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七、誰かの傘を持っている

 いつもの電車に乗って、いつもの場所に立った。窓の外を眺めて、見慣れた景色をなぞる。

 雨上がりの強い日差しが車内へ降り注ぐ。蒸し暑い。真悠はしばらく電車が走る音に耳を澄ましていたが、線路のそばの公園に視線を集中させた。

 石碑のそばに、女はいない。柴田さんによく似た、あの女。まるで幻みたい。


(今まで見たのは気のせいだったんだ。きっと)


 言い聞かせても胸に黒い靄がかかったままだ。だってそんなはずはない。それを知っているのは真悠自身だから。

 あの女は確かにいた。


(でも、柴田さんかどうかはわからない)


 真悠は流れていく風景から目をそらしす。手には、真悠にはそぐわないブランド物の傘があった。川口が残した傘。

 次の駅で降りて、川口の家を探さなくてはならない。検索の結果によれば、駅からそう遠くない。住所は二階建てのアパートの名前も書かれていたから、間違えることもないだろう。


(ビニール傘なら捨てられたかな)


 いや、捨てられやしない。消えた同級生の傘なんてを捨てるなんて後味が悪くてできない。もちろん、ずっと手元にあるのも気味が悪い

 いつもと違う出口から駅を出て、思ったより簡単にアパートは見つかった。10分もかからなかった。水色の外壁で、やや古いがそこまでボロではない。黒くて、大きい鉄骨の外階段をゆっくり進む。


(玄関に立て掛ければいいかな)


 川口の家は二○ニ号室。扉の前に立って、真悠はじっと表札を見つめたまま固まってしまった。そこにある名前は、川口ではなかった。


(もしかしてデタラメだったの?)


 やっぱりからかわれたのかもしれない。

 また、悪ふざけなのかもしれない。


(帰ろう)


 そう思ったときだった。


「川口さんのお知り合い?」


 突然、話しかけられ、真悠は思わず身構えた。全く知らないおじいさんが、ニ○一号室の前に立っている。小柄で痩せているけれど生気のある、声がよく響く高齢の男性だった。


「違った? 川口さんを訪ねてきたわけではないの?」


「いえ、川口さんを探しています」


 正直に答えると、男は小さく肩を落とし、気の毒そうに真悠を見やる。


「川口さんなら、退居されましたよ。今住んでいるのは新しく転居してきた人」


「そうですか」


 引っ越し前の住所を教えるなんて、やはりからかわれたのだ。そう思ったときだった。


「かわいそうにね。高校生の孫と一緒に暮らすって。楽しみにしていたのに」


 男の孫という言葉に真悠は顔を上げた。その孫は、川口のことだろうか。


「ふたり暮らしだったんですか?」


「そうそう。高校が遠いから、こっちに引っ越してきたって話していたよ」


 そこまで話して大きく息を吐き出した。


「ちょうど一年前くらいかなぁ。亡くなられたの」


「じゃあ、お孫さんは実家に戻ったんですか?」


 おじいさんが目を見開いて真悠に顔を向けた。


「そうか。君もお孫さんのお友だちか」


 友だちではない。と、言いかけて口を噤む。余計なことだ。


「前にも友だちが訪ねてきたことがあったからね。その子も驚いていたよ」


 おじいさんは小さく苦笑いをする。


「そうか。そうか」


 うんうんとうなずきながら、もう一度真悠を見やった。


「こんな大切なこと私から話していいものかわからないけど、亡くなったのはお孫さんのほうなんだよ」


 背中に衝撃が走る。孫がなくなった? 川口のことなのか?


「川口さん、気落ちしちゃってね。ここを離れて、子どもと暮らすことになったらしい。元気でいるか心配していたんだ。もし会ったらよろしく伝えておいて」


 真悠は頭の中を真っ白のまま、状況を理解できないまま、慌てて会釈をして、逃げるようにその場を立ち去った。


ーーちょうど一年前くらいかなぁ

ーー亡くなられたの

ーーお孫さんのほうなんだよ


(じゃあ、昨日あった川口は誰なんだ?)


 気付いたら最寄り駅にいた。

 ここまでどうやってきたのだろうか。真悠にはほとんど記憶がない。改札を無事に通り抜けられたということは、正しく電車に乗って帰ってきたのだ。真悠はぼんやりと思う。

 川口は死んでいた。

 あのおじいさんが嘘をついているとは思えなかった。

 導かれるようにふらふらと公園へ向かった。

 自然と石碑へ足が動く。前に立つと、雑木の日陰のせいか、吹き込む風がひんやり冷たく感じる。

 気配だけが石碑の影にいた。

 日曜日の公園なのに誰もいない。雨のせいだ。

 川口は死んでいた。

 そして、真悠を柴田さんの家へと誘った。


(何故?)


 指先が震えている。

 川口も、柴田さんも、そこにいるのでは?


「待って!」


 その時、突然肩に手が置かれ、真悠は振り返った。


「斎藤さん、だよね?」


 そこには同い年くらいの男がいた。思わず怪訝に顔を歪める。


「覚えている?」


 ニコニコと笑いながら小首を傾げる男は、中学時代の同級生だった。卒業式の日、真悠を気持ち悪いと言った男だ。


「山下……」


 何故ここに山下がいるのか考えることができず、ただ、懐かしい顔を眺めた。


「大丈夫?」


 そう訊ねる山下は中学時代よりずっと大人びていた。卒業式以来なのに、難なく懐に入ってくる物腰の柔らかさや整った顔立ちは相変わらずで、子どもっぽさを削ぎ落としたせいか、むしろその垢抜けた立ち振舞が際立っている。

 何かが起きている。

 山下の顔を見つめ、真悠は立ち尽くす。


(まただ)


 あの卒業式の後。真悠に振りかかった出来事に関係する人間に、また出会うなんて。

 偶然なのか。仕組まれたなのか。


(仕組まれたことなら、その理由は……)


 全身に戦慄が走る。


ーーお前、柴田を呪っただろう

ーー俺も、川口のことも、呪っただろう


 尾崎の言葉が蘇ると、真悠の意識は白く遠のいていった。

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