最終話(第40話):仮想と現実の境界線上に立って
【登場人物】
・速水小石
女子高生VTuber。過去に引きこもりだったところを助けられてから稲置とは配信者のマネージャーの仕事をしてもらう関係。副業で探偵をしている。殺人容疑をかけられた稲置の無実を証明するために活躍した。
・氷室稲置
ミコ(小石)のマネージャー。19歳。高校時代は生徒会長をしていた。料理がそこそこできる。変人をなぜか吸い寄せてしまう人生を送っている。配信者の火将ノエル殺人事件の容疑者にされていた。
・月読桜音
稲置の高校の後輩で、小石とはクラスメート。変装術と声帯模写能力を持つ。今回の事件の犯人。
・淡野瑞希
稲置の後輩の女子高生。剣道有段者。眼鏡が似合うショートカット。大阪出身で関西弁。稲置の懐刀。東京の揚げたこ焼きは認めないらしい。小石と共に事件解決のために動く。
竹刀を桜音の喉元めがけ、突きの構えで繰り出す。目下には六本木の夜景が広がっている。タワーマンションの狭いベランダだ。直線的な攻撃を避けるのは難しい。瑞希はそう考えていた。
「狭い場所で竹刀なんて足を引っ張るだけよ」
桜音は不敵に笑う。手元の果物ナイフを怪しく煌めかせながら。
「はあああああっっっ」
先手必勝。渾身の力で突き出した竹刀を、桜音は寸前の所で回避した。ナイフの先端がこちらの喉元へ急速に接近する。死を連れてくる。
瞬間、咄嗟にベランダの手すりを掴んだ。そして体をベランダから乗り出し、六本木の上空およそ20メートルの高さの空中へと投げ出した。そのまま手を離せばグロテスクな光景が夜の六本木を汚すだろう。左腕が軋み、悲鳴を上げる。
「うらあああっっっっっ!」
そのまま遠心力を使い、桜音の左側面に蹴りを放つ。復帰の隙を消すためでもあった。予想外の攻撃だったのか、桜音にクリーンヒット。表情が歪む。
「くっ……」
「剣を使うだけが剣道やない。人の道を外したもんには、手段を選ぶ必要なんてあらへん。あたしらみたいな女はな、力を傷つけるためにつこたらあかん。守るために使わなあかん。せやないといつか自分さえも守れなくなんで」
「関西人は本当に良く喋る」
彼女はその手にしたナイフをこちらに投擲してきた。反射神経だけで左手の甲で弾き落とす。皮膚が割けて血の雫が流れ落ちる。
「もう終わりや」
うふふふふ。うふふふふふふふふふふ。
彼女は笑った。それは終わりを悟ったゆえの狂気か。それとも。
「ならあなたを道連れにするわ」
そう言って彼女は、こちらの懐に潜り込んだかと思えば、セーラー服の首元を掴んで、ベランダの外へと一本背負いの要領で投げ込んできた。必死に抵抗するが。
「ちっ」
「この技は稲置先輩のものよ。あの人、怪我するまでは柔道でインターハイ予選まで行ってたのよね」
「武道を、これ以上汚すんやない」
「うふふふ。これは殺し合いよ。紙一重でも相手を上回れば勝ち。それ以外のルールなんて、この世界には無いのよ」
あかんわ。
確かにその手際、無駄の無い動き、先輩の一本背負いそのものや。
ベランダの柵の外に投げ出されるが、左手で何とか捕まる。その左手首を桜音が掴んだ。爪を立てられ、痛みが走る。
「ノエルちゃんが、草葉の陰で泣いてんでぇ」
「じゃあ先に行って、慰めておいてよ」
やれやれ、今回ばかりはやばそうやな。
爪が皮膚に突き刺さったことによる痛覚で、眩暈が起きる。高度20メートルの強風に体が揺れる。汗だけで手すりを掴んでいる手が今にも滑り落ちそうだ。意識が遠くなっていく。
「淡野っっっ!」
その時、ベランダの窓が開いて、良く知った顔が視界に飛び込んできた。
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池袋警察と共にパトカーで六本木に向かった。容疑が完全に晴れたわけではないが、真犯人が知り合いということで同行の許可が出た。
「稲置くん。じゃ、私はこの辺で失礼するわね。臨也様と同伴だから」
「ああ。今回ばかりは助かったよ」
「結局ノエルちゃんは、稲置くんのことが好きだったわけよね。だから桜音ちゃんはそれに嫉妬して、この事件を起こした。覚えておきなさい。女性の心を奪うことの責任を。その重さを。それに気付かないでいる振りをすることの、罪深さもね」
麗夜はその足でタクシーを捕まえて消えていった。多分いつものようにホストだろう。こんな時にもブレない女である。
「まだお前が犯人じゃないと決まったわけではないぞ、稲置」
青島刑事は警戒心を解かない。プロ意識がそうさせるのだろう。
「分かってます。今はとにかく行きましょう」
返却されたスマートフォンには100件近くの通知が溜まっていた。小石からのダイレクトメールを確認する。
「淡野が先に向かっただと?」
小石の説明によると、犯人に拉致されて行方不明になっていた淡野が自力で脱出し、今まさに桜音を捕まえに動いているということだ。
俺が捕まってる間に色々あったみたいだ。
「淡野っっっ!」
小石から伝えられたタワーマンションの部屋に警察と共に突入し、ベランダに目をやると二人の女性が乱闘の最中ではないか!?
考えるよりも先に足が動き、今まさに淡野をベランダから突き落とそうとしている桜音を羽交い絞めにする。
「やめろっっっ。もう終わりだ、桜音」
「離して、くださいっ。いやあっっ」
想像以上の力で逃れようとするが、力にはこちらも自信はある。渾身の力で押さえつけるとしばらくして大人しくなり、彼女の冷たい涙が手の甲に流れ落ちた。
「午後22時14分、月読桜音を殺人容疑で逮捕する」
ガチャンと、金属製の錠が彼女の両手にかけられた。
「淡野っ、大丈夫かっっ」
「先輩……大事な時に駆けつけてくれるのは昔から変わらんなあ」
「そうか? 後輩のピンチに駆けつけるのは先輩の務めだろ?」
「全く、そういう所が色んな子を狂わすんやけど。今回はとりあえず許しときます。とにかく先輩、おめでとう!」
「ああ。色々ありがとな」
振り返ると、そこには桜音が複数人の警官に連行されていく所だった。
本当に嫌な事件だった。きっと俺たちは、この事件を死ぬまで忘れない。
「桜音、一応聞いておいてやる。どうしてこんなことをした?」
これだけは聞いておかなくてはならない。他でもない自分のために。この事件を自分の中で消化するために。彼女の犯した罪を、受け入れるために。
「…………ノエルちゃんが先輩のことを好きになったからです。私よりノエルちゃんの方が可愛いからです。私にとって、先輩は私の全てだったんです。あの日、先輩をノエルちゃんに会わせなければ良かった。全部私のせいです」
彼女は、顔を伏せながら、魂を絞り出すようにしていた。きっとその言葉だけは嘘ではないのだろう。どうしてこんなことになるまで、彼女は真実を口にできなかったのだろうか。
しかしどうだろう。誰にでも、墓場まで持っていくしかない隠し事があったりするのではないだろうか? 正直者は確かに美しいかもしれない。しかし嘘は本当に罪なのだろうか? 母親の言葉が思い起こされる。
嘘は愛よ。
「馬鹿野郎。どうして言わなかった。全部他人のせいにして、人の感情を自分で勝手に決めつけて、自分の劣等感と向き合えないせいで何もかも滅茶苦茶にして、大切なものまで壊しちまいやがって。お前は本当に馬鹿だ」
しかし、そんな彼女の抱く薄暗い感情を見ない振りしていたのは、俺も同じなのかもしれない。身近な誰かの普段は隠しているセンシティブな感情。誰もが抱えているものだと分かっているはずなのに、見たくないから、無かったことにしてしまう。それもまた、弱さであり罪だ。
気付けば、右手の握りこぶしから血が出ている。爪が皮膚に食い込んでいた。こんなことばかりだ。俺たちは、いつも手遅れになってから気付く。
「……そうですね。本当に、先輩の言う通りです」
彼女は最後にほんの少しだけ、泣きながら笑った。その瞬間だけ、いつもの彼女が戻ってきたような気がした。
帰り道、池袋警察の事情聴取に同行する一行。高校生を連れまわして勝手に捜査した件については散々絞られた。しかし、その後で青島刑事から謝罪もされた。犯人扱いしてすまなかったと。もういいのだ。全て終わったのだから。
その後の捜査情報を少しだけ貰った。桜音の部屋を捜査した所、そこには大量のPCが置かれていて、そこには俺たちを含めたこの事件に関わる人物の声を学習したAIが残されていたという。彼女はそれを使って他人の人格を学習していたのだろう。
失踪していた老夫婦は六本木のタワーマンションの一室に監禁されていたらしい。衰弱はしていたが、命に別状は無いとのことだ。
スティーブ・ラセターという人物が桜音のアリバイ工作に協力していたということも聞いた。事件現場のマンションのオーナーだったらしい。しかしその男は行方不明で、名前も偽名だったらしい。経営していた会社も実態のない名前だけのペーパーカンパニーらしかった。捜査は続行されるらしいと言っていた。
淡野はその男を追いつめたが、返り討ちにあってマンションの一室に監禁されていたらしい。しかし自力で脱出したというのだから、彼女の力は計り知れない。本当に頼りがいのある後輩だ。彼女の率いる今年の剣道部は、インターハイ優勝間違いなしだろう。
これで一件落着したのだが、どうにも実感がない。それもそのはずだ。あいつに会わなければ、この物語は終わらない。
「稲置センパイっ!」
「……小石」
小柄で、コバルトブルーのツインテールの頭が胸に飛び込んでくる。
その瞳には一滴の涙が光る。
「ばかばかっ、マネージャーが急にいなくなって大変だったんですよっ」
「……すまん」
「本当に、色々大変だったんですからねっ」
声が枯れている。きっと俺のいないところで、色々頑張ってくれていたのだろう。流石、速水小石だ。
VTuber探偵ミコだ。
俺の自慢の後輩だ。
「信じてたよ。お前ならこれくらいの事件は軽く解決しちまうってな」
「……本当に稲置先輩は大バカです。すごく心配したんですよっ。もう会えないかと思って、必死で……、ぐすっ、えぐっ」
「ああ、分かってるよ、ありがとな」
「北海道に蟹食べに行く約束、忘れてないですよね」
「ああ。毛ガニをたらふく食おう」
「ラーメンも食べる!」
「分かったよ。満足するまで付き合ってやるさ」
彼女の体温が伝わってくる。これが生きているということだ。これだけは、デジタルではまだ伝わらない。それも遠い未来で伝わるようになるかもしれないが、今はこれが、一番、生きていることを実感できる。彼女の息遣い。彼女の声。決して複製できない。してはいけない。
バーチャルワールドはこれからも俺たちの故郷であり続けるだろう。しかし現実の世界のことも忘れてはいけない。俺たちは、どちらか一つを選んでもう片方を捨てることはできない時代に生きている。それならば、どちらも捨てずに、なあなあに、都合良くやっていこうじゃないか。現実世界が嫌になったらこっちに来れば良いし、こっちが嫌になったら現実世界で人の体温や自然の美しさに触れるのだ。
それくらいが、きっと丁度良い。
「……お二人さん、あたしがいることも忘れんといて。そんで北海道行くん? 夏ももう本番やし、避暑がてらあたしもついてっちゃおっかなー」
「忘れてたっ! ごめん淡野さんはインターハイで忙しいかなって思ったから、邪魔しちゃいけないよね先輩!?」
「え? 3人で予定合わせて行けばいいんじゃねえの?」
「せやせやー」
「3人ではハンバーガー奢るって言ったよね? この後行けば良いじゃない。ってことで北海道は2人でー。あー残念残念」
「っておーーーーい、そんなんで騙されるかいなっ!! どんな手を使っても付いていくで! 小石ちゃん!」
「分かったわよ、瑞希ちゃん。今回は助けてくれたからね。一緒に行こう」
これから忙しくなりそうだ。きっと旅行の計画を立てるのは俺の役回りになるからだ。頭の中で日程を考えながら、普段の日常がようやく帰ってきたことを実感する。これがきっと幸せだったのだろう。それは失われるまでは決して気付けない。取り戻した時に初めて分かる。それに触れられる。
失ったまま、もう元に戻らない繋がりもあるけれど。それでも俺はこの世界を生きていきたいと思う。変わり続ける世界を。その変化を何とかして楽しみながら。変化を愛しながら。
仮想と現実の間を行き来しながら。
VTuber探偵ミコは、夏季休業に入る。
次の事件が起きるまで、しばしのお別れだ。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。筆者のべなおと申します。
本作はおよそ10年振りに執筆活動を再開するにあたって、構想を含めて半年以上かけて書き溜めたものになります。社会人になってから自由な時間が取れなくなり一度は休止していましたが、また書きたくなって始めました。
どうせやるなら商業作品化の可能性も考えて、独自の設定でエンタメ的なプロットを考えようということに。最後まで書き切ることを考えて、当時ハマっていたVtuberを題材にすることを決定。それだけだと既存の作品にはいくつか似たものがあるということで、そこにミステリーをからめれば類似の作品がほとんどないだろうと考えたのが始まりになります。本格ミステリーの執筆も初めての経験でして、トリックを考えたり、犯人の動機を考えたりそれぞれに矛盾がないように組み合わせていく作業はパズルをデザインしていくようで、大変ながらも貴重な体験になりました。サイゼリアでワインを飲みながらプロットを書いていたのは良い思い出です。
Vtuberを探偵役にすると決めたは良いものの、既存のミステリのコピーになってしまってはつまらないと思い、配信者ならではのトリックを考えることを意識しました。それがVtuberのアバターの乗っ取りによってアリバイを偽装する、というトリックを着想した由来になります。あとは推理ショーを配信上で行うというのも構想初期で決めていました。そこのクライマックスで期待感が最高潮になるように四苦八苦しながら組み立てていく作業でした。お楽しみ頂けましたら幸いです。
おかげさまで、私が執筆を始めて最も反響を頂けた作品となりました。別媒体でも既に公開中で、感想やファンアートを頂けました。この場を借りて感謝を申し上げます。
続編は構想中になります。感想や評価など頂けましたら、公開までが早まるかもしれません。それでは、またお会いできることを楽しみにしております。




