104. 特別とは(市民視点)
ハウスキーパーと警備隊の色分けがされていなかったので、改めて。
従魔マフラー色分け
ビネ :赤
警備隊 :青(以前は緑でした)
ハウスキーパー:緑
サーカス :黄
ついに、サーカス当日だ。娘を連れて、旧スラムに向かう。
スラムといえば荒くれ者か金のないヤツらが集まる場所。まともな人間は寄りつかない。建物の修繕はされないまま荒れ果てていると聞いていた。
しかし、実際に足を運んでみると、荒廃した印象は少しもなかった。かつての面影が全くないとは言わないが、倒壊間際のような古い建物は軒並み撤去されるか改築されているようだ。噂では聞いていたが、新しい区長がやり手らしい。
思った以上に人も多い。大半は俺たちと同じく、サーカスを見に来た他区の人間だろう。それを目当てに屋台を出しているのが、旧スラムの住人だろうか? 着ている服もまとも……というには少々奇抜だが、少なくともぼろきれの類ではない。
というか、素材の品質は一般的な平民が着る服より上等じゃないか? まぁ、表に出る者だけ特別な服装を仕立てているのかもしれないが。
「物取りだ! 捕まえてくれ!」
雑踏の中から、突然、そう叫ぶ声が聞こえた。反射的にそちらを見ると、細身の男がずた袋を抱えてこちらに走ってくる。
進路を塞ごうと思えばできなくはない。だが、今は娘を連れている。盗まれた者には申し訳ないが、娘を危険に晒してまで人助けはできない。
物取りが俺たちのそばを通り過ぎようとしたそのとき。
「チュウ!」
どこからともなく、ネズミの鳴き声がした。俺の足元を凄まじい速度で何かが駆け抜けていく。それはそのまま物取りの足にぶつかり、男は派手に転んだ。
「な、なんだ!?」
「チュウ!」
物取りの逃走を阻止したのは、トビネズミだった。首元に青いマフラーをしているので、サーカス団の従魔だろう。いや、以前見た従魔は黄色いマフラーをしていた。別の個体だろうか?
となると、マズイかもしれない。トビネズミはとても弱い魔物だ。サーカス団のアレは極めて特殊な事例。魔法も使えず、力も弱い。暴漢の相手などできるはずがない。
「この! 雑魚のくせに邪魔するんじゃねぇ!」
物取りも逃走を妨害したのがトビネズミと知って強気になったらしい。勇敢な従魔を蹴りつけた――――いや、蹴りつけようとしたが、それは叶わなかった。
「あ、あれ? あのネズミ、どこ行った!?」
蹴りを空振りして、男は目を白黒させる。そこにいたはずのトビネズミがいない。正直、端から見ていた俺にも、いつの間に移動したのかわからなかった。
「チュチュウ」
トビネズミは男の背後にいた。やれやれと肩を竦めるような仕草をすると、男の膝裏に突撃。
「のわっ!?」
男が膝から崩れ落ちる。だが、それでトビネズミの攻撃は止まらない。倒れた男の背中目掛けて、飛び蹴りを放ったのだ。体重の軽いトビネズミの一撃など、たいした威力はない……はずなのだが、聞こえてくる打撃音は凄まじい。
いったい、あの蹴りはどれほどの威力を秘めているのか。ぐぼぉと男が漏らした声から推し量るしかないが、少なくとも自身の体で試したいとは思えない。
「チュウ!」
トビネズミが、倒れた男の上で決めポーズを取る。直後、囃し立てるような声が複数上がった。
「きゃー、ねずみさん、かっこいい!」
「さすがは区長の警備隊だ!」
「へへ、特区で盗みを働くなんてバカなヤツだな」
「ギャングの残党だって追い出した凄腕警備隊だぞ! 物取りなんかが敵うわけないだろ!」
目を疑うような光景を、彼らは当然のこととして受け止めている。あの奇抜な服装からすると、彼らは特区の住人だろう。
どうなっているんだ、ここは。誰かが区長の警備隊と言っていたな。ここではトビネズミを警備させているのか? いったい、なぜ……? 意味がわからない。
あと、どうしてトビネズミがあんなに強いんだ。この前の従魔は魔法を使っていたし、トビネズミ界隈はどうなっている。
俺の常識が間違っていたのかと疑ってしまいそうになるが、周囲を見れば受け入れているのは特区の住人のみ。他区からの客には戸惑いが色濃く見える。荷物を取り返してもらった男でさえ、ろくに礼も言えずポカンとしていた。
良かった。俺がおかしいんじゃない。ここが常識外れなだけだ。
いや、良くはない。
「お父さん、ネズミって、凄いんだね!」
娘が目をキラキラさせていた。まだ幼い娘は一般的なトビネズミがどういうものなのかわかっていない。このままでは……このままでは娘の常識が歪んでしまう!
「いいか。あのネズミさんは特別なんだ。普通はあんなに強くないし、賢くないぞ」
「そうなの? サーカスのネズミさんは?」
「あ、あれも特別だ!」
ぐっ……特殊個体が多すぎる!
しかし、どうにか言って聞かせて、娘の常識が歪むのを防ぐことができた。
まだ、サーカスを観ていないというのに妙に疲れたな。スラムがどう変わったのか興味があったが、さっさとサーカスのテントに入ってしまおう。ここは駄目だ。娘の教育に悪い影響がある。
「サーカスはこちらです! ご覧になられる方は列に並んでください!」
なるべく余計なものを視界に入れないように進み、ようやくサーカスのテントまでたどり着いた。案内役の住人が客を整列させている。それは良いのだが……
「チュウ!」
「あ、悪い悪い。並ぶよ」
案内役を補佐するのが、緑マフラーの従魔たちだった。トビネズミだけでなく、バブルウォッシャーもいる。彼らは列を乱す者を注意し、態度が悪い者は容赦なく列から排除していく。
それを見た娘がボソリと呟いた。
「特別なネズミさん、たくさんいるんだね」
二度にとどまらず、三度目だ。さすがに、俺も言い返すことができなかった。
「……そうみたいだな」
いったい、どうなってるんだ……ここは。




