033
応接室の扉が閉まった。バルム・ガンザックは椅子に座ったまま、カップに残ったコーヒーの跡を見つめていた。
数秒の沈黙。
部屋の奥、棚の裏に隠された小扉が開いた。三人の人影が入ってくる。商会の幹部たちだ。鑑定担当のオズワルド、商品管理のミレイユ、実務統括のダリウス。
オズワルド「失礼します」
バルムは手で椅子を示した。三人はそれぞれ席につく。
バルム「ご苦労様。聞いていただろう」
ミレイユ「ええ。壁越しでしたが、よく聞こえました」
応接室の一部には、音が通りやすく設計された壁がある。本来は商会内部で判断材料を共有するための構造だ。バルムはそれを承知の上で、重要な商談では必ずこの部屋を使う。
ダリウス「あの若い領主、なかなか面白い提案をしてきましたな」
バルム「そうだな。だが、面白いだけでは取引はしない」
バルムはカップを置いた。
バルム「オズワルド、鑑定の評価を」
オズワルドは懐から小さな手帳を取り出した。
オズワルド「はい。リオル・アルトレイン卿が鑑定した品は、すでに正解が判明しているアイテムでした」
ミレイユ「試験、ということですか」
オズワルド「その通りです。目的は三つ。正誤、説明の筋、そして余計な情報を盛らないか」
オズワルドはページをめくった。
オズワルド「結果、正確でした。記録にない使用履歴や劣化理由まで拾っていた。腕は確かです」
オズワルドは手帳を閉じた。
オズワルド「ただし、まだ"見ていく段階"です。何でも任せられるわけではない。専門外の品や、政治的に扱いが難しい物には、慎重になる必要があります」
バルムは頷いた。
バルム「まあ、妥当な評価だな」
ダリウスが口を開いた。
ダリウス「鑑定の精度については問題ないと。では、人となりはどうでしょう」
オズワルド「落ち着いていました。若さゆえの焦りや、見栄を張る様子もない。質問には正直に答えていましたし、分からないことは分からないと言う誠実さもあった」
ミレイユ「従者の方も、よく教育されていましたね。所作が丁寧で、主への気配りも自然でした。たまに仕事で会う手練れの冒険者のような雰囲気を感じました」
バルム「あの二人、長い付き合いなんだろうな。信頼関係が見える」
ミレイユ「コーヒーについてはいかがですか」
バルム「面白い嗜好品だ。だが、量が出ない。ロウディアという土地条件も未知数だ。即商品化はしない」
バルムは指を組んだ。
バルム「こちらでも焙煎を試す。どれほど質に差が出るか検証しよう。もし不安定なら、商会主導で代替ルートも考える」
ダリウス「奪う意図ではなく、ですか」
バルム「当然だ。常に次の手を用意しておくだけ。商人として当たり前のことだ」
オズワルドが手帳に何かを書き込んだ。
オズワルド「焙煎の試験については、いつ頃始めますか」
バルム「すぐにでも。バンの実はうちにもある。温度管理ができる職人を数名選んで、小規模に始めよう」
ミレイユ「失敗のリスクもありますね」
バルム「構わん。試さなければ何も分からない。それに、失敗したところで損失は知れている」
ミレイユが小さく笑った。
バルムは立ち上がり、窓の外を見た。商業区の通りを、二人の人影が歩いている。リオルとノエル。その姿が人混みに消えていく。
バルム「総合評価だが……危険人物ではない。若いが軽くない。従者の所作や判断力を見る限り、教育水準は高い」
オズワルド「では、どう扱いますか」
バルムは窓から離れた。
バルム「まだ囲うほどじゃない。だが切る理由もない。今は"繋がっておく"が一番得だな」
三人は頷いた。
ダリウス「承知しました」
バルム「ああ、それと……」
バルムは振り返った。
バルム「あの従者。彼女、気づいていたかもしれんな」
ミレイユの目が大きくなった。
ミレイユ「え?」
バルム「応接室にいたとき、お前達のいる壁の方を何度か見ていた。音の反響、空気の抜け方、石材の継ぎ目、そのあたりか」
オズワルドが身を乗り出した。
オズワルド「それは……まずいのでは」
バルム「いや。むしろ興味深い」
バルムは指を組んだ。
バルム「彼女は気づいた。だが、指摘しなかった。その場で動きもしなかった。つまり、理解した上で黙っていた」
ダリウス「主を守るために、情報を整理していたと」
バルム「そういうことだ。戦闘能力だけではない。状況判断力と、冷静さがある」
バルムは小さく笑った。
バルム「賢い娘だ。主を守る術を知っている」
ミレイユ「それは……厄介ですか」
バルム「いや。むしろ好都合だ。相手が理解しているなら、話が早い。余計な誤解も生まれない」
ミレイユが小さく息を吐いた。
ミレイユ「それにしても、あの年齢であの冷静さ。並の従者ではありませんね」
オズワルド「領主とは幼馴染だと聞きました。長年の信頼関係があるのでしょう」
ダリウス「信頼できる右腕がいる、というのは強みですな」
バルムは窓から離れ、三人に向き直った。
バルム「鑑定の品が溜まり次第、また連絡を入れる。それまでは通常業務を続けてくれ」
三人は立ち上がり、一礼して退室した。小扉が静かに閉まる。
バルムは再び椅子に座り、カップを手に取った。冷めたコーヒーの香りが、まだ微かに残っている。
バルム「……なかなか、面白くなりそうだな」
リオルとノエルは商業区の通りを歩いていた。午後の陽射しが緩やかに傾き、建物の影が長く伸びている。
ノエルが隣を歩いている。いつもと変わらない足取りだが、その表情は静かだった。
リオル「……今日は、うまくいったかな」
ノエル「そうですね。商会長は、好意的に受け取ってくださったように見えました」
リオルは頷いた。
リオル「鑑定が仕事になるのは、大きい。コーヒーも、入口としては悪くなかった」
ノエル「ええ。ただ……」
ノエルは少し間を置いてから、続けた。
ノエル「あの部屋、少し音が響きやすかったですね」
リオルの足が一瞬止まった。それから、ゆっくりと歩き出す。
リオル「……ああ、なるほどね」
ノエルは何も言わなかった。ただ、視線を前に向けたまま歩き続ける。
リオル「聞かれてたかもしれない、ってことか」
ノエル「可能性として、です」
リオルは小さく息を吐いた。
リオル「でも、何も言わなかった」
ノエル「ええ。その場で指摘する理由がありませんでしたから」
リオルは空を見上げた。雲がゆっくりと流れている。
リオル「……商会は、そういう場所なんだな」
ノエル「はい。商人は常に次の手を考えます。今日の会話も、その一部だったのでしょう」
リオルは視線を戻した。
リオル「でも、だからこそ信頼できる部分もあるのかな」
ノエル「と、言いますと?」
リオル「利害で動くってことは、裏切る理由がなければ裏切らないってことだと思う。感情で動かれるよりも、予測しやすい」
ノエルは少し考えてから、頷いた。
ノエル「確かに。合理的な相手、ということですね」
リオル「うん。そういう意味では、付き合いやすいのかもしれない」
リオル「商会は味方じゃない。でも、敵でもない」
ノエル「利害が合う限りは動く相手、ですね」
リオル「そういうことだ」
二人は石畳の道を進んでいく。商業区の喧騒が少しずつ遠ざかり、住宅地の静けさに変わっていく。
リオル「……今日の成果を整理しよう」
ノエル「はい」
リオルは指を折りながら話し始めた。
リオル「商会と接点ができた。鑑定が仕事になることも確認できた。コーヒーは、武器じゃなくて入口として使えそうだ」
ノエル「それに、商会長の人柄も見えました」
リオル「抜け目ない人だった。でも、悪い人じゃなさそうだ」
ノエル「ええ。計算はしていますが、誠実さも感じました」
リオルは頷いた。
リオル「次は……鑑定の依頼が来るのを待つことになるのかな」
ノエル「その間にも、やるべきことはたくさんありますね」
リオルは少し考えてから、続けた。
リオル「ロウディアの土地調査を進めないと。作物の適性とか、水源の状態とか。まだ把握しきれてない」
ノエル「開拓の準備、ですね」
リオル「うん。あと……」
リオルは空を見上げた。
リオル「鑑定スキルの記録も、もう少し整理したい。どんな品を見たか、どんな結果が出たか。それを積み重ねていけば、パターンが見えてくるかもしれない」
ノエル「データの蓄積、ですね」
リオル「そういうこと。今はまだ手探りだけど、少しずつ形にしていきたい」
ノエルは微笑んだ。
ノエル「リオくんらしいですね」
リオル「……そうかな」
ノエル「ええ。一歩ずつ、確実に」
リオルは少し照れたように視線を逸らした。だが、その口元には小さな笑みが浮かんでいる。
リオル「そうだな」
二人は街の外れに差し掛かった。建物が減り、開けた景色が広がっていく。遠くに、ロウディアへ続く道が見える。荒野の向こうに、小さな村の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。
リオルはその方向を見やった。あそこが、自分の領地だ。まだ何もない、荒れた土地。だが、可能性はある。
リオル「……やるべきことは、まだたくさんある」
ノエル「はい」
二人は歩き続けた。夕暮れが近づき、空が少しずつ色を変えていく。街の音、風の音、足音。それらが混ざり合い、穏やかな午後の終わりを作り出していた。
リオルは前を見据えた。ガンザック商会との繋がりは、始まったばかりだ。鑑定の仕事、コーヒーの取引、情報の提供。小さな積み重ねが、やがて形になっていく。
次に何が起こるかは分からない。だが、一歩ずつ進んでいる。
それで十分だった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
面白い・先が気になると思っていただけたら、ブックマーク・ポイント・リアクション等応援してもらえると励みになります!




