106. そんなつもりはなかったオードさん(行商人視点)
街から街へと移動して商品を売りさばき、また別の商品を仕入れる。旅暮らしの行商は大変だが、新しい物との出会いに恵まれる機会も多い。商人なので何より儲けが優先だが、こういう出会いもまた行商の楽しみのひとつだ。
さて、今回はブルスデンの街に立ち寄ってみた。普段は通らないルートだが、途中の村で用意した商品が全てさばけてしまったので、何か仕入れられないかと思って足を伸ばしたのだ。
「ふむ。ずいぶんと賑わっているな」
この辺りでは一番大きな街だ。以前来たときもそれなりの賑わいはあったが、ここまでではなかったはずだが。
祭りでもやっているのだろうか。しかし、この時期にブルスデンで開催される祭りに心当たりはない。稼ぎ時なので、行商ルート周辺の祭りの予定は頭に入っているはずなのだが。
不思議に思いながらも、まずは宿を取ることにする。定宿というほどではないが、ブルスデンに寄ったときには“跳び鼠の尻尾亭”を利用することが多い。店主は無愛想だが、値段の割にサービスが良い宿だ。スラムに近いせいか、いつ行っても部屋が取れるのも良いところだ。
だが、いつの間にか状況は変わっていたようだ。宿はほぼ満室だった。運良く部屋が取れたのも、直前で出立した客がいたからだという大した人気ぶりだ。
「繁盛しているようですね。何か理由があるんですか?」
「ああ」
ちょっと情報収集でもと店主に話を振ってみたが……そうだった。この店主、無愛想というより無口なんだった。
「リッドさん、それじゃわかんないって」
「そうか……」
「いや、そうかじゃなくて……まぁ、いいか。おい、あんた! 話が聞きたいなら俺が話してやろうか。ここ最近の変化に関してはなかなか詳しいぜ」
困惑する私に思わぬ助け舟を出してくれたのは、食堂のほうから顔を出した若い男だった。出で立ちは冒険者風だが、手にはギタラを持っている。よくわからない男だった。
なんにせよ、話を聞かせてくれるならありがたい。この店主では文字通り話にならないからな。
「それは助かるよ。店主、彼と私にエールを貰えるかな」
「お、いいね! でも、それなら俺がいいの持ってるぜ。これも何かの縁だ。あんたにも振る舞ってやろう」
「え? あ、いや……」
「リッドさん、ロイにもらった酒を出してくれ! こっちの商人にもな!」
「……飲みすぎるなよ」
情報料代わりに安酒の一杯でも奢ってやろうと思ったら、なぜか逆に奢られることになった。意味がわからない。
ひょっとして酔っているのか? となると、これから聞かされる話もどれほど信じていいものか。やれやれだな。だが、店主より話を聞き出すよりはマシか。
「で、ここが繁盛している理由だったか?」
酒が届けられるのを待たず、男が話しはじめる。ひょっとしたら、ただ話したいだけなのかもしれない。
「単純な話だ。しばらく前にスラムからギャングが一掃されてな。治安もよくなったんで利用者が増えたんだ」
「スラムが? なるほど、それで」
もともと、立地のせいで客入りが悪かっただけだ。それが改善されたとなれば、人気が出るのも当然だった。
「しかし、ギャングを一掃するほどの大事業とは……領主様も思い切ったな」「大事業というか……それはまぁ成り行きなんだよなぁ」
「成り行き?」
貧民地区の治安低下は大きな街には必ず付きまとう頭の痛い問題だ。特にブルスデンはギャング団が根城にしたこともあって、特に深刻であった。領主がついに重い腰を上げたのかと思ったが……どうやら違うようだな。しかし、ギャングが一掃されるとはどんな成り行きでそうなるんだ?
「あー……あれだ。たまたま勇者が滞在していてな。スラムの制圧に力を貸してくれたんだよ」
「ほぅ、勇者!」
勇者トールの噂なら聞いたことがある。手強い魔物や凶悪な盗賊たちを討伐し、大した報酬も受け取らずに去っていく。まるで御伽話の正義の味方だ。
初めて聞いたときには眉唾ものだと思った。しかし、実際に世話になったという村も多い。私の行商ルートも格段に治安が良くなったので、密かに感謝していたのだ。
勇者はスラムの治安回復に一役買ったあと、ここブルスデンを拠点として活動しているらしい。旧スラムも、勇者主導で再開発が行われているとか。
なかなか興味深い話だ。新しい事業のはじまりには、何かと商機が転がっているものだからな。まぁ、行商をやっている私にはそこまで関係のない話だが。
「っと……話し込んでしまったな。さぁ、飲もう」
「ああ、そうだったな」
話の途中に店主が酒を持ってきてくれた。これが、とっておきの酒か。見た目にはエールと変わらないが……
「……っ!? なんだ、酒は!?」
一口飲んだだけで、違いがわかった。これはエールだが、エールではない。今まで飲んできたものと何もかもが違った。味、香りはともに極上。職人の研鑽と適切な保存状態で、エールとはここまで上質になるのだろうか。それよりは魔法でもかけられたと言われたほうが納得できるような味わいだった。
「な、うまいだろ?」
「あ、ああ……信じられないほどだ」
夢中で飲み干して、気がつけばジョッキは空になっていた。
これほどの品質……エールとはいえ、安酒とは決して呼べない。いや、かなり高価なはずだ。それを振る舞うとは……その意図はどこにあるのか。
そうか、わかったぞ。この男は私が行商であると見抜いていたのだ。そして、この酒を飲めばきっと食いつくと思ったに違いない。手のひらで転がされているようで癪だが、この酒を取り扱ってみたいという衝動は抑えられない。
「教えてくれ! この酒はどこで買えるんだ?」
商品の宣伝をするくらいだ。当然、伝手があるのだろうと思った。だが、男はなぜか困ったような表情を浮かべる。
「あー……これは貰い物で、一般的には販売してないんじゃないかな? どうしても欲しかったら、特区のロルレビラ商会を覗いてみたら、もしかすると売ってくれるかもしれないが……」
「そ、そうか」
なんだ? 商品を紹介したかったわけじゃないのか?
戸惑いつつも、私は明日、特区に足を向けることを決めた。




