021
店員が冷たいお水をグラスに注いで置いていった。氷が立てる微かな音が、静かなカフェの空気を通して聞こえた。ミレイは、そのグラスを手に取り、一度水で喉を潤す。液体が舌の上に、涼しさを伝えた。
リオル「えっと調査進捗だっけ。ミレイに毎日採集してもらってたサンプル、分析が進んでいるよ」
リオルは、テーブルの上に手をつき、中距離を見つめたまま呼吸を落ち着けている。思考の過程が顔表情に浮かぶことなく、ただ静寂の中に溶けていた。
リオル「毎日同じ時刻で採集してくれてるから、ロウディアの変化が少しずつ見えるようになってきたんだ」
その時、店員の足音がした。奥からパスタの香りが立ち上り、その匂いは徐々にテーブルの周りを満たしていく。大きな皿が、ゆっくりと卓上へ下ろされた。野菜と塩漬け肉が絡んだパスタが、黄褐色に仕上がっている。その傍らには、焼き立てのパンが置かれた。パンの表面は、かすかに湯気を立てており、まだ熱い。三人は、その光景を一瞬見つめた。
ノエルがフォークを手に取ると、ミレイも静かに食事を始めた。塩辛い肉とフォークの音が、テーブルの上に小さく響く。ノエルの動きは無駄がなく、ミレイもそれに倣うように丁寧に食べ進む。焼き立てのパンをかじるたびに、外側のカリカリとした食感が広がるのを、リオルはそれを観察していた。彼の目は何かを思案するように遠く、その背後には確かな計算があるようだった。
食事が進む中、リオルはパスタを食べながら話を続けた。
リオル「十日連続で同じ場所から采集することで、植物の衰弱が一直線じゃなくて、周期性を持ってることが分かった。日数が進むにつれて衰えていくんだけど、その衰える速度が、時々緩和するんだよ」
ミレイは、その言葉を聞きながら食べていた。パスタを食べる手が、わずかに止まったように見えた。彼女の目が、一度リオルへと注がれた。その視線は、自分の毎日の仕事が形になったのかを確認する、そんな色を帯びていた。
ミレイ「…周期性、ですか。原因とかはまだ明らかになってないのでしょうか?」
彼女の質問は、自分の採集作業が何を明かしたのかを理解しようとするもの。楽だったとはいえ奇妙な依頼、それがどう実を結んだのか興味があった。
リオル「そこなんだよ。原因はまだはっきり分からない。でも、あのサンプルのデータは何か大きな手がかりになると思う」
ミレイは、その言葉を受けて静かに頷く。彼女の頭部の動きは一度だけで終わらず、わずかにゆっくりとした反復になった。
リオルは、パンへと手を伸ばした。
リオル「ともかく、あんな単純な依頼でもやれることを自分で考えて想定以上の成果を上げてくれたミレイの実力は信頼できる。よかったら今度、一緒にギルド依頼でもやろうよ」
リオルの言葉は、気軽な提案のようでいながら、その言葉の重さを持っていた。彼は十日間、ミレイの採集サンプルを毎日のように《鑑定》にかけ、その正確さを測定し続けていた。その観測の結果として、この誘いが口に出されている。ミレイは、その重みを感じ取っていた。
ミレイの表情が、わずかに動く。目が、一度リオルの方を見たが、すぐに言葉を選ぶ仕草が戻ってきた。
ミレイ「…ですが、ギルドでの私の評判は知っているでしょう」
彼女の声には自分を過小評価する癖が見え、自信がないからではなく、自分がどのように見られているのかを知っているから。
リオル「なんとなく聞いたことはあるけど、イマイチ僕らの知ってるミレイさんの印象と噛み合わなくてさ」
フォークが、パスタの最後を拾う。ノエルが焼き立てのパンを食べ終え、リオルが紅茶を飲み干すその頃合いで、店員が再び近づいてきた。空のプレートを下げ、代わりにデザートと新しいドリンクが置かれた。小さなデザートのプレートには焼き菓子と新鮮な果物が盛り付けられ、リオルとノエルのために紅茶が、ミレイのために新しい果実水が置かれた。
ミレイ「かつては、パーティを組んだりもしていたのですが…」
ミレイは新しい果実水を手に取った。グラスの冷たさが、彼女の手の温度と対比する。
ミレイ「四人で、実入りはいいですが少し危険な依頼を受けていたんです。異変のあった森の調査でした」
言葉の間隔が微かに開く。ミレイは一度、新しい果実水を口に運んだ。グラスを置き、その手が一瞬テーブルの上で止まった。彼女の声は落ち着いていたが、言葉を選ぶ度に小さく息を吸い直すのが聞き取れた。
ミレイ「危険な状況に陥ってしまい、救援を呼ぶため私が一人で撤退しました」
ミレイ「その際、他の三人には…必ず戻ると約束しました。ご想像の通り、戻るまでの間に…仲間たちは、全滅していました」
沈黙が、一瞬落ちた。リオルの息が、ほぼ無音になる。ノエルはデザートの口を止め、フォークを握ったままミレイの顔を見つめた。テーブルの上のグラスが、わずかに光を反射していた。
ミレイ「それが、一度ではなかったんです」
ミレイはそこで言葉を止め、果実水を口にした。その目はグラスに注がれていた。
ミレイ「別の依頼でも…同じことが起きました。その時も…私一人だけが、帰ってきました」
彼女の声はただ事実を述べているだけ。だが、リオルは静かに身を乗り出す一瞬手前で止めた。彼の視線は一度ミレイの目に注がれ、次にテーブルに戻る。その視線の動きは、測定機の針のようだった。ノエルは焼き菓子を食べるのをやめてミレイの顔を見つめていた。
ミレイ「その後…『仲間を見捨てて逃げた女』という噂が流れました。最初は縁起が悪い程度だったのですが徐々にその認識になっていき、いずれ誰とも組まなくなりました。仲間を意図的に殺し、報酬を独り占めしようとしているとまで」
リオルは紅茶をすすった。
リオル「…それでずっとソロでやってきたと」
ミレイ「はい」
リオルは紅茶をカップに置き、ミレイを見つめた。
リオル「うーん、でも引っかかるな。報酬を独り占めって、一度も成功してないしミレイさんはそんな危険なだけで分の悪い賭けに出るような人じゃないと思うけど」
ミレイは一瞬目を上げた。その瞳が、わずかに大きくなる。唇が、ほんの少し開く。呼吸の浅さが、ほぼ無意識の反応として現れていた。
リオル「それってさ…単なる運じゃなくて…何か、能力的な理由があるんじゃないか。君の《ジョブ》や《スキル》から来てるものなんじゃないかって」
リオルの言葉は緩やかな推測だった。しかし、その言葉の言い終わり方、ミレイを見つめるリオルの瞳の動き、次へ続く口元の控えめさ――全てが、彼がその推測の正確さを確信しているのを物語っていた。ミレイはそれを、見取ってしまった。
ミレイ「……」
ミレイは言葉を失い、リオルを見つめた。その視線には初めて、何かの感情が見え始めていた。
ノエル「なるほど、危険予知や索敵系のスキル」
ノエルの言葉は静かで、リオルの推測を受け止めていた。
ミレイ「…そんなところです」
ミレイの返答は濁したもので、明言はしないがその濁し方は肯定を示していた。彼女はデザートを再び口にし、焼き菓子の甘さが舌の上に広がった。
リオル「索敵や危険予測か…それは、僕の《スキル》との相性も良さそうだ」
リオルはミレイを見つめながら呟くように言った。彼の眼差しはミレイへの評価を深めていた。
ミレイ「撤退の判断を促したりもしたのですが、受け入れてもらえませんでした。心配のしすぎだと。過去にパーティを失ったから、過剰に気にしているだけだと判断されたんでしょう」
ミレイはデザートの一口をフォークに取った。焼き菓子の甘さをかみしめるように、言葉を選ぶ間を作る。
ミレイ「ただ、私はこんな性格ですし、信頼を築けなかったんだと思います。能力を開示しあう段階まで至りませんでした」
ミレイはカップを置き、決意を決めるような一つの区切りを示す。彼女は深く息を吸った。
ミレイ「…そう、ですね。私の能力を推測できていて、それを信頼してくれるのであれば。何度か臨時でチームを組むくらいはいいかもしれませんね」
ノエルの表情が静かに微笑んだ。その微笑みは温かみに満ちていた。
ノエル「まずはそこからでもいいでしょう。ミレイさん、よろしくお願いいたします」
リオルは紅茶をもう一度口に寄せ、ミレイを見つめながら頷いた。
リオル「まあ特に目処がたってるわけじゃないけどね。それでもいずれ、よろしく頼むよ」
ミレイはその言葉を聞いて、わずかに顔を上げた。彼女の目には初めて見る感情が映っていた。感謝というより、理解されたことへの安堵。窓外の午前中の光がカフェの内部を優しく照らし、テーブルの上の花にあたり、その陰が白いテーブルクロスの上に映った。三人の中には新しいチームワークへの静かな期待が満ちていた。
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