第35話:バーチャルワールド
【登場人物】
・速水小石
女子高生VTuber。過去に引きこもりだったところを助けられてから稲置(元主人公)とは配信者のマネージャーの仕事をしてもらう関係。副業で探偵をしている。殺人容疑をかけられた稲置の無実を証明するために奮闘中。
・火将ノエル
池袋配信者殺人事件の被害者。月読桜音の親友。元人気VTuber。
「……瑞希ちゃんが電話に出ない」
スマートフォンのメッセージングアプリから淡野瑞希の通話画面を開き、通話ボタンを押しているが、コール音が続くだけで反応がない。
いつもの配信部屋に、虚しくコール音が響く。
「誰かと話してるのかな」
目の前の港区を一望できる窓から池袋の方を何となく目で追いながら、一抹の不安を心の中で振り払った。
PC画面に視線を戻すと、事件現場のマンションの図面が表示されていた。管理人から送ってもらったものだ。
「4階建てで、部屋は20個。住人が入ってない部屋は無し、と」
エントランスはオートロック。入口はもう一つ裏口があるけど、どちらも内部に入るには管理人室の前を通らなきゃいけない。事件現場は4階の404号室。失踪した老夫婦の部屋は同じ階の401号室。
更に管理人さんが刑事に事情聴取を受けた時に貰ったという情報が、SNSのダイレクトメッセージで送られてきていた。
「事件現場から被害者のスマートフォンが消えていた?」
ノエルちゃんのスマホを犯人が持ち去った? 何か事件と関係あるのだろうか。普通に考えたら、そこに何かの証拠が残っているということになるけれど。
話を戻そう。あのアリバイトリックが本当なら、犯人は外部犯の線もあるけど動機の問題は残る。やっぱり被害者と知り合いの人が犯人っていう可能性を潰す方が先だよね。
「でも知り合いを疑うってなったら……」
”あの人”を一番先に疑うことになるけど……。
頭が痛い。自分の心の奥の方にある、親しい人を疑ってはならないという道徳的な感情が高いアラーム音を鳴らす。痛みという名のアラーム音を。
私は考えちゃいけないことを、考えているのかな?
そして日が暮れていく。港区の摩天楼は、夜の顔を見せ始めた。今宵は月が出ていない。
こんな時は、いつも通りに動き回る街の車の明かりや、高層ビル群の無機質なイルミネーションを見ると何だか寂しくなる。自分だけが、世界から取り残されたような感覚。
地球の自転から、自分だけが降ろされたような。
「瑞希ちゃん、何かあったのかな」
不安な感情の波が押し寄せてくる。呼吸が荒くなる。彼女の乱暴なまでの明るさに、また少しでも早く触れたかった。
独りぼっちには慣れていた、はずだったんだけどな。
稲置先輩に出逢ってから、何だか弱くなっちゃったみたい。
「仕方ない、直接マンションに行ってみようか」
服を着替え、髪の毛を整えて外へ行く準備完了。学校はなんだかんだでサボっちゃったから、外へ出るのは一週間ぶりくらいだ。
玄関へ向かう。ほとんど空のシューズケースからスニーカーを取り出して履く。
玄関のドアノブに手をかける。回そうと、した。
「あれ、あれ」
動かない。鍵なんてかかってないのに。
「動け。動いてよ。瑞希ちゃんが。……瑞希ちゃんが」
今すぐ行かないと、いけないのに。なんでっ!?
どうしていうことを聞いてくれないの? 私の体なのに。
気が付けば汗がだらだらだ。そう言えばあの時もそうだった。私が高校に行けなくなって、独りで配信ばかりしていた時。けれどあの時は、先輩が助けに来てくれた。今は、彼はここに来られない。
玄関の冷たい床に膝をついた。痛い。胸が苦しい。喉がストローのように細くなったみたいだ。頭の中が真っ白になって、ナイフを持った少女の姿が脳裏に浮かび上がる。稲置先輩が倒れている。今度はあの時の光景だ。
もうあんな思いをするのは嫌だ。外の世界は怖い。もうどうでもいいじゃないか。部屋に戻ってゲーム配信をしよう。リスナーのみんなに慰めて貰おう。現実世界なんか嫌いだ。私の大切なものを、片っ端から取り上げていくような世界は。それならば最初から、何も持たない方が良いじゃない。
ナイフを持った少女の姿が溶けて、全く別の少女の姿が現れた。ノエルちゃんの配信アバターだ。
疲れてるのかな。
「小石ちゃん。ノエルちゃんの無念を晴らして。この事件の真実を解き明かして」
そんなこと、言われても。
私は、ただの引きこもりの女子なんだよ?
「私たちの世界が、バーチャルワールドが幻の箱庭なんかじゃないって、証明して」
バーチャルワールド。仮想の世界。
それはこの手で触れられなくても、確かに私たちの世界だ。私たちの故郷だ。大切な人と出逢わせてくれた世界だ。これから生きていく世界だ。そう願いたいこの気持ちだけは、仮想なんかじゃない。
分かったよ、ノエルちゃん。
やられっぱなしじゃ、悔しいもんね。
こんな何もできない私に居場所をくれたこの世界を、今度は私たちが守る番なんだね。
スマートフォンに通知が入る。そこに表示されたアカウントは、彼女にとって驚くような相手だった。
「稲置先輩の、お母さん!?」




