つ。

背後には、百名の兵士たち。

その誰もが、心に深い傷を抱えたまま、ただ前を向いて立っていた。


国民は歓声を上げた。

英雄の帰還を祝う声が、空へと響く。


だが、壇上に立つ者たちの胸には、

勝利の喜びなど一つもなかった。


勇者は深く息を吸い、

国のためではなく、

死んでいった仲間たちのために、

ゆっくりと口を開いた。

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