031
応接室の空気は静かだった。窓から差し込む午後の光が、磨かれたテーブルの表面をわずかに照らしている。部屋の奥には商会の帳簿が並んだ棚があり、壁には街道の地図が額に収められていた。テーブルの前には革張りの椅子が二脚並び、座面には使い込まれた柔らかさがある。窓の外からは荷車の音と、商人たちの声が微かに聞こえていた。
廊下の向こうから重厚な足音が近づいてきた。リオルは背筋を正し、ノエルは一歩下がって控える姿勢を取る。扉が開く音がして、一人の男が応接室に入ってきた。
背はさほど高くない。太り気味にも見える体格だが、その動きは軽い。髪は灰色まじりの黒でオールバックに撫でつけられている。柔和な笑顔がその顔に浮かんでいたが、目だけは一切笑っていなかった。
男「お待たせしました。私がガンザック商会の会頭、バルム・ガンザックと申します」
バルムは手を差し出した。リオルは立ち上がり、その手を握る。握手の力は適度で、無駄な圧力がない。
リオル「リオル・アルトレインです。突然の訪問で申し訳ありません」
バルムの目がわずかに細くなった。
バルム「アルトレイン……ああ、ロウディアの領主としてお越しになられたという。これはこれは」
その声には微かな驚きが混じっていた。不毛の地として知られるロウディア。その領地を任された若い貴族の噂は、商人の間でも流れていたのだろう。
バルム「いえいえ、アポなしでも構いませんよ。こちらへどうぞ」
バルムは椅子を勧めた。リオルが座ると、ノエルはその後ろに立って控えようとする。バルムはそれを見て、わずかに目を細めた。
バルム「従者の方も、どうぞお掛けになってください。……少々お待ちを」
バルムは部屋の隅から簡素な椅子を一脚持ってきて、リオルの斜め後ろに置いた。ノエルは一瞬躊躇したが、会釈をしてから腰を下ろす。バルムはテーブルの向かい側に座り、指を組んでリオルを見つめた。視線は穏やかだが、その目はリオルの表情、服装、手の動きを順に追っている。
バルム「それで、本日はどのようなご用件でしょうか。領主様が商会を訪ねられるとは、何か特別なご要望でも」
その声は丁寧だが、テンポが早い。無駄な言葉を削ぎ落としている。
リオル「はい。実は……鑑定の仕事を紹介していただけないかと思いまして」
バルムの眉がわずかに上がった。
バルム「鑑定、ですか。それは珍しい」
リオルは懐から一通の封書を取り出した。
リオル「以前、学士棟でアデリナ・フィール先生に鑑定を見せる機会がありまして。その時に書いていただいた紹介状です」
バルムは封書を受け取り、封を切った。中の羊皮紙を広げ、目を通し始める。視線が左から右へ、ゆっくりと動いていく。その動きが途中で止まり、また動く。バルムの目が一度細くなった。
バルム「アデリナ先生……ああ、あの魔力流体論の才女と言われた」
バルムは手紙を読み進めた。その視線が再び行の途中で止まり、もう一度最初に戻る。手紙を二度読み返してから、バルムはそれをテーブルに置いた。
バルム「なるほど。『通常の鑑定とは異なり実用性まで読み解く』……と。つまり、リオル卿の《鑑定》は、詳細な情報まで引き出せる、ということですか」
その声は落ち着いているが、言葉の選び方は慎重だ。
リオル「はい。使い方や再利用の可能性なんかも、ある程度わかると思います」
バルム「なるほど。では……試しに一つ、見ていただけますか」
バルムは立ち上がり、部屋の隅にある棚から何かを取り出した。それは布に包まれた小さな塊だった。バルムはそれをテーブルの上に置き、布を開く。
中には黒ずんだ金属の塊があった。表面は錆び、形状は不定形だ。一見すると何の価値もないゴミのように見える。
バルム「これは先月、冒険者から買い取った品です。魔石の一部だと言われたのですが……正直、価値があるのか判断がつきませんでしてね。冒険者も拾ったもので、処分がてら安くでいいから買い取ってほしい、後で価値がわかっても文句は言わないとのことでして」
バルムの声には僅かな試すような響きがあった。リオルはその塊を手に取り、《鑑定》を発動した。
《鑑定応答》
・対象:劣化魔石核(火属性)
・状態:外殻腐食・内部結晶50%残存
・再利用可能性:高
・推奨処理:外殻除去後、粉砕して触媒素材として転用可能
・市場価値:そのまま→ほぼ無価値/処理後→中級触媒1回分相当
・注意:腐食層に微量の毒性あり。素手での長時間接触は非推奨
リオルは塊をテーブルに戻した。バルムがその動きを見つめている。
リオル「これ、劣化した魔石の核ですね。外側は腐食してますけど、中には結晶が半分くらい残ってるんじゃないかと思います」
バルム「……ほう」
バルムの表情は変わらない。だがその目の奥に何かが灯った。
リオル「外殻を削って中の結晶を取り出せば、粉砕して触媒素材として使えるかもしれません。中級触媒一回分くらいにはなるんじゃないかな」
バルム「触媒、ですか。それは興味深い」
リオル「はい。火属性の触媒として転用できると思います」
バルム「……他に何か気づいたことは?」
リオル「腐食層に微量ですけど毒性があるみたいなので、長時間素手で触るのは避けた方がいいと思います」
バルム「なるほど。取り扱いの注意点まで」
バルムは一度深く息を吸った。それから柔和な笑みを浮かべる。今度はその目も少しだけ笑っていた。
バルム「なるほど。素晴らしい。私も何人かの鑑定師に見せましたが、皆『劣化魔石、価値なし』で終わりでした。なにせ一応魔石ですからな。軽はずみに削ったり壊して調べることもはばかられましてな」
その言葉には明確な評価が含まれていた。バルムは指先で塊を軽く叩く。
バルム「では、もう一つ。こちらはどうでしょう」
バルムは再び棚へ向かい、今度は小さな木箱を持ってきた。箱を開けると、中には青い液体が入った小瓶が三本並んでいる。
バルム「これは旅商人から仕入れたものです。『癒しの秘薬』と言われましたが……使った者がおらず、正体不明のままでして」
リオルは瓶の一つを手に取った。青い液体は微かに光を帯びている。《鑑定》を発動する。
《鑑定応答》
・対象:希釈済み回復薬(劣化品)
・成分:薬草エキス40%・水55%・保存用アルコール5%
・効果:軽傷の治癒促進(効果は通常品の30%程度)
・危険性:なし。ただし保存期限切れ間近(残り2ヶ月)
・市場価値:通常の回復薬の1/3程度
・推奨用途:練習用・非常時の補助薬として
リオル「これは希釈された回復薬ですね。効果は通常品の三割くらいだと思います」
バルム「……希釈、ですか」
バルムは眉を寄せた。
リオル「はい。薬草エキスが四割、残りは水と保存用のアルコールです」
バルム「なるほど。危険性は?」
リオル「ないです。ただ、保存期限があと二ヶ月くらいかもしれません」
リオルは瓶を光にかざし、色を確認する。
バルム「二ヶ月……『癒しの秘薬』というには、大げさすぎましたか」
リオル「そうですね。ただ、練習用とか非常時の補助薬としては使えるんじゃないかと」
バルムは瓶を手に取り、光にかざした。その目が細くなる。
バルム「つまり、価値はゼロではない、と」
リオル「はい。用途を絞れば売れると思います」
バルムは瓶を箱に戻した。それから金縁の丸眼鏡をかけ、リオルを見つめた。
バルム「リオル卿。あなたの《鑑定》は、商売にとって非常に価値がある。在庫の中には、こうした『判断が難しい品』が山ほどあるのです」
バルムの声は穏やかだが、その言葉には確かな熱があった。
バルム「冒険者が持ち込む素材、旅商人が売りつける怪しい品、倉庫に眠る正体不明の在庫。それらを正確に値踏みできる鑑定師は……正直、ほとんどいません」
リオルは少し驚いた表情を見せた。
リオル「そう、なんですか」
バルム「ええ。死蔵していた在庫が新たに売れるようになるというのは思っているよりも、我々としましても助かりますな」
リオル「お役に立てるなら嬉しいです」
バルムは眼鏡を外し、テーブルに置いた。
バルム「あなたとは、長く取引したいですね。鑑定の仕事、喜んでお任せしましょう」
リオル「本当ですか」
その言葉は契約の宣言だった。リオルは少し驚いたが、すぐに頷いた。
リオル「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
バルム「では、条件を詰めましょうか。鑑定は一品につき……そうですね、銀貨五枚から。品の難易度によって上乗せします」
銀貨一枚は宿一泊分に相当する。五枚なら、冒険者の小規模な依頼一件分だ。一品の鑑定でそれだけの報酬というのは、決して安くない。
リオル「はい、問題ありません」
ノエルが隣で小さく息をついた。銀貨五枚は、一般的な鑑定料の倍以上だ。
バルム「品が溜まり次第、随時ご連絡します。こちらの倉庫にも正体不明の在庫が山ほどありましてね」
リオル「どれくらいあるんですか」
バルム「そうですね……五十品はくだらないでしょう」
バルムは小さく笑った。その笑みには、商人としての期待が混じっている。
リオル「わかりました。お待ちしています」
リオルは少し間を置いてから、懐に手を伸ばした。中には小袋がある。バルムはその動きを見ていたが、何も言わなかった。
鑑定の契約は成立した。ガンザック商会との取引が、これで正式に始まる。リオルは小袋から手を離し、バルムに向き直った。
リオル「……あと、実は一つ、試していただきたいものがあるんですけど」
バルムの目が、わずかに細くなった。
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