034
朝の光が、ロウディアの灰色の大地を淡く照らしていた。リオルとノエルは街道から外れ、かつて緑豆を植えた区画へ向かって歩いていた。
足元の土は相変わらず乾いており、踏みしめるたびに細かな粉塵が舞い上がる。風は穏やかで、遠くの丘陵からは鳥の声が微かに聞こえていた。
ノエルが足を止めた。彼女は鼻先を軽く動かし、周囲の空気を確かめている。
ノエル「リオくん。匂いが、違います」
リオルも立ち止まり、深く息を吸った。確かに何かが違う。
これまでロウディアを訪れた時には常に感じていた重く淀んだ空気の質感が薄れている。土の匂いも以前ほど乾ききった印象ではなかった。
リオル「本当だ。土の匂いが……少し、生きてる感じがするかな」
ノエル「はい。それに、空気も軽くなっているように感じます」
二人は歩みを再開した。緑豆の区画が見えてくる。
その瞬間、リオルは目を細めた。緑豆の苗が明らかに成長していた。前回訪れた時よりも背が高く、葉の色も濃い緑色をしている。
ただしそれは不自然な急成長ではなく、健康的な育ち方に見えた。
リオルは区画の前に膝をつき、土の表面を手で触れた。指先に伝わる感触は以前よりも湿り気を帯びている。
完全に乾ききっていたあの土とは明らかに違う状態だ。
リオル「土が、落ち着いてる」
ノエルもリオルの隣にしゃがみ込んだ。彼女は緑豆の葉を指先で軽く撫でる。
ノエル「葉の張り具合も良好ですね。魔力過多による肥大化ではなく、自然な成長に見えます」
リオルは《鑑定》を起動させた。脳内に情報が流れ込んでくる。
土壌の魔力密度、緑豆の生体反応、周辺環境の魔力流が次々と整理されていく。
《鑑定応答》
・土壌魔力吸収圧:前回比62%に低下
・魔力循環状態:安定・暴走傾向なし
・緑豆生体魔力反応:正常範囲内
・土壌水分含有率:前回比+18%
・推奨:現状維持で経過観測継続
リオルは《鑑定》を解除し、ゆっくりと立ち上がった。ノエルも彼に続く。
二人は無言で緑豆の列を眺める。風が吹き抜け、葉がわずかに揺れた。
リオル「この畑の区画限定ではあるけど、土壌の魔力吸収圧が前回の六割くらいまで下がってるみたいだ」
ノエル「それは……良い兆候ですね」
リオル「うん。魔力循環も暴れてない。緑豆自体の魔力反応も安定してる」
ノエルは腕を組んだ。その表情は穏やかだが、目には慎重な色が浮かんでいる。
ノエル「つまり、屑魔石を撒いたことで、土地が魔力を吸いすぎていた状態が緩和されたということですね」
リオル「そう。吸収圧が下がったから、緑豆が普通に育てられるようになった」
リオルは再び土に視線を落とした。灰色がかった土の表面に、わずかな緑の苔が生え始めているのが見える。
生命の兆しだ。だがそれは屑魔石が土地を豊かにしたからではない。ただ吸いすぎていた状態が止まっただけだ。
ノエル「うまくいっているように見えます」
ノエルの言葉には、確かな評価が含まれていた。だが彼女は一呼吸置いてから続けた。
ノエル「ですが、これを領地全体に続けるのは……現実的ではありませんね」
リオルは頷いた。ノエルの指摘は正確だ。
この小さな区画だけでも、屑魔石を砕き、均一に撒く作業には相当な手間がかかった。領地全体となれば、その規模は何十倍どころの話ではない。
大量の屑魔石を砕き続け、広い土地に撒き続ける。それを定期的に繰り返すとなれば、人手も時間も膨大に必要になる。
リオル「理屈としては、枯渇状態を解消し続ければ、いずれは正常な魔力循環に戻るはずなんだけど」
ノエル「それには……」
リオル「うん。領地全体に撒き続けるとなると、手間がかかりすぎる。もっと効率的な方法があるんじゃないかな」
ノエルは静かに考え込んだ。彼女の視線が、緑豆の列を追っている。
ノエル「つまり、方向性は間違っていないけれど……」
リオル「やり方を、変える必要があると思う」
その言葉を口にした瞬間、リオルの中で何かが引っかかった。
土地は今も魔力を吸っている。しかしそれは土地本来の性質ではないはずだ。かつてこの土地には人が住み、作物が育っていた記録がある。
つまり吸収圧がここまで高まったのは何らかの原因があったからだ。
その原因は既に分かっている。遺跡だ。
あの施設が魔力を吸い上げ続けた結果、土地全体が枯渇した。施設が停止した後も土地は魔力を求め続けている。吸い尽くされた結果として今も吸い続けているのだ。
リオルは区画の端を見つめた。ここに屑魔石を撒く作業を続けることに違和感がある。
方向性は正しい。だがもっと効率的な方法があるはずだ。領地全体の魔力循環をもっと根本から整える方法が。
思考が堂々巡りを始める。リオルはそれを自覚し、一度深呼吸をした。
焦る必要はない。一歩ずつ確認しながら進めばいい。
ノエル「リオくん」
ノエルの声が、リオルの思考を現実に引き戻した。彼女は真っすぐリオルを見つめている。
ノエル「もう一度、遺跡を見直すべきではないでしょうか」
その提案はリオルが心の中で考えていたことと重なっていた。
遺跡にはまだ見落としている何かがあるかもしれない。施設の構造、導管の配置、制御盤の機能をもう一度別の視点で観察すれば新しい手がかりが見つかる可能性がある。
リオル「同じ場所を、別の視点で見る、ってことだね」
ノエル「はい。今回の観測結果を踏まえた上で、もう一度」
リオルは頷いた。緑豆の成長は屑魔石散布の有効性を示している。
だがそれは同時にこの方法の限界も示していた。方向性は正しい。だがもっと効率的なやり方があるはずだ。
空の色が少しずつ明るくなっていく。朝の光が緑豆の葉を照らし、その緑色を鮮やかに浮かび上がらせていた。
リオルとノエルはしばらく無言でその光景を眺めていた。
やがて、リオルが口を開いた。
リオル「ノエル、このまま遺跡へ向かおう」
ノエルは少し驚いた表情を見せたが、すぐに理解した様子で頷いた。
ノエル「今日中に、ということですね」
リオル「うん。準備は昨日のうちに整えてあるし、今ならまだ時間がある」
二人は区画を後にした。足元の土は来た時よりも確かな手応えを感じさせる。
わずかな変化だがそれは確実に存在していた。ただしそれで満足することはできない。この変化は始まりに過ぎず、本当の答えはまだ先にあるのだ。
遺跡へ向かう道すがら、ノエルが静かに言った。
ノエル「リオくん。今回の観測で、一つ確かなことがわかりましたね」
リオル「何だろう」
ノエル「土地は、回復する力を持っているということです」
その言葉にリオルは少しだけ驚いた。効率の悪さや手間のかかりすぎるといった問題点ばかりに気を取られていた。
だが確かな成果もあったのだ。
――土地は、回復する。
完全に死んでいるわけではない。魔力を供給すれば吸収圧が下がり生命が戻り始める。それは土地がまだ生きている証拠だ。
問題点を数えることに夢中でその事実を見落としかけていた。
リオル「そうだね。まだ、間に合うかもしれない」
ノエル「ええ。だからこそ、次の一手を慎重に選ぶ必要があります」
リオルは前を向いた。丘陵の向こうにロウディアの遺跡が見えている。
どうすれば土地全体の魔力循環をもっと効率的に整えられるのか。その答えを探すために。
二人は黙々と歩き続けた。朝の光が二人の影を長く地面に落としている。
遺跡はもうすぐそこだ。
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