頭の中のお喋り
察するというのは厄介なもので。
その察したことが、相手の思惑の範疇にあれば無類の喜びを提供できる。
けれど、外した時は――
倍率1000倍くらいのダメージが自分に跳ね返ってくる。
しかも、「なんでわかんないの?」
というおまけ付きで。
日本人はこの「察する」を良くも悪くも文化として育んだ。
でもね、
「磯城島の、大和の国は、言霊の、幸はふ国ぞ、ま幸くありこそ」
柿本人麻呂さんも、こんなふうに詠んでいるように、
むかし、むかしから、日本語って「言霊」が宿るとも言われているでしょ。
言の葉の調べになる事もあれば、誰かを突き刺す言刃にもなる。
だから、
大切な人には、大切な言葉をきちんと伝えよう。
察することで感じ合えたら、それはそれで素晴らしいかもしれない。
だけど、
そこまで、人間万能じゃないから。
察するばかりで気持ちがすれ違って、
気づけば不満ばかりが積もって、
ボタンをどんどん掛け違えて、
最後には「さよなら」になるくらいなら、
ちゃんと言葉にした方が、きっといい。
なんてね。
でも、たまには察して欲しかったり?
……しちゃうかも?
拙文、お読み下さりありがとうございます。