125. パトロンの提案とトビネズミレース
ここ数日、サーカスの客入りもだいぶ落ち着いてきた。それでも普段の興行と比べればかなりの大盛況らしいけどね。熱心なリピーターがいるのか、空席はほとんどない……あれ、ほとんど客入りが落ちてないね。空席の問い合わせが減ったから、勘違いしちゃったけど、まだまだ大人気みたいだ。
とはいえ、そろそろおしまいにしたほうがいいのかもしれない。興行はデルグサーカス団との共同だ。あちらの都合もあるからね。すでに何度か延長もしてもらっているから、あまり無理を言うのも心苦しい。本当なら、もう他の街に移っている頃だ。
というわけで、契約の見直しのために、僕はサーカス団のテントを訪れていた。打ち合わせには、デルグ団長だけでなく、調教師のリーヤムさんも同席してくれている。
「いやぁ、今回の公演は大成功でした。それも、ロイ区長の従魔たちが頑張ってくれたおかげですよ。こんな機会を与えてくださって、本当にありがとうございます」
デルグ団長がニコニコと笑顔のまま、頭を下げた。心の底から、喜んでくれていることがわかる。ありがたいことだね。
もちろん、感謝をしているのは僕もだ。
「こちらこそ、素晴らしい興行をありがとうございました! 特区の人たちも楽しんでくれたし、他の区との交流も増えました。ありがとうございます」
一年かけて特区の環境は大きく改善したけど、それでも他区に対してスラム化していた頃の印象を払拭しきれずにいたんだ。でも、サーカスで人を呼び込むことで、特区が変わったことを強く印象付けられたと思う。想定以上の結果に僕としても大満足だ。
お互いに頭を下げあったあと、僕らはにっこり笑いあった。デルグ団長とは良い関係が築けたと思う。
「こんなに長くブルスデンの街に滞在することになるなんて思いませんでしたよ。通常であれば、2週間ほどで他の街に移動するんですが」
リーヤムさんが感慨深げに呟く。
サーカス団は旅暮らしだ。それにはいろいろ理由があるんだろうけど、その一つが収入。長期滞在すると客入りが悪くなる、つまり収入が落ちてくるんだよね。今回は、通常公演のあと従魔との共同公演をやったので滞在が長期間にわたった。共同公演は収入を特区と折半という形だったけど、客入りが落ちなかったので滞在期間を延ばすことができたってわけだね。
とはいえ、この先、客入りが落ちるのは間違いない。やっぱり、そろそろ街を移ろうかって話になっているみたい。
残念だけど、それは仕方がないことだ。ただ、少しだけ考えていることがあるんだよね。
「それに関してなんですが、実は提案があるんです」
「ほう。伺いましょう」
デルグ団長が目を輝かせた。これはまた別のサーカスの提案と思っているのかも。そういうのとはちょっと違うんだけど。
「ええと……デルグサーカス団にはパトロンがいないんですよね? もし良ければ、ロルレビラ商会で活動を支援できればと思いまして」
「パトロンですか!」
デルグ団長が目を丸くする。リーヤムさんも驚いた様子だ。
別におかしな話ではないよね? 出資をして活動を援助する代わりに、少しだけこちらに便宜を図ってもらうだけだ。特に活動の制限をつけたりはしないよ。
「活動資金を援助しますので、ブルスデンの開発特区に拠点を持ちませんか? 建物はこちらで用意しますので」
「それはありがたい話ですが……」
「もちろん、僕にもメリットのある話ですよ」
デルグ団長が不思議そうな顔をしたので、僕の思惑を説明する。といっても、大したことではないけど。拠点を特区に置けば、デルグサーカス団が定期的に立ち寄ってくれるようになるはず。つまり、サーカスも定期的に開かれるってわけ。娯楽地区を自称するなら大きなメリットだよね。
「なるほど、そういうことですか。それにしても我々の受ける恩恵のほうが遥かに大きいですが……」
「あとはそうですね。こちらに立ち寄ったときには、従魔サーカスの再演もお願いできたらいいなと」
「それは、こちらこそお願いしたいところですよ!」
僕の要望に、デルグ団長が身を乗り出してくる。どうやら、デルグ団長も乗り気みたいだね。まぁ、大人気だから、やらない理由もないか。
当初の予定ではデルグサーカスで経験を積んでから、僕ら独自のサーカス団を結成しようと思っていたんだ。だけど、それは難しそうだとわかった。
公演だけならいいんだけどね。裏方の作業が大変なんだよ。座席の管理とか資金面のあれこれとか、やるべきことがたくさんある。現状では手を出すには、明らかに人手不足だ。
そんなわけで、デルグサーカスとの共同公演という形で続けていければいいなと思っていたんだ。提案が受け入れてもらえて良かった。
「そういうことでしたら、私たちのサーカス団に随伴してもらうのはどうでしょうか?」
おっと。リーヤムさんから、新たな提案だ。ブルスデンでの公演だけじゃなくて、本格的にデルグサーカス団の公演に組み込むつもりみたい。それだけうちの子たちが期待されているんだと思うと、なんだかうれしくなるね。
「おお、それはいいな!」
デルグ団長もやっぱり乗り気だ。このまま話がまとまりそうな勢いだね。でも、そうなると困ったな。
希望者がいるなら、デルグサーカス団に出向させるのは構わない。アライグマ隊は怪しいけど、トビネズミ隊のほうには希望者はいると思う。
ただ、それだとちょっと予定が狂っちゃうな。
実は、新しい事業として、ゼイン様が言っていたトビネズミレースを始めようかと思っているんだ。サーカスが終わることだし、暇になったサーカス隊のトビネズミにしばらくレースの走者をやってもらおうと思ってたんだけど……
「トビネズミレース! なんですか、その面白そうな話は!」
考え事してたら、うっかり呟いてしまっていたみたい。リーヤムさんが食いついてきた。概要を説明すると、彼女はますます目を輝かせる。
「素晴らしいですね! 私も協力したいです! ぜひとも!」
うーん。調教師として興味があるのかな? いや、うちの子には調教とかいらないから、単純に動物好きな気がする。
正直なところ、リーヤムさんが協力してくれるならありがたい。小規模にやるつもりだけど、それでもいろいろ問題は出てくるだろうからね。サーカスで事務処理なんかの裏方をやっているリーヤムさんに相談できるのは心強い。
ただ、無視できない問題がひとつ。
「でも、そろそろ、街を移るんですよね?」
「あぁ!?」
僕が指摘すると、リーヤムさんはこの世の終わりみたいな声を上げた。どうやらトビネズミレースという新事業を前に、少し前に話していたことすら飛んでしまっていたみたい。
普通なら、泣く泣く諦めるってことになるところだ。でも、リーヤムさんは諦めなかった。
「団長!」
「はいっ!」
掴みかかりそうな勢いで、リーヤムさんがデルグ団長に詰め寄る。デルグ団長はタジタジだ。
「興行が大成功だったので、資金に余裕はあります」
「そ、そうだね」
「ブルスデンに拠点を構えることになったので、その整備もしなくてはなりません」
「あ、ああ、うん。それもそうだ」
「拠点ができるのですから、せっかくなら長期休暇を設けてはどうでしょうか」
「そ、それはみんなに相談しないと……」
「もちろんですね! 私からみなさんに話そうと思います!」
どうやら、リーヤムさんは滞在期間を延ばす方向で説得することにしたみたい。初めから押されているデルグ団長に抵抗できるはずもなく……結局、デルグサーカス団はもうしばらくブルスデンに留まることになった。




