001
――――ここからはじまるのだ。
眼の前に広がるいくつかの家屋。それを取り囲む自然。隣にはお互いを理解し合った大切な幼馴染。
ここからはじまる自分たちの未来に思いを馳せる。リオルはそのことを考えただけでもう――――
ノエル「見事なまでに荒れ果てた廃村ですね、リオくん。追放されたのだと改めて実感します」
考えただけでもう、前途多難だった。
眼の前に広がるいくつかの家屋――確かに家屋はある。穴だらけだし朽ちてるしもちろん人なんて住んでないが。
取り囲む自然――――まあ確かに、枯れ木やひび割れた大地も自然ではあるだろう。
お互いを理解し合った大切な幼馴染み――――これだけはなんの含みもない真実だ。リオルにとっての唯一の救いとも言えるだろう。
ここに来る前に最寄りの街へ寄り、宿に荷物を置いてなければ取り落としていたところだ。
ノエルの言葉にリオルは思わず苦笑いを漏らした。皮肉交じりのその口調は、彼女が現実を正確に見つめていることを示していた。リオルは改めて、自分に現実を理解させてきた幼馴染兼メイドに目を向けた。
彼女―――――ノエルは背丈こそ年相応の少女であるが、一見して大人びた雰囲気を纏っている。今日は長距離移動のために普段のメイド服を脱ぎ捨て、旅人用の簡素な服装に身を包んでいた。
彼女の髪は肩までのボブで、赤みを帯びた落ち着いたマホガニー系の茶髪は光の加減で優しく輝いていた。そして瞳には、知性と優しさが宿っている。小顔で整った鼻立ちと、微笑む口元は見る者に安心感を与える。その小さな顔にかけられた黒縁の細身メガネが彼女の印象を一層大人びたものにしている。
服装はシンプルで目立たないが、歩くたびに無駄のない動きが印象的だった。彼女の動きにはさりげないけれども確かな安定感があり、その一歩一歩は確実で落ち着きがある。彼女の姿勢やバランスの良さが従者としての鍛えられたスキルによるものなのか、それとも天性のものなのかリオルにははっきりとはわからないが、見ていて心地よさを覚える。
ズボンから見え隠れする脚のラインには、柔軟性と優雅さが同居しており、健康的な印象を与えている。そしてその上、胸部は年の割に成人女性並みの豊かさを備えており、旅人用の簡素な服地すら優美に整えていた。少女にしては色気がありすぎるほどの身体つきだが、その姿態の根底にあるのはメイドとしての修養だろうか。背筋の伸びた立ち姿、胸を張った体幹、一つ一つの動作に無駄がなく、その在り方は優美さそのものを体現していた。
ノエルの全体的な雰囲気は荒れ果てた周囲の風景とはミスマッチそのものであり、その中にいる彼女の微笑みは否が応でも引き立ち、不思議と心を引かれる何かがあった。リオルにとってその可愛らしさまさにそれこそ唯一の救いであり、心が温まる思いだった。
現実があまりにも悲惨で親しんだ愛らしい幼馴染を眺める事へ逃れたい気持ちになりそうだが、そうはいかない。自分がなぜここにいるのかを思い出す。
十二歳の成人式の日、リオル・アルトレインが授けられた職印は《観測士》。ジョブスキルは《鑑定》――誰もが習得できる、ごくありふれた技能だった。その瞬間、家族たちの視線は冷たく変わり、祝福の場は一瞬にして沈黙に包まれた。戦闘職ではなく、領地経営にも直結しない職業。親族たちの落胆は隠しようがなかった。
結局、リオルに与えられたのは「あの領地」――回復の見込みが薄いと言われるロウディアの管理だった。兄たちが栄誉ある官職を得る一方で、リオルが送られたのは辺境の荒廃地。それは追放に等しい決定だった。
「成人の記念に、家にあるものをなんでも一つだけ持っていくといい。よっぽど無茶なことを言わない限り認めよう」
そう言われたとき、リオルはただ小さく笑った。迷いもなく、彼は一人の少女――ノエルを選ぶ。それは幼い頃からノエル本人と交わしていた約束だった。ノエルは静かにリオルの隣に歩み寄り、あの日と同じように柔らかく微笑む。
こうしてリオルは、唯一無二の伴侶と連れ立ち、彼との新しい旅が始まることを胸に刻んだ。もちろん、ここでリオルの脳裏に浮かんだ伴侶とは一緒に連れ立って行く者という意味ではあるが。その思考を読めていたのかノエルは不敵に微笑んでおり、まるでその表情は雄弁に「今はまだ」と語っているかのようだった。
二人は共に歩みを進めた。もはや後戻りはできない。だが、リオルの心には迷いはなかった。隣にいるノエルの存在が、その迷いを払拭していた。
リオル「確かにね。でも、ここが僕らの新しい始まりだよ。何から手をつけるか、正直途方に暮れるけど」
ノエル「これが……"窒息の土地"ロウディアですか。噂に違わない、終息の土地ですね」
その言葉を受けて、二人の視線は領地の方へ向かった。最寄りの街であるファルドから続く街道を抜けた先にあった大地は、まるで焼け残った灰の海のようだった。焦げてこそいないものの、大きな火事が起きた後の町そのもの――そう言えば、嘘ではなかった。風は動かず、音もない。踏みしめた土が、ぱさりと崩れて沈む。その感触だけで、リオルはこの土地がどれほど死んでいるかを理解した。
リオル「……想像よりひどいね。なにかに吸いつくされたみたい」
リオルは腰をかがめて、土を指で掬う。手のひらに乗せた瞬間、乾いた粉が風もないのに散って消えた。
リオル「栄養どころか水分も全く含んでない。灰土…?」
ノエル「植物もほとんど枯れ木のまま立ってますね」
ノエルは視線を遠くへやった。丘の向こう、町の外れ。崩れた石壁がいくつも転がり、もはや建物の形もわからない。その中心に黒ずんだ塔の残骸が突き立っている。
ノエル「あれが遺跡、ですか?」
リオル「らしいね。地面が沈んでる…?……地面ごと、吸われたのかも」
二人のあいだを冷たい風が抜けていく。どこかで岩が崩れる音がしたが、響きは浅く、すぐに飲み込まれた。
ノエル「ここに人を住まわせるのは……今のままでは、ほぼ不可能ですね」
リオル「うん、水脈も死んでる。普通に暮らそうと思ったら、全部の前提を作り直すことになる」
ノエルは小さく息を吐いた。その吐息すら、霧に吸われて消える。
ノエル「……“窒息の土地”、なるほど、言い得て妙ですね」
リオル「ほんとだ。息をするだけで、命のほうが持っていかれそうだ」
遠くで、灰の上を転がる石の音だけが、かろうじて“生きている”ように響いていた。
パン、と。リオルがせめて雰囲気だけでも一変するようにと手を叩く。
リオル「とはいえね。僕らに与えられた領地な訳だし、腐らず手を付けようか。何もない分やりがいがあるじゃないか」
ノエル「ふふ、改善と効率化、ですか?」
リオル「そう!とはいえ、時間を決めたほうがいいね。長く滞在すると体調を崩すって話もあるし、使える設備もまったくないし日が暮れる前には町に戻るようにしよう」
まずは、拠点になる場所を作り上げなければならない。リオルは古びた家屋の一室に足を踏み入れた。木製の床板はところどころ腐りかけ、壁にはクモの巣が張り巡らされている。
ノエル「まずはこの場所を何とかしましょう。居心地を良くしないと、考えることもできませんから」
リオルも埃にまみれた家具を移動させながら、古い窓を開けて空気を流し込む。二人は昼前には一息ついて、外に出た。リオルは、部屋の端に積まれた道具を取り出し、これからの修繕計画を確認した。
リオル「まずは屋根や壁の補修が必要だね。雨漏りがひどくなったら、寝るとこもないし。ここで眠る日がいつになるかはわからないけどね」
ノエル「そうですね。防水シートで一時的に屋根を覆ってみましょう」
実家から餞別としていくらかお金はもらっているとはいえ、そこまで多くはない。防水シートといっても皮に撥水加工がされた旅用の道具の一つだ。
午後になると、工具を手にしたリオルはひたすらに釘を打ち込み、木材を補強する作業に取りかかった。一方、ノエルは持ち前の集中力で内部の整理整頓を進め、居住可能な部屋づくりを行っていた。日が暮れる前、ふたりは簡易的に作った椅子に座り込んだ。
ノエル「一旦拠点としては良さそうですね。明日からは調査できるんじゃないでしょうか」
リオル「少しずつだけど、形になっていくのが嬉しいね。暗くなる前に町に戻ろう。今日はここまでにして、状況を整理しよう」
リオルは立ち上がり、工具を片付け始めた。ノエルもまた、手早く持ち物をまとめてリオルに続く。今日のところは調査拠点を作っただけとなった。一日そこらで状況が変わるとは思えないが、せめて方針を決める種火になるものでも見つかれば良いのだが。
二人はためらうことなく、歩みを外に向けた。廃村を背負い、これからの計画と、予測しえぬ未来を思い描きながら、足音を響かせ、帰路につく。どこかで鳥の声が聞こえ、沈む夕陽が地平線に滲んでいくのが見えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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