032
リオルは懐から小袋を取り出した。バルムの視線がそれを追う。袋の口を開けると、中から焙煎したコーヒー豆を数粒取り出した。
バルム「……バンの実、ですか?」
リオル「はい。少し加工したものなんですけど」
リオルはノエルに目配せした。ノエルが頷き、バルムに尋ねる。
ノエル「お湯と茶器をお借りできますでしょうか」
バルム「ああ、もちろん」
バルムは部屋の隅にある呼び鈴を鳴らした。しばらくして扉がノックされ、商会の職員が顔を出す。
バルム「湯と茶器を三人分持ってきてもらえるかな」
職員「かしこまりました」
職員は一礼して部屋を出た。数分後、湯の入ったポットと茶器を載せた盆を持って戻ってくる。ノエルがそれを受け取り、職員に会釈した。職員は静かに退室する。
ノエルは手慣れた手つきでコーヒーを淹れ始めた。まず豆を挽いた粉を布フィルターに入れ、フィルターの形を整える。そこへ少量の湯を、円を描くようにゆっくりと注いだ。
粉が膨らみ始める。細かな泡が表面に浮かび、空気が押し出されていく。蒸らしの工程だ。香りが立ち上り、部屋中に広がっていく。焦げたような、それでいて甘さも感じさせる複雑な匂い。
バルムの鼻が微かに動いた。
バルム「……この香り。初めてですな」
リオル「バンの実を焙煎すると、こういう香りになるんです」
ノエルは三十秒ほど待ってから、残りの湯をゆっくりと注ぎ始めた。中心から外へ、螺旋を描くように。黒い液体がポタポタと滴り落ち、カップに溜まっていく。それをバルムに差し出す。
ノエル「どうぞ」
バルムはカップを手に取り、まず香りを確かめる。鼻を近づけ、ゆっくりと息を吸った。それから一口飲んだ。その目が大きくなる。
バルム「……これは」
二口目を飲む。三口目を飲む。その動作が止まらない。
バルム「苦いが、雑味がない。後味がすっきりしている。この苦みで頭が冴えますな」
リオル「コーヒーって呼んでます。バンの実を焙煎して、抽出したものです」
バルム「焙煎……火を通すということですか」
リオル「はい。ただ、温度と時間の管理が重要で」
バルムはカップを置き、豆を一粒手に取った。その表面を指で撫でる。表面は滑らかで、艶がある。
バルム「バンの実がこんな色になるとは……これは……どうやって作ったのですか」
リオル「熱処理の仕方を工夫したんです。詳細は企業秘密…というのもありますが、温度を含め手順が複雑でして」
バルム「なるほど。一つ一つの工程が、この味を作り出していると」
バルムは小さく笑った。首を軽く振り、カップを見つめる。
バルム「なるほど。企業秘密、ですか」
バルムは再びカップを手に取り、残りを飲み干した。
バルム「このコーヒー、量産はできますか」
リオル「今は難しいですね。作るのにも結構手間がかかりまして、私一人手作業で作っていました」
バルムの眉が上がった。
バルム「なんと、リオル卿自ら。確かにそれでは、このまま市場に出すのは厳しいですな」
リオル「ええ。ただ、将来的にはロウディアでコーヒーに適したバンの実……コーヒー豆の栽培も考えています。まだしばらく先になると思いますけど」
バルムの目が鋭くなった。
バルム「ほう、栽培」
リオル「バンの実にもいろいろ種類があるみたいで、コーヒーに向いてるものとそうでないものがあるんです」
バルムはテーブルに肘をついた。
バルム「なるほど。品種改良、ということですか」
リオル「それに近いです。土壌や気候も関係してくると思うので、試行錯誤が必要かなと」
バルムは腕を組んだ。
バルム「ロウディアの土地で栽培が成功すれば……独自の産物ができる」
リオル「はい。それまでは、栽培が軌道に乗るまでは、市販のバンの実を使う手もあると思います。その場合は……素材の調達をお願いできますか」
バルムは即座に頷いた。
バルム「もちろんです。バンの実なら、うちの商会でも扱っていますからな。品質の良いものを優先的に回しましょう」
リオル「助かります。焙煎に向いてる品種があれば、それも教えていただけると」
バルム「承知しました。産地ごとに特性がありますからな。いくつか試してみると良いでしょう」
バルムは指を組んだ。
バルム「そして、もし栽培が成功した暁には……」
リオル「はい。その時は、ぜひガンザック商会に」
バルムの笑みが深くなった。
バルム「ありがとうございます。長期的な取引というのは、我々商人にとって何より価値がある」
リオル「それまでの間なんですけど……バルムさんのお眼鏡に叶うなら、需要はありそうでしょうか」
バルム「ええ、間違いなく。この味なら、上流階級に受けるでしょうな。バンの実が元となれば眠気覚ましや覚醒作用等、気付けとしての効果も期待できるでしょう。研究者や軍人にも欲しがる者はいるでしょう」
リオル「それなら……数を用意できるまでは、少量だけ、なるべく立場ある貴族に流すというのはどうでしょう」
バルムの目が細くなった。指先がテーブルを一度叩く。
バルム「ほう。限定的に、ですか」
リオル「はい。噂レベルで広めておいて、実際に売りに出せる時には需要が高まっているように、というのを考えてまして」
バルムは一度深く息を吸った。それから、小さく頷く。
バルム「……なるほど。希少性を演出し、噂で価値を高める」
バルムはリオルを見つめた。その視線が数秒止まる。
バルム「具体的には、どのくらいの数を想定されていますか」
リオル「他の業務もあるので、月に三十杯分くらいだと思います。頑張れば六十杯くらいまでいけるかもしれませんけど」
バルム「三十から六十……なるほど」
バルムは指先でテーブルを軽く叩いた。
バルム「貴族や富裕層は、他人が持っていないものを欲しがります。『ガンザック商会の特別な客にのみ提供される飲み物』……そう銘打てば、箔がつく」
リオル「その代わり、品質は保証しないといけないですね」
バルム「もちろんです」
バルムは少し考えてから、続けた。
バルム「価格設定も重要ですな。安すぎれば価値が下がる。高すぎれば手が出ない」
リオル「どれくらいが適切でしょうか」
バルム「そうですね……一杯あたり銀貨二枚から三枚といったところでしょうか。貴族の社交の場で出せる価格帯です」
リオルは頷いた。銀貨二枚なら、宿に二泊できる金額だ。一般庶民には高すぎるが、貴族にとっては手頃な贅沢品になる。
バルムは指を組み直した。
バルム「利益の配分についてですが……月に三十杯として、銀貨二枚ずつなら六十枚。そこから原料のバンの実、容器、輸送費などで銀貨十枚ほどかかるでしょう。残り五十枚をどう分けるか、ですな」
バルムは少し考えてから、続けた。
バルム「リオル卿が三十枚、うちが二十枚というのはどうでしょう」
リオル「え、それだと商会の取り分が少なすぎるんじゃ」
バルム「いえいえ。売上としては小規模ですが、今は投資段階と考えています。貴重な品をうちに持ち込んでいただけるだけでも価値があります。コーヒーを目当てに来た客が、他の商品も買ってくれる可能性もある。それに……」
バルムの目が細くなった。
バルム「ガンザック商会が『特別な飲み物を扱っている』という評判も得られます。名が売れるというのは、商人にとって金以上の価値がある」
リオル「それでも……」
バルム「ああ、そうだ。もしもっと高く出すという貴族がいましたら、その時は差額を追加でお支払いしましょう。お互いに得をする。それが長く続く取引の秘訣です」
その声には確信があった。リオルは少し考えてから頷いた。
リオル「わかりました。では、そのように」
バルム「では、そのように進めましょう。私が選んだ顧客にのみ、特別に提供する。量産が可能になった時には、既に市場が待っている状態を作る」
バルムは指を組んだ。
バルム「リオル卿。困ったことがあれば、いつでもうちの商会を頼ってください。お互いに得なら、私は喜んで手を貸します」
その言葉は約束だった。リオルは頷く。
リオル「ありがとうございます。頼りにさせていただきます」
バルムは立ち上がり、リオルとノエルを扉まで見送った。廊下に出ると、バルムが最後に一言付け加えた。
バルム「ああ、そうだ。この辺境の商流や街の動き、冒険者たちの噂……そういった情報も、折を見てお伝えしましょう。商人の耳は意外と広い」
リオルは少し驚いた顔をした。
リオル「情報、ですか」
バルム「ええ。辺境で領地を治めるには、情報も武器になるでしょう。お互いに得をする関係が、一番長続きしますからな」
その言葉には、長期的な取引への布石があった。リオルは頷く。
リオル「助かります。よろしくお願いします」
バルムは満足げに頷いた。
バルム「では、また近いうちに。鑑定の品が溜まり次第、ご連絡しましょう」
リオル「はい、お待ちしています」
リオルとノエルは立ち上がり、バルムに一礼した。バルムもそれに応じて頷く。
二人は応接室を出て、階段を降りた。一階の吹き抜けでは、相変わらず商人たちと職員が行き交っている。商品を運ぶ職員、帳簿を抱えた商人、品定めをする客。それぞれが忙しなく動き回っている。
リオルは受付の女性職員に軽く会釈し、正面の扉へ向かった。女性職員は笑顔で会釈を返す。
扉を押し開けると、外の光が目に飛び込んできた。商業区の喧騒が耳に流れ込む。荷車の音、行商人の呼び声、石畳を踏む靴音。建物の中とは違う、活気に満ちた空気。
リオルとノエルは、通りへと歩き出した。午後の陽射しが二人の影を長く伸ばしている。
リオルは歩きながら、今日のことを振り返った。鑑定の契約、コーヒーの戦略、長期的な取引の約束。ガンザック商会との繋がりは、ロウディアにとって重要な基盤になるだろう。
ノエルが隣を歩いている。視線を前に向けたまま、静かに歩調を合わせている。
二人は商業区の通りを進んでいく。人々の声、商売の音、街の息遣い。それらが混ざり合い、ファルドという街の日常を作り出している。
リオルは前を見据えた。やるべきことは、まだたくさんある。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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