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辺境観測士、鑑定AIで魔術を最適化する~今日もデータ片手に、幼馴染とまったり研究生活~  作者: hiyoko


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007

 井戸跡の石組みの周囲で、小さな炎が揺らいでいた。ノエルが丁寧に積み上げた薪は、既に赤々とした炭へと変わり始めている。ノエルの手際は見事だった。火を起こす際の風への気配り、炎の勢いを見極めて薪の量を調整する目利き、すべてが経験に裏打ちされている。

 朝に処理したウサギの肉が、布から取り出された。その肉をリオルは手に取った。血が完全に抜かれ、毛皮も剥かれた状態だ。肉色は淡白で、処理の手際の良さが伝わってくる。

 ふと、リオルは思い立った。朝、このウサギを《鑑定》した時は、生きたままの状態だった。その時の結果には、種族、体長、体温、性別、健康状態、寿命、体内魔力密度といった、生物学的な情報しか含まれていなかった。では、今この瞬間、血が抜かれ、毛皮が剥かれ、処理された肉の状態で《鑑定》を放つなら、どのような結果が返ってくるだろうか。

 リオルは肉に意識を集中させた。《鑑定》を発動させる。視界に、情報が重ねられる。

---

**肉質情報**

- 種族: ウサギ

- 状態: 死亡/血抜き済

- 肉質: 淡白

- 推奨調理法: 直火焼・煮込み

- 栄養価: 中

---

 リオルは息を呑んだ。同じウサギなのに、《鑑定》結果が明らかに異なっている。生物情報から肉質情報へ。その変化だけではない。「推奨調理法」という項目が、新たに現れている。直火焼。それはまさに、ノエルが今この瞬間に行おうとしていることだ。そして「栄養価:中」という評価まで。

リオル「味……? 調理方法まで出るのか……?」

 リオルの呟きは、困惑と驚嘆が入り交じっていた。通常の《鑑定》魔術は、対象についての固定的な情報を引き出すスキルのはずだ。種族、性別、年齢、強度。そうした客観的なデータを。だが、いまリオルが得た情報は、それだけではない。調理方法という、極めて主観的で、用途に特化した情報まで含まれている。推奨調理とは極めて曖昧なものだ。味であれば好みもあるし、生でさえなければ食しても問題はない。なんなら生でも食すこと自体は問題ないのだ。

 普通の《鑑定》魔術が情報の検索だとしたら、これではまるで……

 言葉が、リオルの中で引っかかった。比喩を求めているのに、その言葉が見つからない。何か、自分はここに適切な言葉を知っているきがする。そんな違和感を抱きながらリオルは沈黙した。

ノエル「どうされましたか、リオくん?」

 ノエルの声が、リオルの思考を一度中断させた。

リオル「ああ、いや。なんか《鑑定》結果に違和感があってさ。肉質の情報とか調理方法まで出てきたんだ」

 リオルがそう説明すると、ノエルは驚いたように目を瞬かせた。

ノエル「鑑定ってそこまで出るんですか? 初耳です」

リオル「僕もだ。朝は生物情報しか出なかった。それなのに、今は……」

 リオルの言葉は、再び曖昧なまま途切れた。理由は明白だ。リオルは、朝と今で、《鑑定》に対する自分の思考が異なっていることに気づいていた。朝は、ウサギがウサギであることを知るために《鑑定》を放った。だが、今は異なる。処理された肉を見て、リオルの思考は「どう食べるのが最適か」へと向かっていた。その思考の違いが、《鑑定》結果に反映されているのではないか。だが、それはあまりにも奇妙で、言葉にしにくい。

ノエル「もしかして、リオくんの空腹が《鑑定》に響いたのではないでしょうか?」

 ノエルの冗談めいた言葉に、リオルは苦笑した。

リオル「あり得ないと思いたいけど、今はそう言い切れない気もする」

 二人は、その奇妙な可能性について、これ以上は触れなかった。

ノエル「リオくんも《鑑定》に出るくらいお腹すいてるみたいですし、お昼の準備続けますね。リオくんは今の《鑑定》結果をまとめていてください」

 リオルは今の《鑑定》結果をまとめながら、ノエルの調理を眺めていた。ノエルは肉を串へ刺していく。その串も、ノエルが鞄から取り出したものだった。削られた木の先端は丁寧に磨かれており、焦げつきにくいように工夫されている。串に刺し終わると、ノエルは炎の上へ翳した。距離は絶妙だ。直火に当たりすぎず、かといって熱が弱すぎることもない。肉の表面が、徐々に色付き始める。その色の変化を、ノエルは絶えず観察している。

 数秒ごとに串を回す。その動作は一定のリズムを保っている。焦げすぎないよう、火当たりが均等になるよう。そして最も大切なのは、肉の脂が火に垂れることを避けること。垂れた脂は炎を大きくし、一瞬にして肉を焦がしてしまう。ノエルの手つきは、そうした危機を予測し、あらかじめ防いでいるのだ。

リオル「さすが、手際がいいね。焼き上がる前からもう美味しそうな気がしてるよ」

ノエル「ありがとうございます。火の扱いは、調理の基本ですから」

 ノエルの答えは、簡潔でありながらも、確かな自信が込められていた。その言葉通り、ウサギの肉は次第に良い色へと変わっていく。外側がほのかにきつね色へ染まり、内側からは脂が滲み出ている。その香りが、周囲の空気を満たし始めた。

 野生のウサギの肉は、牧場で飼われた家畜とは異なる。より淡白で、より繊細な風味を持っている。その風味を殺さないよう、ノエルは塩をほんの一振りだけ、焼き上がりの直前に振りかけた。

ノエル「そろそろ出来上がりますよ」

 ノエルは火から肉を少し遠ざけ、最終的な熱を加え始める。その瞬間、香りはより一層濃厚へと変わった。焦げ臭ではなく、豊かな香り。焼かれたウサギ肉特有の、野性的で上品な香気が立ち上る。

 やがて、串をゆっくりと火から引き上げた。肉の表面は軽く焦げ目が入り、その奥には、ほんのりとした赤みが見える。完璧な焼き上がりだ。ノエルはその串をリオルへ差し出した。

ノエル「さ、どうぞ。冷えてしまう前に召し上がってください」

 リオルは串を受け取った。その先端から立ち上る湯気は、まだ白い。リオルは一口、かじった。肉は外側がほのかに焦げた香りで包まれ、内側はしっかりと火が通りながらも、柔らかさを失っていない。脂が舌に溶け、その奥に淡白で上品な肉の風味が広がる。

 ウサギの肉を食べながら、リオルの思考は先ほどの《鑑定》結果へ向かい続けている。なぜ、同じウサギなのに結果が異なったのか。朝と今で、何が変わったのか。その答えは、リオルの思考の中にあるのか、それとも《鑑定》スキルそのものにあるのか。

 二人はその奇妙な可能性について一旦打ち切り、ただ昼食を続けることにした。ウサギの肉は、確かに美味しかった。そして、その「美味しさ」という評価さえも、《鑑定》スキルの謎と繋がっているのではないか。そんな予感が、リオルの心の片隅に残った。

 井戸跡の廃墟で、小さな炎は静かに揺らぎ続けている。昼間のロウディアは、相変わらず灰色の空気に包まれており、太陽の光さえも淡く見える。だが、その中で、焼かれたウサギの香りだけは、確かに現実的で、確かに生きた香りだった。二人は、その香りに包まれながら、静かに食事を続けていた。

 食事を終えた後、太陽は既に頭上へと昇り詰めていた。ロウディアの午後の光は、相変わらず淡く、力がない。だが、その中でリオルは新たな行動へと身を動かし始めていた。井戸跡から少し離れた場所、かつて畑であったであろう平坦な地面。その一角を選んで、リオルは一つの区画を丁寧に作り始めた。一メートル四方の区画。その作業の傍らで、ノエルは指示を待っていた。

 リオルが選んだ植物は緑豆だけだ。成長が速く、市場で容易に入手できる苗である。リオルが抱えている苗の数は十本だった。いずれも同じ種、同じ大きさ、同じ健全性を備えた苗ばかりだ。だが、リオルの関心は、植物そのものの育成にあるのではなく、毎日同じ条件下で同じ苗を観察することで、《鑑定》の応答がどのように変化するかにあった。時間経過に伴う微妙な違いを捉えるには、外部条件の揺らぎを排除する必要がある。

 その区画には標準的な条件が設定されていた。十分な日光と、一日一度の水やり。ロウディアで採取した土をそのまま使用している。リオルの意図は明確だ。環境条件を完全に統一することで、唯一の変数は「時間経過」となる。毎日一本ずつ異なる苗から《鑑定》を行うことで、経過日数ごとの応答の変化を追跡するのだ。

 ノエルは、リオルの指示に従い、苗を植えた。その動作は正確で、迷いがない。区画に十本の苗を植え込み、リオルが指定した深さまで土を被せ、水を与えた。十本の苗を、同じ条件下に整然と配置していく。

 準備が整った。リオルは、まず最初の苗へと《鑑定》を放った。

---

**成長中の豆**

- 種族:緑豆

- 状態:苗

- 生命力:中程度

- 成長率:標準

---

 結果は、ごく基本的なものだった。次に、同じ苗に向けて、異なる問いを重ねた。「この植物は、何があれば最も良く育つか」。その思考を込めて、再び《鑑定》を放つ。

---

**最適成長条件**

- 推奨日光量:一日六時間以上

- 推奨水分:土が常に湿った状態

- 推奨土壌栄養価:中程度

- 注釈:ロウディアの土は栄養価が低い可能性がある

---

 その変化に、リオルは目を細めた。同じ苗、同じ地点への問いかけなのに、返ってくる情報が全く異なっている。ウサギの時は活きているウサギと捌かれたウサギで状態が大きく異なっていた。しかし今の豆は状況が違う。《鑑定》はただ対象についての固定的な情報を返すだけではなく、提示される内容そのものがリオルの思考に依存しているのではないか。昼食の時点で気づいていた仮説が、観察によって確信へと変わり始めていた。そしてその確信が深まるたびリオルには思い出せそうで思い出せない、もやもやした違和感が重なっていった。

 その観察を終えた時点で、ノエルがリオルの肩越しにノートを覗き込み、静かに口を開いた。

ノエル「質問の仕方で変わるんですね」

 リオルはその一言に、思わず顔を上げた。ノエルの表情は静かで、しかし確かな洞察が込められている。ノエルは、リオルが記録している間、その過程全てを見守っていた。

 リオル「そうみたいだね。同じ対象を見ても、何を知りたいかで、《鑑定》の答え方が変わる。つまりこの能力は情報を一方的に提示するんじゃなくて、まるでこちらの『質問に答える』形で機能してる」

 リオルはそこまで言って、一度沈黙した。その観察が意味する所は、極めて大きい。だが、なお多くのデータが必要だ。同じ条件下での繰り返し観察を、何度も何度も行わねばならない。

 リオル「毎日この区画を観察して、記録を取ろう。同じ条件だから、時間経過だけが変数になる。毎日違う苗を《鑑定》にかけることで、日による違いがあるか、あるとしたらどんなパターンで変わるのか。そういうのが見えてくるかもしれない」

 リオルの言葉に、ノエルは静かに頷いた。ノエルは既に、明日の観察に向けた準備を始めている。そうしたノエルの姿を見ながら、リオルは改めて井戸跡へと視線を向けた。ロウディアの灰色の大気の中で、小さな区画は、ただ静かに存在していた。その中に十本の苗は埋まり、朝日が昇り沈む中で、ゆっくりと時間を重ねていくのだろう。リオルは毎日、この地を訪れることになるのだ。毎日一本ずつ異なる苗を《鑑定》し、時間経過に伴う応答の変化を記録する。観察を続けることを、既にリオルの思考は決定していた。この灰色の大地で《鑑定》は何を教えようとしているのか。十本の苗は、その答えへの道標となる予感をさせていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

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