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辺境観測士、鑑定AIで魔術を最適化する~今日もデータ片手に、幼馴染とまったり研究生活~  作者: hiyoko


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 夜明けが来る前の静寂の中、庭に佇む人影があった。地面は冷たく、朝露が草を濡らしている。その中で、ノエルは青い刀身を持つ剣を握っていた。新しい刀。その上品な一閃が、薄紫色の空気を切り裂いていく。

 リオルは寝室から庭へ出た。意識はまだ完全に覚醒していないが、何か音がしたことで目が覚めたのだ。そして、その音の正体を視界に捉えたとき、リオルの呼吸は止まりかけた。

 線の切断に特化した動き。ノエルの左肩が柔らかく引かれ、その次の刹那に腕が伸びきる。刀身が大きくしなり、その湾曲のピークで切り込まれた空気が引き裂かれるような音が響く。体軸はぶれず、脚部の力が全身に伝播し、手首の返しで刀身が一瞬だけ浮き上がる。その瞬間が、次の動きへの転換点となっていた。軽いステップで重心を移す。その全てが、研ぎ澄まされた一連の流れとして成立していた。

 リオルは息をするのも忘れて、その動きを追った。ノエルの姿は、今までのどの瞬間より、洗練されて見えた。家で剣を取るのは珍しくない。だが、その切り方が今日は明らかに異なっていた。切断ではなく、刀身を使った投影。空間そのものを引き裂くような、そうした力強さが感じられた。

 そして同時に、ロウディアの遺跡でゴーレムと戦う彼女の姿が、脳裏に蘇った。攻撃を避ける動き。防ぐ剣。そして、自分が背後にいて、何もできなかった。その記憶の中で、ノエルの剣は何度も、自分を守るように動いていた。

 刀を下ろしたノエルが、その時初めてリオルの存在に気付いた。彼女は少し恥ずかしそうに、そして静かに笑みを浮かべる。

ノエル「おはようございます、リオくん。起きてしまいましたか」

 その声は穏やかで、呼吸も整っている。素振りの連続でも、全く乱れていないようだった。

リオル「あ、ごめん。音で目が覚めちゃって」

 リオルは庭へ下りてくる。朝露が靴を濡らしたが、リオルは気にしなかった。ノエルの隣に立ち、その手にある刀を見つめた。

リオル「新しい刀、よく馴染んでるね。……あの遺跡でノエルがいなかったら、僕は」

 言葉は最後まで続かなかった。だが、ノエルはそれで十分だった。ノエルは剣を静かに下ろし、リオルに向き直った。

ノエル「リオくん。私だけではあの状況を突破できませんでしたよ。2人で突破したのです」

 ノエルの言葉は、リオルを責めるのではなく、別の観点から認めるものだった。その言葉を聞きながら、リオルはあの戦いの中でのノエルの動きを思い出していた。攻撃を避け、防ぎ、何度も自分を守るようにして動く彼女の姿。あの瞬間、リオルはただ後ろにいることしかできなかった。

 静寂が二人の間に生まれた。朝日がリオルの顔を照らしていた。

リオル「ノエル。僕も鍛えたいんだけど。最低限、自分を守れる力が必要だと思う。魔術主体だから後衛には違いないけど、せめてノエルが駆けつけるまで時間を稼げる程度の」

 その言葉が放たれた時、ノエルの瞳に驚きが浮かんだ。だが、すぐにそれは消えた。代わりに、何か確認するような、あるいは待っていたような表情へ移っていった。

ノエル「そうですか。わかりました」

 ノエルの返答は短かったが、その中には確かな嬉しさが含まれていた。

 その後、二人は家に入った。朝食を用意し、食事の席についた時、ノエルはリオル用の基礎鍛錬メニューを提示した。ノエルは小さなノートに、簡潔に記していた。

ノエル「基本となるのは体幹です。毎朝、軽いジョギングで心肺機能と脚部を鍛える。その後、体幹安定のための運動を」

 ノエルは手で自分の胸部と腹部を指しながら説明していく。

ノエル「柔軟性も大切ですね。朝夜、十分程度の柔軟を習慣にしてください。まずは戦いのための体を作っていきましょう」

 ノエルの提案は全て実行可能な規模のものだった。無理な負荷をかけず、しかし確実に効果を生む。その設計には、ノエルの経験が詰まっていた。

ノエル「最後に。余裕が出てきたら、握りや体軸の使い方など、基本的なことをお教えします。あなたが自分の武器を持つようになれば、なお良いのですが」

 リオルはその説明を聞きながら、何度も頷いていた。ノエルの言葉には、リオルを強くしたいという意思が明確に流れていた。

リオル「実家にいたときもある程度の鍛錬はあったけど、やらされているものだったからね。これからは自分の意思でしっかり行うよ」

 その言葉を聞いたノエルは、口に運んでいた紅茶のカップを一度机に置いた。その動作は何もないように見えたが、その後にノエルの目はリオルの顔へ向けられていた。その視線には、何かを確認するような色があった。

ノエル「そうですか。……では、どうでしょう。朝の鍛錬で私も同行させていただくというのは」

 ノエルの言葉は穏やかだったが、その後に続く言葉を選ぶまでの間隔が、いつもより長かった。

ノエル「リオくんに色々アドバイスもできますし。何より」

 ノエルは紅茶を再び口に運んだ。その一瞬の間に、何かがノエルの表情を柔らかくしているのが見えた。ほんの微かに、口角が上がったような。その変化は、意図的なものではなく、ノエルの中に生まれた何かが自然に表れたものに見えた。

ノエル「何かを継続するには、一人よりも二人の方が長続きするのではないでしょうか」

 リオルはその提案に頷いた。実はリオル自身も同じことを言おうとしていたのだが、相手が先に口にしたことで、会話の流れはそのまま続いていった。二人の考えが同じ地点に到達していたことに、リオルは静かに安堵していた。

 話題は、食事の進行とともに別のものへ移った。

リオル「そういえば、屑魔石をどこから調達するかだけど」

 ロウディアの魔力飢餓を解決するには、微量であっても継続的な魔力供給が必要だ。それには大量の屑魔石が要る。

ノエル「屑魔石ですと、在来の販路では難しいでしょう。わずかな魔力しか残らない石は、商会にとって在庫価値がないのです」

 ノエルの指摘は妥当だった。そうした低価値の石を扱う販路など、通常は存在しない。リオルはその言葉の意味を理解しながら、ノエルの次の言葉を待った。

ノエル「ですが、冒険者ギルドでしたら、話が変わると思われます」

リオル「ギルド?」

 リオルの短い問いに、ノエルは静かに頷きながら説明を続けた。

ノエル「はい。冒険者ギルドは、素材の持ち込みや依頼報酬の処理を扱っています。その中には、魔力を消費し尽くした魔道具や、完全に劣化した魔石も含まれます。特に屑魔石は、魔力がほぼゼロに等しいため、塵も同然の在庫です。そうした『価値ゼロの在庫』は、処分扱いでしたら安価に入手できるはずです」

 リオルは、その提案に頷いた。ギルドは、この世界では多くの情報と物資が集約される場所だ。確かに、屑魔石の様な「価値ゼロのもの」を大量に扱っているかもしれない。

リオル「じゃあ、ギルドへ行こうか」

 決定は素早く下された。

 午後、リオルとノエルはファルドの中心部にある冒険者ギルドへ向かった。建物は石造りで、素朴だが堅牢な造りだった。内部は喧騒に満ちていた。素材を売りに来た冒険者、依頼をうけようとする者たち、報酬金を受け取る者。その全てが、狭い空間の中で混在していた。

 受付は中年の女性だった。リオルを見ると、すぐに礼儀正しく頭を下げた。おそらく、領主であることを何らかの形で認識したのだろう。

ギルド受付「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」

 リオルは用件を直截的に述べた。

リオル「屑魔石が欲しいんですけど。大量に」

 その一言で、受付員の表情が変わった。驚きが、一瞬だけ顔に浮かぶ。屑魔石という、通常ほぼ相手にされない品を求める領主は、受付員の経験の範囲外だったようだ。

ギルド受付「屑魔石、ですか。そのようなものをお探しで……?」

 その後ろめたさのような響きは、屑魔石がいかに価値のないものかを物語っていた。

ノエル「研究用途でして。できるだけ大量にお願いしたいのですが」

 ノエルが静かに補足した。彼女の丁寧語と上品な所作が、受付員の印象を緩和したのか、相手は頷いた。

ギルド受付「かしこまりました。倉庫に相当量ございます。確認してまいります」

 受付員は奥へ消えた。その後、ギルド内のあちこちで、小さな囁きが聞こえた。

 「あのメイド連れた貴族の冒険者だ。屑魔石?」

 「何する気なんだ……」

 リオルは以前も来ているはずだが、今回の目的は明らかに異なっていた。ギルド内の何人かが、リオルを横目で観察している。屑魔石という、価値ゼロのゴミを大量に欲しいという貴族。その意図は、ギルドの人間たちの好奇心をそそるのに十分だった。

 受付員が戻ってきた時、複数の布袋を抱えていた。その中身は、灰色の無機質な石片の塊だ。全て、魔力を完全に失った屑魔石だった。

ギルド受付「こちらが、現在の在庫でございます。このような石でよろしければ、相応の価格でお譲りすることが可能です」

 価格は、リオルの予想より遥かに安かった。実質、処分費に近い。ギルドにとっても、こうした在庫は邪魔なのだろう。

ノエル「ありがとうございます。大変助かります」

 ノエルは丁寧に礼を述べた。その作法と言葉遣いが、ギルド側の印象を確かに好くしたのか、受付員は満足げに頷いた。

 帰宅後、リオルとノエルは屑魔石を粉砕する準備に取り掛かった。木槌と石臼の代用品を使い、布袋に入った石片を細かく砕いていく。石臼が机の上で滑りかけたとき、ノエルが素早く手をかけて支えた。その間、粉塵が舞い上がり、リオルが咳き込んだ。

ノエル「申し訳ありません。粉をかぶってしまいましたね」

 ノエルは湿った布巾でリオルの顔を優しく拭いた。その動作には、研究を支える従者としての気遣いと、慈しむような温かい微笑みがあった。

 その後、二人は黙々と作業を続けた。石を砕く音。粉が袋に落ちる音。それらが夕方まで繰り返された。

 夕方までに、大量の屑魔石粉末が完成した。ノエルは各袋に計測した質量を記入していく。その傍で、リオルは窓の外のロウディアの夕日を眺めていた。

リオル「今日一日で、ずいぶん進んだね」

ノエル「はい。朝の鍛錬メニューから始まって、ギルドでの調達、そして粉砕と。本当に多くのことが成されました」

 ノエルは丁寧に袋を整理しながら、ロウディアの灰色の大地へ視線を向けた。

ノエル「本当に効果があれば……ロウディアは変わりますね」

 その呟きは静かだが、確かな期待を含んでいた。リオルもその言葉に応じるように、同じ景色を見つめた。

リオル「やるだけやってみようと思う。土地が飢えてるなら、まず食べさせないと。それが第一歩だ」

ノエル「そうですね。小さな成功を積み重ねていきましょう」

 リオルの言葉には確信があった。それは観測と仮説の積み重ねの末に到達した、実行への決意だった。同時に、毎朝のジョギング、毎晩のストレッチ。自分の身を守り、ノエルと共に歩むためのもう一つの歩みが、既にリオルの中で始まっていた。

 夜が更けていく中、リオルは机に座り、粉砕した屑魔石の粒度と混合度を細かく見ていた。粉の中には、不純物が混ざりやすい。その混ざり方が、撒く場所の土性によってどう変わるか。それはまた別の観測課題だった。

リオル「明日からの試験、うまくいくといいんだけど」

ノエル「そうですね。小さな変化を見逃さないようにしましょう」

 ノエルはその傍で、明日の行動予定を確認していた。採集地点の地図に、試験区域の印をつけていく。

 二人の準備は着実に進んでいった。屑魔石の粉末が詰まった袋。採集地点の地図。それらの一つ一つが、ロウディアの復興へ繋がる小さな光となっていた。

リオル「明日は、最初の試験だ。小さな成功を積み重ねる」

ノエル「はい。土地が飢えているなら、食べさせてあげましょう」

 窓の外は、月夜の光に照らされていた。ロウディアの大地は、相変わらず灰色に沈んでいる。だが、机の上に並んだ屑魔石の粉末は、わずかに白く光っていた。それは、小さな光。だが、その光が明日のロウディアを変えるかもしれない。リオルはそう思いながら、ノエルの横に並んだ。ノエルも、同じ光を見つめていた。

リオル「撒いたあとは、何日か様子を見る必要があるから、その間に学士棟とか商会とか顔を出したいんだよね」

 学士棟。ファルドの外れに建つ、魔術研究者たちが集う施設だ。各々が自分の分野での研究に没頭し、理論を深め、時には新しい発見を追い求めている。そうした場所だ。

ノエル「そうですね。観測の合間に情報収集も大切です」

リオル「ちょうど時間が出来るし、いい機会かなって」

ノエル「かしこまりました。スケジュールを調整しておきます」

 二人は、月夜に照らされた屑魔石粉末をもう一度眺めた。明日から始まる第一次試験。その結果を見守る数日間は、同時に新たな情報との出会いを生む時間となるだろう。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

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