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十七、最後の笑顔

 公園に残された尾崎を、真悠はじっと見つめた。

 やや痩せた身体。そういえば、いつもうつむきがちだった。

 あの頃ーー中学生の時から柴田さんのことが好きだったかもしれない。

 真悠の視線に気づき、尾崎はふっと笑った。


「過激なことを言うね」


 皮肉な、本心を隠すための笑い方。尾崎の笑顔はいつも、顔にべったりと張り付けた紙切れみたい。


「殺しにおいでって言ったこと?」


「本当に来たらどうするんだよ」


 眉を寄せる尾崎に、真悠は笑う。


「大丈夫」


 殺されかけたのに、どうして大丈夫と言えるのか。自分でもおかしかった。


「言い忘れたことがあった」


 尾崎がまじまじと真悠を見る。


「色々、ごめん。ずっと」


 突然真面目くさった表情に変わった尾崎に、面食らってしまった。しばらく何も言えなくなる。

 思いめぐさせる。卒業式のこと。その後のこと。それから、石碑の前で会ってからのこと。

 何についての謝罪なのか。


「ごめんって。笑、のこと?」


 ようやく返すと、尾崎は頷きながら


「全部」


 と答えた。


「中学の時のあれ。何であんなことをしたの?」


「斎藤さんが哀れだったから」


 尾崎は無表情のまま答えた。


「傷に塩を塗ったわけ?」


「そう」


 ヒリヒリとした十五歳の尾崎の面影を思い出せない。あの頃、好きな人が友人の恋人であった尾崎。自分でも手に負えない感情を、持て余して、最低な方法で真悠にぶつけたのだろうか。八つ当たりもいいところだ。ずっと許したくなかった。それなのに、真悠は今となってはどうでもよくなっていた。


「そっか」


 目の前の青白い顔の尾崎は、中学生ではない。山下に蹴り飛ばされた真悠を受け止めてくれた人だった。


「尾崎」


「何?」


「助けてくれて、ありがとう」


「えっ? いつ?」


 尾崎は目を丸くする。


「さっきだよ。山下から」 


「ああ。あれか」


 尾崎は珍しくあははと笑った。照れ隠しなのかくるりと背を向けた。


「別に助けたわけじゃない」


 どう考えても助けてくれたのに、わけのわからないことを言い出した。

 何をごまかしているのだろう。


「ねぇ、尾崎」 


 真悠は静かに言った。


「死んでいるの?」


 尾崎は振り向いた。

 山下に突き飛ばされた時、突然真悠の背後に現れた。まるで亡霊のように立ち込めた。何の気配もなく。それなのに、真悠を抱きとめた身体からは、血の通った人間の温もりと匂いがしていた。


「もう、はぐらかさないでいいでしょ?」


 もう本当のことを言って欲しい。真悠に見つめられ、尾崎はため息を吐き出した。


「ーー生きているよ」


 笑いながら、苦々しく、尾崎は答える。


「でも、まだ呪われている」


「自分を呪っているってこと?」


「違う」


 尾崎は石碑の裏に回る。それから、赤い糸を握りしめた。


「この糸に繋がれている限り、俺はいつでもここへ来れる。柴田が呼べばいつでも現れる。それが俺にかけられた呪い」


 真悠は首を振る。


「糸を離して」


 嘘だと思ったから。

 赤い糸は尾崎にかけられた呪いなんかじゃない。


「柴田さんは結ばれていたけど、尾崎は糸を持っているだけ。手放そうと思えばいつでもできる。尾崎は望んでつながったままなんでしょ?」


「このままでいいんだ」


「どうして」


「俺が殺したからだ」


「尾崎は柴田さんを殺していない」


「俺のせいだって」


 吐き捨てた尾崎が真悠を睨む。でも、まるで祈っているみたいだった。


「俺は、柴田とここにいなくてはいけないんだ」


 これは懇願。切なる願いだ。


「もうやめなよ」


 こんな痛々しいことを、ずっとしていくなんて。真悠は思わず尾崎から目をそらした。

 尾崎は、柴田さんのためにここにいるのではない。柴田さんを失った痛みを感じ続けたいのだ。そうしないといられない。痛みを手放せない。深い悲しみがそうさせた。

 だからといって、真悠はそっとしておくことはできない。柴田さんに頼まれているのだから。


「さっき言ったよね。もう柴田さんを解放してあげてほしい。ここに縛り付けておく権限ないよ。ただの執着は山下と同じだ」


 尾崎が真悠を睨む。それから目を閉じた。泣きたいのか、笑いたいのか。

 真悠は見つめ続けた。


「もうお母さんのところへ行かせてあげよう」


 柴田さんのすすり泣きが聞こえた気がした。

 尾崎の心の傷を更に痛めつけている。真悠はそんな自分が苦しくなり、唇や瞼が震える。

 ごめん、と言いたい。こんな事を言ってごめん、と。でも、そんな自己保身みたいなこともしたくなかった。

 あの夜、白い手に掴まれた感触が腕に蘇る。

 真悠は尾崎に真っすぐ、剥き出しでぶつかるしかない。それが柴田さんに託された思いだから。


「そうだな」


 尾崎は握りしめていた手をゆっくり緩めた。

 赤い糸がふわりと地面に落ちる。

 ふと、真悠の視線が宙を彷徨う。

 呪いをかけられた柴田さんの魂が、湿った夜空に飛び立ったのを見た気がした。目には見えない。でも、感じた。ふわりと。

 尾崎が星も見えない空を見上げている。


「泣くなよ、尾崎」


「泣いてねえよ」


 すかさず返す尾崎に少し安堵する。


「しっかりしてね。私が山下に殺されそうになったら、また助けてもらうから」


 尾崎が顔をしかめた。


「何言ってんだよ」


「こんなこと、相談できるのは尾崎だけだし。山下には殺しにおいでっていっちゃったし」


 しばらくぽかんと真悠を見つめ、それから、尾崎は面倒くさそうに頭を掻いた。


「山下ね」


 呟いてから、顔を上げた。


「あいつも柴田を縛り付けているんじゃないか?」


「いや。山下は糸で繋がったりはしていなかったから。それに、私を殺す方に意識がシフトしちゃったからね」


 それに、山下は尾崎に嫉妬をしていた。怒りが尾崎ではなく、真悠に向かったことへの悲しみが過る。山下は、好きだった人や友だちに憎しみをぶつけることができなかったから、だから真悠は標的にされてしまった。


「何だよ。一番呪われていたのは、俺か」


 尾崎はまた頭を掻いて、舌打ちをする。

 そして、笑った。

 赤い糸はシャボン玉のように弾けて、消えた。


「行こう」


 ふと、尾崎が歩き出す。さっさと進んで、真悠を振り返る。早くしろと視線を向けてくる。


「どこにいくの?」


「家まで送ってく。遅いから」


 再び背中を向けて、尾崎は答えた。

 二人で公園を出ていく。尾崎はどんどん歩いた。あんまり速くて、真悠は小走りになるほどだった。

 公園が離れていく。


「家、そっちじゃない」


 真悠がいうと、尾崎は立ち止まる。


「家の場所、知らない」


 そうでしょうね、と、真悠は呟く。ちょっと笑ってしまった。でも、尾崎は真面目くさった顔のまま、立ち止まっている。指先が少し震えている。


「行こう」


 今度は真悠が先に歩き出した。

 赤い糸は消えたけれど、尾崎の悲しみがなくなったわけではない。


(これでいいよね、柴田さん)


 公園は遠ざかる。石碑も見えなくなる。あとは、尾崎の心が決めればいい。真悠は振り返らずに歩き続ける。赤い糸なんかなくても、尾崎は柴田さんを想い続けるだろうから。 


 ★


 それから数日経った、よく晴れた日。

 工事が始まるという知らせが入り口に貼られている。フェンスの修繕工事をするのだ。

 その前に、どうしてもこの花を供えたかった。


(あの緑のフェンス、危ないからね)


 花束を二つ買い、一つは柴田さんの母親に昨日、渡した。もう一つは、今、石碑のそばに供えた。

 淡紫色の釣鐘草は、もう鳴らない。

 そして、いつもの電車に乗るために、駅へと向かった。

 夏休みが近い。

 真悠はいつもの二両目の二つ目のドアのそばから窓の外を眺める。

 あれから石碑を見ないようにしていた。でも、今日なら。花を供えることができた今なら、見ることができるきがした。

 流れていく景色の中に石碑を確かめる。

 その瞬間。

 真悠は息をするのを忘れた。


(いる!)


 背中から汗が湧き出る。

 石碑の影から、人影がこちらを覗いていた。

 離れていて顔の作りもわからないのに、それが真悠を見て笑っているのがわかった。


(柴田さん?)


 人影は全てを知りつつ、こちらを見ている。


(柴田さん、なの?)


 真悠の家や、あの夜に石碑から伸びた白い腕は、確かに柴田さんだった。

 でも、今公園から真悠を見つめる人影が柴田さんという確証はない。


(別にそれでもいいや)


 だって人影は優しく笑っていたから。

 真悠の気など知りもせず、電車はただ走り抜けていく。

 思い出を抱え込んだ町から逃げ出すように。


 真悠が柴田さんの姿を見たのは、それきりだ。



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