140. 大人しくなったレグザル
ルーナはラーベルラに到着した夜には目を覚ましたけど、レグザルの昏睡状態は続いた。ようやく目を覚ましたのは、出発前日だ。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと考えていたところに、見張りのアライグマ隊が連絡をくれた。
「話はできそう?」
「きゅ? きゅう!」
状態を確認すると、アライグマ隊は首を傾げたあとに軽く頷く。言葉にするなら“まぁ大丈夫なんじゃない? 知らないけど”みたいな感じだ。敵対していたレグザルをよく思っていないせいか、扱いが雑なんだよね。
もう少し詳しく聞いてみると、意識はしっかりしているみたいだ。それなら話はできるだろう。大勢で押しかけるのも何だし、僕とリックでレグザル用に借りている宿の一室へと向かうことにした。
部屋の前に着くと、扉の向こうが妙に騒がしい。聞こえてくるのは、アライグマ隊の声だ。
「きゅうきゅう! きゅっ!」
「きゅ、きゅう!」
部屋にはレグザル監視のために、数人のアライグマ隊がいるはずだ。だから、彼女たちの声がするのはおかしくない。ないんだけど……ちょっと穏やかじゃない雰囲気だった。僕とリックは急いで、部屋の中に駆け込む。
『みんな、無事!?』
「いったい、どうしたの!?」
部屋に入ってすぐに、中の状況を確認する。緊急事態かと思って慌てたけど、特にそういうことでもなかった。少なくとも、アライグマ隊に危険はない。
「きゅう! きゅうきゅう!」
「きゅ! きゅう!」
『な、なんだっていうんだ! 俺が何をしたんだ!』
どういうわけか、レグザルが部屋の隅で縮こまっている。アライグマ隊はそんな彼に詰め寄っていた。想像していたのとは、逆の状況だ。
「えっと、これはどういう状況?」
僕が呟くと、レグザルがこちらに気づいた。彼の表情がパッと明るくなる。僕というよりはリックを見つけて安心したみたいに見えた。
『同郷人か! 頼む、助けてくれ!』
レグザルが何の躊躇いもなくリックに助けを求めた。敵対していた事実がないような態度だ。それだけならただ厚かましいだけと考えることもできるけど、まるで初対面かのような言動は違和感がある。リックも戸惑って僕を見た。
『どうなってるの……?』
「さぁ、さっぱりだよ」
僕にも事情は分からない。だけど、ひとまずアライグマ隊を落ち着かせることにした。
「みんな、少し下がって」
僕の指示に、アライグマ隊は渋々といった様子で後退した。ただし、レグザルを睨みつけるのはやめない。
「それで、何があったの?」
改めてアライグマ隊に事情を聞いてみる。すると、彼らは口々に説明してくれた。どうやら、レグザルが逃げようとしていたので、取り押さえるつもりで包囲したらしい。
「この状況で逃げようとしたの? そりゃ捕まえるよね」
「「「きゅきゅう!」」」
僕が頷くと、我が意を得たりとばかりにアライグマ隊が声を上げる。レグザルは僕らとの戦いに敗れて囚われた身分だ。この状況で逃げるなら、咎められても仕方がない。
しかし、レグザルは反発した。
『こんな状況だからだろ! いきなり見知らぬ場所に連れてこられて、謎のアライグマに囲まれているんだぞ。冷静でなんかいられるか! いったいどうなってるんだよ……』
強い語調で反論していたレグザルだけど、後半は勢いをなくしてうなだれてしまった。その態度に、先日のようなふてぶてしさはない。
人が変わったような態度に、僕とリックは顔を見合わせた。どうやら、レグザルの認識では、“突然知らない場所に現れて、謎のアライグマに囲まれている”という状況らしい。
「もしかして……記憶がないの?」
僕の質問に、レグザルは少しの間沈黙して。やがて、重々しい口調で聞いてくる。
『今は何年だ?』
『アラグロン暦なら524年だね』
『524年……嘘だろ』
リックが答えると、レグザルは信じられないと言うように頭を抱えた。話を聞いてみると、レグザルがはっきりと記憶にあるのは5年ほど前までみたい。それ以降の記憶は曖昧になっているそうだ。
「邪教徒の手先になっていたことも覚えてないの?」
僕が尋ねると、レグザルは顔を顰めた。
『……そうか。あれは夢ではなかったんだな』
どうやら朧気には記憶が残っているみたい。だけど、頭にモヤがかかっているかのようにぼんやりとしてるようだ。そのせいか、自分の記憶とも思えなかった。だから、レグザルは夢の出来事だと思ったそうだ。
人物の記憶も曖昧らしい。最後に誰かと戦ったような記憶はあるけど、それがどんな状況で、誰と戦ったかはぼんやりとしている。だから、僕やリックを見ても自分を捕らえた者だという認識がなかったようだ。
「"邪なる痕跡"について、何か思い当たることはある?」
手がかりを得ようと、"邪なる痕跡"についても聞いてみる。ただ、因子という概念には触れない。精神に干渉するような魔法的な細工がされていたかもしれないと、濁した形で話を持っていく。
『干渉か。心当たりはないが……ああ、いや、そういえば』
僕の説明を聞いたレグザルは精神干渉についてはっきりとした自覚はないみたいだ。だけど、もしかするとという心当たりを聞かせてくれた。
『記憶が曖昧になる直前、自分が自分でなくなっていくような恐怖があったような気がする。もしかすると、あれが干渉だったのかもしれない……』
記憶が曖昧になる直前というと、さきほどの話から判断すれば5年ぐらい前のことだ。"邪なる痕跡"という因子が原因だとすれば、それ以前に付与されたことになる。
『俺は……どうなるんだ?』
レグザルが不安そうに尋ねた。曖昧ながらも、自分が邪教の手先として悪事を働いてきた自覚はあるらしい。特に同胞を罠にかけてきたという事実は重くのしかかっているみたいだ。今後の未来が明るくないと思っているのだろう。敵として対峙したリックも痛ましいといった様子で彼を見ている。
「"邪なる痕跡"のことがあるから、君は僕が預かることになったんだ。調査に協力してくれるなら大きな罰則はないよ。ただし、完全に自由にもさせられない」
『それは当然のことだな』
僕が待遇について説明すると、レグザルはホッとしたみたいだ。だけど、すぐに不安げな表情になる。
『こんなことを俺が言うのも変な話だが……どうかしっかりと監視してくれ。そして、またおかしくなるようなら、そのときは……』
どうやら、レグザルは再び自分の意志が失われることを恐れているみたいだ。だから、僕はあえて気楽な口調で請け負った。
「うん。大丈夫。そのときはちゃんと止めるから。ねぇ、みんな」
「「「きゅう!」」」
任せろとアライグマ隊が一斉に頷く。さきほど詰め寄られたことを思い出したのか、レグザルの顔に苦笑いが浮かぶ。
苦さはあっても笑顔は笑顔だ。彼女たちなら自分を止めてくれると思ったんだろう。ちょっとは安心できたみたい。




