3. 人類の敵らしいです
一応ギリギリ邪神じゃない系神様、混沌神カフーラ。よくわからないうちに、その使徒にされてしまった。恩寵をもらっても信徒になる必要はないって言ってたのに。使徒は信徒じゃないからセーフってこと? そもそも使徒って何なの?
よくわからないことがありすぎて、混乱している。それでも、僕はとぼとぼ歩いてスラム街に戻ってきた。いや、だって、いたたまれなかったからね。ただでさえ、スラムの住人ってだけで冷たい目で見られるのに、そこに混沌神の使徒って肩書きがついたものだからさ。視線が痛いのなんの。
「戻ってきたか。ちゃんと恩寵は授かったんだろうなぁ?」
スラム街に入ると、早速、ピラさんが待ち受けていた。こんなにうれしくないお出迎え、なかなかないよ。
「え、ええと、一応、授かったんだと思います」
「はぁ? はっきりしないヤツだな。授かったんだな?」
「は、はい! 授かったのは間違いないです!」
ピラさんが右手を挙げるのを見て、即座に答える。あいかわらず手が早いんだよなぁ。
「で、どんな恩寵なんだ。話せ」
「ええと、ですね……」
はて、困ったぞ。恩寵を授かったのは間違いないはずだ。だって、頭の中に響いた声、謎のギャル曰く混沌神の声が言っていたからね。でも、具体的にどんな恩寵を授かったかは……あれ、よくわからないぞ。少なくとも、道具の類をもらった覚えはない。ということは、能力系かな。
「さっさと答えろ!」
ぐっ……結局、殴られてしまった。普通の子供だったら、すぐに心が壊れちゃうぞ。大人だって、こんな環境は長く耐えられないと思う。理不尽すぎる。
必死に考える。いや、考えたってわからないか。だから、念じる。
神様、神様。僕のもらった恩寵って、何ですか。
答えはなかった。けれど、“因子操作”という言葉が思い浮かぶ。不思議と確信があった。これが僕の授かった恩寵だ。
「もたもたするな!」
そうこうしているうちに追い打ちの蹴りがきた。
まずい! ピラさん、ご立腹だ!
さっさと答えないと!
「因子操作です!」
「あぁん、なんだそりゃ? 聞いたことがねぇな。どの神の恩寵だ?」
答えると、ようやく暴力が止まる。といっても、油断はできない。ピラさんは依然として不機嫌そうな顔だ。受け答えを間違えれば、また殴られるに違いない。
…………さて、ここで問題です。僕は、この問いに対して、素直に答えていいものでしょうか?
いや、答えるしかないんだけどね。適当に誤魔化せるほど神様のことは知らないもの。下手な嘘をついて、それがバレたら、余計に酷い目に合うことになる。
「ええと、カフーラ様です……」
小細工だけど、肩書きではなくて名前で答えてみた。ピラさん、チンピラだし、神様の名前とか知らないんじゃないかなと思って。
「名前なんてどうでもいい! 何の神だ!」
うぅ……また殴られた。小細工なんて意味がなかったね。殴られ損だ。
「こ、混沌神です」
覚悟を決めて白状する。だけど、すぐに後悔することになった。
「……あ゛ぁ?」
ピラさんの声が一段下がった。ドスのきいた低く唸るような声を上げたあと、凄まじい形相で僕を睨みつけてくる。一瞬だけ静寂が訪れた。このとき、僕の頭に過ったのは“嵐の前の静けさ”という言葉だ。
そして、嵐がやってくる。
「馬鹿か、てめぇ!」
蹴りが来た。足元を刈り取るようなローキック。僕は耐えきれず、転んだ。
「邪神の恩寵なんてもらいやがって! どうする、つもりだ!」
倒れた僕に、ピラさんは容赦なく蹴ってくる。どうにか身を守るため、僕は丸くなって、腕で頭を庇う。
「い、一応、邪神ではないって――」
「口答えするなぁ!」
言い訳は聞いてもらえない。口答えと見なされて、さらに蹴られた。
「混沌神はなぁ、人類の敵なんだよ! あの邪神の使徒が、どれだけ人様に迷惑をかけてるか、わかってんのか!」
蹴られる。のしかかられて、殴られて、また蹴られる。
いったい、僕が何をしたって言うんだ!
沸々と怒りがこみ上げてくるけど、そんなことを言ったところで余計に殴られるだけだ。ただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
「俺の村はな! 邪神の使徒が面白半分で起こした、魔物の暴走で、滅んだんだぞ!」
ピラさんの怒りは収まらず、僕はなすがまま。ただただ暴力に耐えるしかない。
というか……ピラさんが言ってることが本当なら……混沌神って、どう考えても邪神じゃん……そりゃ、ピラさんも……怒る……よね
「――い、聞いて――か! ――!」
ピラさんの声が遠く聞こえ始めた。体があちこち痛くて、意識が朦朧とする。体が言うことをきかずに、声も出ない。
……あ、れ?
これって……ヤバ、い?
体の芯が凍り付く感覚がある。命の灯が今にも消えそうな、そんな感じ。僕の体から、生命がこぼれ落ちていく。
視界が暗くなって、よく見えない。といっても、うずくまってるからもともと地面くらいしか見えないけど。最後に見えたのは、砕けた石畳を押しのけるように生える雑草だ。
ああ……僕は死ぬのか。こんな理不尽な死に方で。
いやだ……いやだよ。まだ死にたくはない。
そ、そうだ。僕には恩寵がある。因子操作って、いったいどんな能力なのかわからないけど。それでも、きっと……きっと、どうにかしてくれるはずだ。だから……だから……!
薄れ行く意識。恩寵の力を発動できたのかもわからず、僕の視界は暗転した。