003
ノエルは剣を振るった後、慣れた手つきで鞘に収めた。戦場の緊張が解け、いつもの穏やかな空気に戻る。先程の戦闘に加え、残心とともに剣をしまう彼女の動きには磨き抜かれた芯の強さが漂い、隠れた実力が露わになっていた。
リオルはその姿を見つめながら、驚きと感心を隠せないでいる。彼女がこれほどの力を持っていたとは、予想していなかったのだ。いや、ある程度強い事は知っていた。だがこれほどまでとは。
リオル「ノエル、こんなに強かったんだ……。知らなかったよ」
彼の問いかけには、驚愕と新たな尊敬がにじんでいた。ノエルは微笑みを浮かべ、彼が期待する以上の答えを用意している。
ノエル「ふふ、はしたなく自慢するのは、メイドとして相応しくないですから」
そう機嫌良さげに語尾を上げ、いたずらっぽく微笑んだ。その目にはリオルをからかうような輝きがあった。
ノエル「……というのもありますが、リオくんのお側にいるためにはなるべく目立たない方が何かと僥倖かと思いまして」
リオルは心の中で、ノエルの言葉の真意をじっくりと咀嚼していた。武力もあり見目も良い有能なメイドとなれば、父付きになったり、王家から直接呼びがかかるかもしれない。彼女が自らの力を隠し続けてきた理由は、ただ自分を傍で支え続けるため。おこり得るあらゆるケースを考慮に入れ、未来を見据えて行動してきたのだろう。その上で、こんなにも自分と一緒にいたいと願ってくれていることに、喜びの思いが溢れ出る。父の屋敷で働けば安定した地位と待遇が約束されていただろう。王家から声がかかれば、名誉ある立場が保証されていたはずだ。それなのにノエルは、その全てを捨てて自分の傍にいることを選んだ。いや、選び続けるために、あえて力を隠してきた。その事実が、リオルの胸を熱くさせる。
リオル「ありがとう、ノエル。僕のためにそこまでしてくれて……本当に」
リオルの言葉には、感謝以上の何かが込められていた。それは尊敬であり、信頼であり、そして言葉にできない温かな感情だった。ノエルは微笑みを深め、その瞳には柔らかな光が宿る。
ノエル「ふふ、リオくん。私はリオくんの所有物ですから、当然のことをしているだけですよ」
その言葉に、リオルは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに理解した。彼女の言う「所有物」という言葉には、卑屈さのかけらもない。それは誇りであり、選択であり、彼女自身が望んで手に入れた立場だった。ノエルは本心からそう思っており、それが彼女にとって何よりも嬉しいことなのだと、リオルは理解している。今更これが自惚れなのか等とは思わない、二人はその程度の段階はとうに過ぎている。
そう、彼女は自分の意志で、リオルの「もの」になることを選んだのだ。それは束縛ではなく、自由の形だった。
リオル「……そうだね。じゃあ、これからもよろしく頼むよ、ノエル」
リオルは少し照れくさそうに視線を逸らし、周囲を見渡した。夕陽は既に地平線に近く、空の紺色は徐々に深まっている。残された光はわずかだった。
リオル「そろそろ日が沈むね。宿に戻らないと」
ノエル「ええ、今日は色々と収穫がありましたね。ロウディアの土壌サンプルも採取できましたし、周辺の魔物の生態も確認できました」
ノエルは冷静に今日の成果を整理する。リオルも頷きながら、先ほどの戦闘を振り返った。
リオル「…まあ、なにもわからなかったけどね。フィルウルフが出るということは、この辺りにはまだ魔物がいるかもしれないね。でも、脅威度は『低』だったから、魔術一発で倒せた。さすがにここらへんに出る獣に魔法耐性があるとも思えないしね」
ノエル「リオくんの魔術、とても正確でしたよ。詠唱の流れも、以前より滑らかになっていました」
ノエルの言葉に、リオルは少し誇らしげな表情を見せた。日々の訓練と研究の成果が、こうして実戦で形になるのは嬉しいものだった。
リオル「ありがとう。でも、詠唱にはまだ時間がかかりすぎる。もっと効率化できるはずなんだけどなあ。これ以上はなにか、決定的なブレイクスルーが必要な気がする。そんなに遠くない予感はしてるんだけど…」
ノエル「ふふ、リオくんらしいですね。戦闘が終わった後に、もう次の改善ですか?」
彼女の声には、呆れと愛おしさが入り混じっていた。リオルは少し気恥ずかしそうに笑う。
リオル「癖みたいなものだよ。それに、今日みたいに二体目が来たとき、ノエルがいなかったら苦戦したはずだ。僕一人じゃ、あんなに速く、正確には倒せない。さすがに死にはしないだろうけど、もう少し泥臭い勝利になってたはずだ」
ノエル「それは、私とリオくんの役割が違うからです。単なる前衛・後衛の話ではありません。リオくんは観測し、理解し、最適化する。私はそれを守り、実行する。それでいいのではないでしょうか?」
その言葉に、リオルは深く頷いた。確かに、二人で一組なのかもしれない。自分が考え、ノエルが動く。そのバランスが、今日の戦闘でははっきりと見えた気がした。
ノエル「それに先程も言いましたが、私はリオくんの所有物です。私が強いということはリオくんが強いということと同義です」
二人は並んで歩き始める。枯れ葉を踏む音が、静かなリズムを刻んでいた。夕暮れの森は、昼間とは違う静けさに包まれている。小川のせせらぎが遠くで聞こえ、時折、鳥の鳴き声が響いた。
リオル「ファルドに戻ったら、今日のデータをまとめないとね。土壌サンプルの詳細な分析と、フィルウルフの生態記録かな。フィルウルフについてはそこまで詳しくはわからないか…。まあ毛皮とかは持ってこれたし」
ノエル「宿に戻ったら、まずは夕食ですよ。リオくん、お昼もほとんど食べていなかったでしょう?」
ノエルの指摘に、リオルははっとした表情を見せた。確かに、調査に夢中になって、昼食は簡単にパンを齧っただけだった気がする。
リオル「あ、そうだったかも……」
ノエル「まったく、リオくんは研究に没頭すると、自分のことを忘れてしまうんですから。ちゃんと私が見ていないとだめですね」
ノエルは少し呆れたように言いながらも、その表情は柔らかかった。リオルは申し訳なさそうに笑う。
リオル「ごめんね、いつも気を使わせて」
ノエル「いいえ、それが私の役割ですから。それに……」
ノエルは少し言葉を切り、リオルの方を見た。その瞳には、言葉にならない何かが宿っている。
ノエル「リオくんのそういうところ、嫌いじゃないですよ」
その言葉に、リオルの胸が少しだけ温かくなった。彼は照れくさそうに視線を逸らし、話題を変える。
リオル「そういえば、ファルドの人たちには、まだ僕たちのことを詳しく話してないよね。ロウディアの領主だってことは」
ノエル「ええ、今のところは『王都から来た若い貴族とその従者』という扱いです。宿の主人にも、『辺境地域の調査をしている』とだけ伝えてあります」
リオルは頷きながら、その判断の正しさを噛みしめた。ロウディアは長年放置されていた不毛の地だ。そこに突然、アルトレイン家の三男が領主として現れたと知れば、周辺地域の反応は複雑だろう。期待よりも、疑念や侮蔑の方が大きいかもしれない。
リオル「いずれはバレるだろうけど、今はまだ情報を集める段階だからね。ファルドの領主がどんな人物か、この地域の商人や住民がどう考えているか。そういうことを知ってから、正式に名乗り出た方がいい」
ノエル「賢明な判断ですね。それに、リオくんが追放されたことは、おそらく周辺地域にも伝わっているでしょう。先入観を持たれる前に、実績を作っておく方が得策です」
ノエルの言葉は冷静で、現実的だった。リオルは少し苦笑する。
リオル「確かに《観測士》で《鑑定》だけじゃ、戦闘では役に立たないって思われるよね。父も、兄たちも、そう思ってたんだろうな」
ノエル「でも、リオくんは本当は無能なんかじゃありません。ただ、彼らが理解できない方法で優れているだけです」
ノエルの言葉には、確信に満ちた強さがあった。リオルはその言葉に励まされ、少しだけ胸を張る。
リオル「ありがとう、ノエル。君がそう言ってくれると、頑張れる気がするよ」
二人の会話は、自然と未来の計画へと移っていく。ロウディアをどう開拓するか、ファルドとどう関係を築くか。資金はどう調達するか、人手はどう集めるか。課題は山積みだが、リオルの中には不思議と希望があった。
それは、隣を歩くノエルの存在があるからかもしれない。彼女がいれば、どんな困難も乗り越えられる気がする。そんな確信が、リオルの心を支えていた。
森の向こうに、ファルドの町の明かりが見え始めた。小さな町だが、そこにはランプの温かな光が灯り、人々の営みが息づいている。リオルとノエルは、その明かりに向かって歩みを進めた。
夕闇が深まり、最初の星が瞬き始める。二人の影が、道の上で静かに揺れていた。その影は、互いに寄り添うように並んでいて、まるで一つになろうとしているかのようだった。
リオルは横目でノエルを見る。夕陽の残照が、彼女の横顔を淡く照らしていた。赤みを帯びた茶髪が、光の角度で柔らかく輝いている。黒縁のメガネ越しに見える瞳はいつもと同じように穏やかだった。
いつからだろう、ノエルのことをこんな風に意識するようになったのは。幼い頃は、ただの幼馴染だった。気兼ねなく話せる、信頼できる友人だった。でも今は、彼女の笑顔を見るたびに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
それが何を意味するのか、リオルはまだはっきりとは理解していない。でも、いつか――そう遠くない未来に、その答えが自然と見えてくる気がしていた。
ノエル「リオくん、もうすぐ町ですね」
ノエルの声が、リオルの思考を現実に引き戻した。彼は視線を前に戻し、町の明かりを見つめる。
リオル「うん。今日はもう遅いから、宿でゆっくり休もう。明日からまた、本格的に動き出す」
ノエル「ええ。これからのリオくんとの生活、楽しみにしてますよ」
彼女の言葉には、信頼と期待が込められていた。リオルはその言葉に背中を押され、前を向いて歩き出す。ファルドの町が、二人を静かに迎え入れようとしていた。新しい土地、新しい挑戦。全てが、これからの未来への期待と不安を予感させていた。
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