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辺境観測士、鑑定AIで魔術を最適化する~今日もデータ片手に、幼馴染とまったり研究生活~  作者: hiyoko


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 十日間が、静かに過ぎていった。

 毎日昼前、ミレイからのサンプルと報告書が届く。その後、ギルドへと足を向けると、掲示板には新しい依頼案が貼られていた。ちょっとした採取依頼、近郊の狩り、街の厄介な鼠を処理してくれという家主からの頼み事。時には縁ということで、ミレイと一緒に狩りの依頼を受けたりもした。リオルとノエルはそれらを片付けながら、静かに、だが確実に生活費を稼いでいた。毎晩、帰宅して記録をまとめ、眠りにつく。その繰り返しが十日間続いた。

 ファルドの人間たちの間で、少しずつ二人に対する評判が定まっていった。「貴族の少年と、美人だが何か怖い雰囲気のメイドの冒険者が新人で出てきた」。それ以上でもそれ以下でもない認識である。リオルの身なりからすぐに貴族だとわかる者もいれば、ただ金を持った少年だと判断する者もいた。ノエルに至っては、危険な雰囲気を纏っているせいで、軽々しく話しかけようとする冒険者は稀だった。その結果として、彼らは「舐められない程度の新参者」として、ギルド内での地位を確保していた。

 採集依頼を幾つもこなす中で、リオルはロウディアのサンプルに向き合う時間を確保していた。毎日昼前、ミレイはギルドを経由せずに宿の部屋を訪れた。その時刻のぶれはわずかもなく、降雨があろうと風が強かろうと、彼女は来た。布に包まれたサンプルと、丁寧に記入された報告書の束。計測器による気温、湿度、それから採集時刻の記録。彼女の仕事に欠落はなかった。

 ノエルはある種自分にも似た仕事の徹底ぶりに毎度感心していた。リオルもまたそうではあるが、彼の注視は別の方向にあった。提出されるサンプル群に対して、彼は《鑑定》を重ねていた。回数を数えることはしなかったが、おそらく一つのサンプルに対して数十回。土壌の栄養状態、含まれる鉱物成分、植物の成長記録。同じ場所から採集された十日分の記録が、机の上に並んでいた。

 そして十日目の報告日、ミレイが最後のサンプルを置き、いつものように会釈して去っていった。その後ろ姿が、宿の廊下の角で消えたのを確認してから、リオルはノエルの方へ顔を向けた。

ノエル「今一度データを並べて整理してみましょうか。十日分、かなりの量がありますね」

リオル「そうだね。一度、全部を見直してみたいんだ」

 二人きりになった部屋の中で、リオルはサンプルを机の上へ並べた。一日目から十日目まで、順序を揃えて。その傍らには、それぞれの採集日時、採集地点、採集時の気象条件が記入された報告書が添えられている。ミレイの字は鋭く、迷いがなかった。

 リオルは一日目から九日目までの《鑑定》結果を机の上に並べ、改めて各々の数値を確認していった。土壌の性質、含まれた鉱物成分、植物の成長記録。既に気づいていたことではあるが、こうして全体を見るとより際立つ。これまで通して植物は衰えていったのだが、注目すべきはその衰弱速度だった。三、四日目までは急激に衰えていったがそれ以後は衰える速度が緩やかになった。そこに何らかの原因があるのか、それとも単純にもう"衰えきって"いてあとは息絶えていくだけなのか。それはまだわからなかった。

 その作業を終えると、リオルは十日目のサンプルを手に取った。最後の報告書に目を通す。その数値を確認し、改めて《鑑定》を放つ。

---

**緑豆(採集・10日目)**

- 栄養度:低い

- 水分量:低下

- 状態:衰弱

- 生命力:微かに検出される

---

 リオルは得られた情報を記録帳に書き込む。そして、九日目のページを遡った。

---

**緑豆(採集・9日目)**

- 栄養度:絶望的に低い

- 水分量:劇的に低下

- 状態:極度の衰弱

- 生命力:ほぼ検出されず

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 リオルは二つの記録を見比べた。十日目では、わずかながら「生命力」が検出されている。九日目にはほぼ検出されていなかった。

リオル「あ……」

 その声は、理解の瞬間の色を帯びていた。

ノエル「どうされました」

リオル「十日目の数値が、九日目より……わずかに、上がってるんだ。回復してる」

 ノエルも身を乗り出した。確認する。確かに、減衰の曲線が微かに上向きに転じている。その差は小さい。だが数値として、存在している。

ノエル「それは……少し妙ですね。誤差というか、揺れの範囲とかでは…?」

リオル「わからない。周期が乱れたのか、それとも……環境の変化?明日ちょっと行ってみたほうがいいかもしれない」

 二人は言葉を交わしながら、仮説を組み立てていった。ロウディアの灰色の大地で、何が起きたのか。ミレイの報告書を改めて確認する。天候に変化はない。気温も、湿度も、採集地点も、すべて同じ条件を保持していた。その中で、なぜ。

リオル「何か環境に変化があったのか。あるいは……」

 疑問のまま、リオルはサンプルに向き直った。新しい問いを持ったまま。

リオル「土に関してはどうだろう? 何か、この緑豆の変化に関係ありそうな要因はあるのかな」

 と、言いながら《鑑定》を放つ。

---

**採取土サンプル分析**

- 成分変化:最小限

- 物質劣化:未検出

- 採取・保管プロセスによる変化:軽微

- 予測される原因:不明。土地環境または現地条件に存在する可能性あり

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リオル「ふーむ、確かに。やはり実際に現地で見たほうがいいのか」

 《鑑定》は再び返答を与える。

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**現地調査の推奨**

- 推奨内容:現地で土地と植物を直接鑑定

- 目的:サンプル化による変化を排除・環境要因を正確に把握可能

- 次段階:複数地点での比較観測で変化パターン解明

---

リオル「そうだね。じゃあ明日にでも向かってみるかぁ」

ノエル「あの、リオ…くん? 独り言…でしょうか」

 ノエルが不安げに声をかけた。

リオル「ああいや、ごめん。僕の思考に応じた結果が返ってくるなら、こんな感じで問いを持ちながら《鑑定》すると早いかなって」

 リオルは自分の言葉を反芻した。それは本当に、ただの効率化の話だろうか。いや、違う。何か、もっと根本的な違和感がある。いままでの《鑑定》を思い返してみると——土地での比較観測を提案し、サンプル保管による変化を指摘し、次のステップを示唆する。これは、単なる客観的な情報提供ではないのではないか。

 自分の思考が、まるで相手に支えられているような感覚。それは、いままでのどの《鑑定》とも異なる質のものだ。彼は机の上で身動きを止めた。何かが変わった。いや、最初からこうだったのか。それとも、最近になって変わったのか。判然としない。

ノエル「なるほど…。たしかに、わざわざ《鑑定》用に考え直すよりその方が手間が省けそうですね」

 だが、ノエルの言葉を聞きながら、リオルの心はそこにはなかった。何かが違う。確認したいという衝動が彼を駆り立てていた。

 ノエルは机の上のサンプルや過去の鑑定結果を見つめ、そしてリオルを見た。その目には、驚愕の色があった。

ノエル「でもそれだと《鑑定》がリオくんの思考を支えているのではなく、《鑑定》そのものが自分で考えているみたいですね。リオくんと会話してるように見えたので」

 その言葉が、刃のように、リオルの意識を貫いた。まさにそれだ。それが、彼が感じていた違和感の正体だった。単なるスキルではなく、何かが『考えている』。相手をしている。応答している。

リオル「そ、んな。そんなのまるで――――――――AI、みたいな」

 考えるのと口に出すの、どちらが先だっただろうか。あるいは同時だったかもしれない。その単語が、脳裏に落ちるように現れた瞬間。カチリ、と。歯車が噛み合うような、何かのスイッチが入るような音が聞こえた気がした。

 世界がぐるりと反転した。

 蛍光灯。青白い光。モニターの画面。複数のウィンドウが開かれている。ターミナル、IDE、スプレッドシート。文字列が流れ込み続ける。エラーメッセージ。ログの赤い警告。修正。コミット。プッシュ。CI/CDパイプライン。仕様書の山。

 会議室での議論。提案。試行。翌朝、結果が出ていた。予想以上の精度。それでいて、自分たちの意図を汲み取った補助。足りない視点を、別の角度から与えてくれる存在。

 終電の時刻に近いオフィス。メカニカルキーボードのタイプ音。マウスのクリック音、あるいはトラックパッドをタップする音。冷めたコーヒーから漂ういつもの匂い。虚しさ。やりがい。ツールの出力を検証する。間違いを見つける。修正を指示する。再度AIに任せる。その繰り返し。プログラムであり、相棒であり、思考を拡張する道具。

 膨大な記憶が、濁流のように押し寄せてくる。

 受け取り切れない情報量。圧倒される感覚。二つの人生の記憶が、同時に存在し始める。あの世界での決断と、ここでの決断。あそこでの人間関係と、ここでの人間関係。ぶつかり合う時間軸。折り重なる思考。どちらが本物なのか。どちらが自分なのか。その問いさえ意味をなさなくなる。

 身体が震える。不意に、あの世界のオフィスの冷気を感じる。同時に、ロウディアの灰色の大地の重さを感じる。両方が現在。両方が過去。その曖昧さが恐怖に変わる。

 視界が揺らぐ。目の前にノエルがいるのに、同時にあの同僚たちが見える。眼鏡越しの瞳と、スクリーン越しの顔。二つの顔が重なる。

 息ができない。あの世界で何年も吸ってきた空気。今吸っているロウディアの空気。その違いが、呼吸を妨げる。肺が、どちらの空気を求めているのか理解できない。

 呼吸が浅くなる。意識が遠ざかっていく。自分の名前を呼ぶノエルの声が聞こえる。それは、いつものリオルへの愛称だっただろうか、それとも。遠い。確かに聞こえているのに、その声に応じられない。喉に力が入らない。言葉を紡ごうとしても、どの言葉を選べばいいのか分からない。あの世界の言葉か。ここでの言葉か。

 頭が破裂するような圧力。光が、音が、記憶が、次々と脳に突き刺さる。拒否できない。逃げられない。あの世界の自分も、ここでの自分も、その両方が「リオル」であることの矛盾に、脳が耐え切れなくなっていく。

 熱。冷感。身体の温度調整が失われる。ノエルの腕の中にいるのに、同時に空調の効いたオフィスの椅子に座っている。その二つの感覚が同時に存在する苦痛。

 リオルは、膝をついた。

 机につかまるように姿勢を支える。両手が震えている。どちらの時間軸の手なのか、もはや分からない。

 呼吸を整える。息を吸う。吐く。吸う。吐く。意識的に呼吸を数える。一つ。二つ。三つ。数えることで、現在に戻ってこようとする。身体の震えが、ゆっくりと静まっていく。その過程で、あの世界の記憶が徐々に輪郭を失い始める。遠ざかっていく。

 時間が、戻ってくる。意識が、再編成される。しかし完全には戻らない。何かが欠けている。何かが二つに分裂している。リオル自身が、もはや一つではなくなっているような感覚。

 気がつけば、リオルはノエルに抱きかかえられていた。

 いつの間に彼女がかけよってきたのだろうか。視界が戻ってきた時には、既にリオルは彼女の腕に支えられていた。柔らかく、温かい。眼鏡の奥の瞳が、心配と同時に何かの覚悟に満ちている。ノエルの胸に頭を預ける。慣れ親しんだ香りが、鼻腔を満たす。呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。彼女の腕の強さが、決して優しさだけではなく、確かな意志を持つものだと思い知る。

 リオルはぼろぼろとした声を、その胸に埋めた。

リオル「……思い出したよ。僕は、この世界に生まれる前……別の世界にいたんだ」

 その言葉は、確信に満ちていた。同時に、彼の声は震えていた。失われていた記憶が、一気に戻ってきたことへの衝撃。その重さに、彼は膝をついたまま、息を整え続けていた。ノエルの腕の中で。ノエルは何も言わず、言ってることは全く理解できていなかったが、ただリオルを抱きしめ続けていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

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