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十三、石碑に向き合え

 次の月曜日の朝、電車の中から石碑を見ても、女はいなかった。

 火曜日も水曜日も木曜日も。女も、腕も、現われなかった。


(今朝もいなかった)


 現れないまま、金曜日の夕方になった。

 霧のような雨が続いていた。真悠は石碑の前に立っていた。背後で踏切と、電車が去っていくのが聞こえる。

 踏切の音が消えた後、レールの上を行く電車の、小気味よく刻まれる響きもやがて遠ざかっていく。

 雑草を踏み分けて、石碑の裏手へ回った。雨に振られて続けた草にあたり、靴も服もしっとりと濡れてしまった。

 後ろには、竣工に関わった人の名前が刻まれている。上から順に文字をなぞり、真悠は驚きで身を固めた。


(裏に、伝承なんて書いてない!)


 一人だけ生き残った女の話なんて、一言も書いていなかった。

 どうして偽の伝承を覚えていたのだろう?

 それは真悠だけではなく、同級生だけでもなく、卒業生を含む他の学年の子どもたちも、肝試しをしていたからだ。


(作り話だったのか……)


 小学生の作り話が幾年か年を越え、まるで本物の伝承の様に伝わっていったのか。ごく小規模な、トイレの花子さんのようになっていたのかもしれない。

 背中にじわりと冷たい汗が滲んだ。ここにいるのは伝承の呪いではない。真悠はわかっていた。


「柴田さん」


 呟いてから、大きく息を吐き出した。

 ゆっくりと石碑に触れる。冷たく温かくもない石碑の、ゴツゴツとした手触りの向こうに、黒い影が現れた。初めは手のひらほどの大きさだったのが、だんだん膨れ、真悠の背と同じくらいになった。真悠の影のように、人を象った形へと変化していく。


 真悠は黙ってそれを見ていた。


 右の手首から赤い紐が垂れていて、まるで血が出ているように見えた。


 背後で踏切が鳴り始める。


 影は顔をあげると、石碑のある小さな芝山から駆け下り、緑のフェンスをすり抜けて線路に吸い込まれる。轟音を鳴らす電車の前に立ちふさがり、そして、飲み込まれていった。

 肩を濡らす雨の冷たさをそのままに、真悠は立ち尽くしていた。

 尾崎がフェンスの向こうにいるのに気づいたのは、どれくらいのときが経ったのだろうか。


「何しに来た?」


 尾崎が低く、でも今までのより柔らかな声で言った。


「柴田さんに会いに来た」


「そうか」


 尾崎も、真悠も、雨に濡らされるままでいた。


「柴田が斎藤を弾いたことを皆に話したのは俺だよ」


 沈黙を破ったのは尾崎だった。


「俺のせいなんだ」


 尾崎がフェンスを押すと人一人通れる隙間を作る。簡単に外れてしまう事に驚く真悠をよそに、尾崎は公園側に来ると淡々とフェンスを直し、真悠をじっと見つめる。


「斎藤は、本当に柴田に会いに来たのか?」


「逃げていたから」


 真悠は小さく笑う。


「さっきの黒い影、あれは柴田さんなのかな」


 尾崎はこたえない。


「尾崎、聞きたいことがある」


 影は手に赤い糸を持っていた。糸の先は石碑へと続いた。そして、尾崎にもついている。


「その糸は何?」


「呪いの糸」


 ヘラヘラと笑って答えたが、糸をしっかり握りしめていた。まるで縋るように。


「俺と柴田をつないでいるんだ」


 呪いと言いながら、糸を慈しんでいる。赤い糸で結ばれていることに満ち足りている。


「呪いでつながれているのは、罪悪感からなの?」


 尾崎が目を見開いた。


「尾崎は、別に柴田さんを苦しめようとして、むかしのことを話したわけじゃないでしょう? たまたまなんでしょ?」


「そうだけど、それがその他の、誰かの悪意に変わってしまった」


 尾崎の、色白の顔半分は夜闇に染まっていた。滲み出る憎しみや怒りを隠すように。


「俺が話した人間はほとんど知らないんだ。柴田が攻撃を受けたことなんて。柴田のことを大して知らない人間の仕業なんだよ。そいつらが柴田を陰で有る事無い事撒き散らして、貶めて、孤立させた。でも、そんなのクソ人間の正体なんて、柴田には関係ないんだ」


 虚ろな視線が、石碑へと移る。


「これが死ぬまで続くことに気づいてしまったんだよ。それだけなんだよ」


 尾崎は両手を強く握りしめていた。真悠は何も言えないまま、そんな尾崎をみつめることしかできなかった。


「誰かに傷つけられることは続くんだ。防ぎようもない。自分も誰かを傷つけている。意識無意識どちらでも。人間なんて信じられるものか。自分のいないところでどんなひどいことを言っているかわかったもんじゃない」


 ふと、尾崎が真悠を見つめ直す。


「柴田も俺も同じだ。斎藤を、傷つけた。一方的に被害者ヅラなんてできない」


「それは、柴田さんに起きたことに比べたら」


 些細なことといいかけて、口ごもる。それでも激しく相手を憎んだのだから。見透かすように、尾崎は笑った。


「誰かを呪う気持ちなんて、誰にでもあって、その形は変化していく。悪意なんて幾らでも生まれるし、消える。それが死ぬまで続く。その事実に疲れたんだ」


 その声の弱々しさに、尾崎自身が自虐的な笑みを浮かべていた。その肩や、背中や、黒目や、濡れた髪が、ひどく寂しい。なぜそんなことを知っているのか。聞こうとしてやめた。


「尾崎はどうしてここにいるの?」


 尋ねても、尾崎は黙っている。


「私に……誰かに話したかったの?」


「そうかもね」


 話して少しは救われたのだろうか。真悠はそうは思えなかった。赤い糸を握りしめて離せないその姿は、更に追い詰められているように見えた。


「尾崎は悪くない」


 口から言葉が溢れた。


「自分を責めないでよ」


 尾崎が大きく目を見開いた。眼に街灯のオレンジが映っている。


「そんなことされたら、私が尾崎をなじることができない。あんな最低なことを、卒業式のあとにして、最悪な男だって。謝れって言いたいのに」


 尾崎はしばらく固まっていたが、クスクスと体を揺らして笑った。それから大きく深呼吸をしてから、真悠に笑いかけた。


「自分を責めているわけじゃない。ただ、自分のしでかした事に言い訳をしたかったんだ」


 まだ、尾崎の笑顔は寂しい。それに気付かれたことを察したのか、


「もう帰りなよ」


 突き放すように尾崎はいう。


「帰るよ」


 真悠は、今は柴田さんには会えない気がした。尾崎が柴田さんを見張っているから。


「また来るからね」


 捨て台詞を吐いて、真悠は雨の中を走り出した。

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