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四、川口が消えた

 こじんまりした駅舎から次々と人が押し出されてきた。

 ちょうど上り電車が到着したのだ。駅を去っていく人間の後頭部を見送りながら、真悠はため息をついた。

 土曜日の午前十時。友だちでもなんでもない奴と駅前で待ち合わせをしている。何故こんなことをしているのか、よくわからない。

 川口の誘いなど無視することもできたはずなのに、見えない何かに引っ張られるように駅前に来ていた。どちらかといえば長閑な、いつもの最寄り駅。

 昨日と同じ低く垂れ込めた灰色の雲から雨は落ちてこないものの、冷たい風は天候の崩れを予感させた。


「斎藤さん」


 呼び出しておいて遅れてきた川口は、真悠の元へ駆け寄った。肩で息をしながら、驚いたように目を見開いている。


「本当に来たんだ」


 自分が呼んでおいて「本当に来た」とはなんだ。その言い草は癪に障った。


「じゃあ帰ります」


 不機嫌に言い返す。


「いやいや、ごめん。結構無理なお願いだったから、自信がなかったんだよ」


 そう言いながら、川口は息を整える。


「行こう」


 真悠は小さくうなずき、川口のあとに続いた。同じ班だったのに、話すことはなかった男。できるだけ距離をとりたかった。


 ふいに川口が傘を広げた。雨がポツポツと降り始めたのだ。川口の傘がブランド物というだけで、真悠には、その青さも、黒い縁取りも、細い柄も、何だか全てが軽薄に見える。そのブランドにも傘にも何の恨みもないのに。


(少しの我慢だ)


 駅から見える公園の前を通り過ぎる。朝の公園には親子連れが二組だけ遊んでいた。その楽しそうな声を苦々しく聞いていた。


 小学校に上がる前までは、この公園で柴田咲良と遊んでいたらしい。もうその頃のことなんてなんとなくしか覚えていない。


 それなのに、当時見た景色は不思議と思い出すことができた。公園を通り過ぎたら小さな踏切が現れ、その向こうに肩を寄せるように建ち並ぶ住宅地。そこに彼女の家があることも、玄関扉のステンドグラスの色も、どんどん蘇ってくる。だから、どの家が柴田咲良のものかすぐにわかった。


 もう雨は止んでいた。

 ふと、柴田家の前で川口は立ち止まった。ゆっくりと、傘をたたむ。


「ちょっとこれ持ってて」


 真悠に傘を渡すと、ポケットから小さな紙を探し出し、突き出した。


「これ」


 紙には電話番号と住所らしきメモが見て取れる。数字の下に、〈何かあったら必ず連絡して。身の安全のために〉という言葉が添えられていた。


「渡すの忘れてた。何かあったらここに連絡して」


 受け取れと言う圧に、思わず紙を手に取る。


「身の安全って何?」


「お互いのね」


 意味ありげに川口は微笑んだ。


「斎藤さんが約束通り来るのか賭けだったんだ」


「賭け?」


「来なければ全て忘れようって……でも斎藤さんは来た。だから、斎藤さんは、柴田さんのお母さんに会ってあげて」


 川口は一応笑っているようには見えた。しかし、真悠を見つめる眼はどこか虚ろで、その真意を読み取ることができない。


「ほら早く」


 川口に促され、意を決して呼び鈴を押そうと腕を伸ばした。しかし、いざとなると鳴らせない。


(柴田さんのお母さんは、どうして私を呼んだのだろう)


 ふと過ぎって尚更押せない。その事を確かめていなかった。川口に振り返ろうとした時、突然玄関が開いた。

 真悠は息を飲む。


(柴田さんのお母さんだ)


 そこに現れた中年女性の顔立ちは柴田さんに似ていた。真悠の母親と同じくらいの年齢のはずなのに、明らかに見た目が若く佇まいからして美人だった。細身のワンピースを自然と着こなしている。化粧っ気がなくても美人は美人なのだ。しかし、艶気のない髪や目の下の暗さから疲れが見えた。

 玄関前で佇む真悠に気づき、不思議そうに見ている。


「どなたですか?」


 柴田さんの母親は困惑してこちらを窺い見ている。真悠は混乱するしかなかった。誰だかわからない相手を呼び出したのか? それとも、わからないから呼んだのだろうか。


「私、斎藤です。斎藤真悠です」


 そう名乗ると、柴田さんの母親の顔色が変わった。驚きと安堵と、何故か悲しさが漂う。


「真悠ちゃん」


 呟いてから、しばらく真悠を見つめた。不意に片手で顔を覆う。それは、とっさに涙を隠すための仕草に見えた。


「ちょっと待っていてね」


 慌てて家へ入っていく柴田さんの母親を見送り、真悠は静かに吐息を漏らした。近所の子どもの声がする。何となく居た堪れないのは、余所者だからか。

 振り返ると川口がいない。

 後ろにいたはずなのに、どこにも姿が見えない。


(あれ?)


 探そうと足を動かしかけたとき、柴田さんの母親が戻ってきた。手に水色の封筒と、淡い紫の花を持っていた。ベルみたいな形をした花が段々に上を向きながら咲いている。


「これ、受け取って」


 差し出された封筒を、真悠は恐る恐る受け取る。


「それは、咲良からの手紙。真悠ちゃんに」


「私にですか?」


「咲良が……いなくなる直前に預かっていたの。あの子、公園で友達と会うって言って出ていってね。それが最後になるなんて」


 そして、花も受け取った。


「この花は釣鐘草っていうんだけど、咲良が好きだったの。もらって欲しいんだけど、大丈夫?」


 本当は怖かった。柴田さんが好きな花をもらってどうなる? でも、これを断る理由がない。断れない。真悠は封筒と花を手にうなずいた。


「ありがとうございます」


 受け取った真悠を、柴田さんの母親はじっと見つめる。


「咲良は、誰と会うつもりだったのかしら。真悠ちゃん知ってる?」


「……いいえ」


 知るはずもなかった。柴田さんの母親にとっては、娘が最後に手紙を託した友人。何か知っているかもしれないと期待をしていたのかもしれない。、


「すみません」


 謝ると柴田さんの母親が首を振る。


「来てくれてありがとう。家にあがってもらえるといいんだけど、ちょっと用事があるから、ごめんね」


「いえ」


 そう返しつつ、思わず俯いた。


(呼ばれたんじゃないの?)


 川口は柴田さんの母親が私を呼んでいるから来てほしい、と言っていた。だから来たはずなのに。


(嘘なの?)


 怪訝な顔で後ろへ振り返る。やはり川口の姿がない。いなくなっている。


「どうしたの?」


 柴田さんの母親が不思議そうに訊ねるので、真悠は首を振る。


「いえ、何でもないんです。失礼しました」


 真悠は深くお辞儀をして、


「それでは、また」


 と、言って、逃げるように柴田さんの家を後にした。




 歩き出してすぐ、また降り始めてしまった。

 地面に黒い雨粒の跡が点々と落ちている。


(川口の奴、どこにいったの?)


 ふと、「騙された」という言葉が頭によぎる。


(柴田さんのお母さんが私を呼んだ感じには見えなかった)


 真悠は、川口によって柴田咲良の母に無理やり引き合わされた。

 手には川口の傘が残されている。


(こんな忘れ物までして)


 苛立ちながら歩いていたら、駅前の公園についた。雨のせいでもう人影はなかった。


(ここも一応探そう)


 入口に並んだ黄色いアーチ型の車止めをすり抜け、足元のぐずついた園内に入る。割と樹が多いから、曇天と相まって鬱蒼として薄暗い。

 派手な色の滑り台にも、ブランコにも、濡れたベンチにも、川口の気配はなかった。


(からかわれたのかもしれない)


 諦めて帰ろう。真悠が戻りかけた時だった。

 小さな山の上にある、あの石碑の後ろに人影が見えた。

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