第三章 水産会社の朝
翌年の三月。卒業式の日、俺は祖父母と二人で壇上からの瞬間を迎えた。父は仕事で来られなかった。祖父は松葉杖をついて、祖母に手を引かれながら体育館の端の席に座っていた。
「悠斗、卒業おめでとう」
祖父が言った。目が少し潤んでいた。俺はなぜか、その目を正面から見ることができなかった。
さくらはこの春から大阪の大学の教育学部に進学すると聞いていた。卒業式の後、校門の前で少しだけ話した。
「大阪、頑張れよ」
「うん。悠斗も仕事、頑張りや」
「まあな」
さくらはそれだけ言って、家族の方へ歩いていった。その背中を見送りながら、俺は何かを言いそびれた気がしたが、何を言えばよかったのかは分からなかった。
四月になった。
就職先は地元の水産加工会社、「尾鷲マリン食品」だった。カツオとブリを加工して、県外に出荷する会社だ。創業四十年。地元では老舗の企業で、浜田家の近所の何人かも勤めていた。
初出勤の日、俺は七時五十分に起きた。始業は八時だった。
走ればなんとか間に合う距離だったが、走る気になれなかった。どうせ初日だから大目に見てもらえるだろう、という根拠のない確信があった。
会社に着いたのは八時十五分だった。
工場の入り口で出迎えてくれたのは、現場主任の村瀬さんという四十代の男だった。眼光の鋭い人で、俺を見た瞬間、腕時計を一度見て、それから俺に視線を戻した。
「浜田くん、今何時か分かるか」
「……すみません」
「最初からこれか」
それだけ言って、村瀬さんは背中を向けた。俺はその背中を追いながら、内心で「たった十五分やのに」と思っていた。
工場の中は魚の匂いで充満していた。慣れ親しんだ匂いだったが、働く場所としてそこに立つと、また違って感じた。ゴム手袋をはめ、白衣を着て、ベルトコンベアの前に立つ。流れてくるカツオの内臓を取り除く作業を教わった。
「これを一日やるんですか」
隣の先輩に聞いた。
「なんや、文句あるか」
先輩は眉をひそめた。三十代の男で、名前は垣本さんといった。この会社に十五年いるらしい。
「いや、文句じゃなくて」
「じゃあ黙って手を動かせ。口動かしてる暇があったら手を動かせ」
俺は黙った。
昼休み、俺は弁当を食べながら外のベンチに座っていた。隣のブロックで働いている同い年の男が近づいてきた。中学の同級生の松田だった。
「悠斗、遅刻したってな。もう聞こえてきたぞ」
松田は笑いながら言った。
「早っ」
「この会社、狭いから。なんでも筒抜けや」
松田はそう言って、隣に座った。
「おまえ、漁師にはならへんかったんやな」
「なるわけないやろ」
「俺はあと一、二年したら親父の船乗るつもりやけど。早い方が体で覚えられるし」
松田は屈託なくそう言った。将来について、こんなにあっさりと語れることが、俺には少し不思議だった。羨ましいとも思わなかったが、自分との違いは感じた。この男は迷っていない。俺は、何かを迷ったまま、ここにいる。




