Episode.2-4:悪戯
「.........ぇ、詩遠先輩、ですよね? どうしてウチに居るんですか.........?」
「んあ、悠姫?」
そんなことを考えながら廊下に突っ立っていると、急にスイッチを押す音が聞こえたかと思えば、頭上から照らされるライトの光とともに背後からそんな声が聞こえてきた。少々驚きながらそれに対して何も考えずに返事をするも、よくよく考えると何かがおかしい。
............詩遠先輩?
その名で俺を呼ぶのは、あいつしかいないはず。
「紫水? ......何で紫水がここに?」
「いや、それはこっちのセリフなんですけど」
困惑しながら紫水に問いかけるも、彼女もまた、明らかに困惑した様子でそう告げる。まあそりゃ、自分の家に突然部活の先輩がいたら普通驚くよな。......って、そうじゃなくて!
俺が親御さんと話している間に、悠姫が憑依していた身体が元に戻ったと言うのか?
何故? いつ? どうやって? このまま事態は終わるのか? 俺はまた、悠姫に何も言えないままで終わるのか? ......様々な疑問が俺の頭に浮かぶ。
何をどう処理していいのかわからず、俺は言葉を発せぬままにただ立ち尽くしてしまう。目の前に親しくて可愛い後輩がいるのにも関わらず、何故だか孤独を感じた。
しかし、そんなことをしていても話は始まらない。とにかく何か言わないと。何か。
「な、なあ紫水、あのさ............」
焦燥の中、俺は雑巾を絞るようにして声を出す。しかしそれは本当に絞りカスのような言葉で、言いたいことは喉元で渋滞を起こしているはずなのに、その中には何の情報も含まれていなかった。
「.........ふふ、くふふ、あははは!」
そんな状態のまま十秒程度が経過したとき。何が面白いのかは全く分からないが、正面に立つ紫水は突然腹を抱えて笑い出した。こちらは真剣に考えているのに、と一瞬怒りの感情が湧いたが、それよりも困惑の感情の方が強く湧き上がってきた。......はて、彼女はこんな風に笑う子だったか?
そう思ったのも束の間、彼女はひいひい笑いをこらえながらこう口にした。
「お疲れ様、詩遠。何か良さげな情報は得られた?」
そんな笑みを浮かべた彼女の顔を見ながら三秒、五秒、十秒と時を刻むうちに、だんだんと今の状況を理解する。.........ああ、なるほど。
完全に理解したところで急に力が抜けてしまい、俺は思わず壁にもたれかかりそのまま崩れるようにしてその場にぺたんと座り込んでしまった。
「何とも意地が悪いな......悠姫」
「えっ......? あ、ご、ごめんね!? そこまで驚くとは思わなくてっ」
そんな俺の様子を見て、悠姫は慌てて俺の下へと近づきちょこんとしゃがみ込む。おろおろあわあわしている彼女を見ていると、意図せずやり返すことが出来たようで少しだけ心が落ち着いた。.........確かに、俺も事態の究明を急ぎすぎて固くなっていたかな。そこに関しては反省しないと。
さて、こんな所でじゃれあっていても仕方がないし、そろそろ話し合いに戻ろうか。そう思い、悠姫に「もう大丈夫だよ」と声を掛けようとしたのだが、それよりも先に、彼女からの悪戯において一つだけまだ落ち着ききっていなかった絞りカスが、安息を求めるかのように口から漏れ出してしまう。
「俺はてっきり、またお前に何も——」
「.........私に、何?」
自分の予期せぬ言葉に驚き慌てて口を噤む俺。意味が分からずきょとんと見つめる悠姫。
「.........んにゃ、何でもないよ。さあ、そろそろ部屋に戻ろう」
「う、うん。わかった」
慌てて誤魔化すよりも受け流した方が被害が少ないと咄嗟に判断したが、少なくともそれは間違いではなかったようだ。明らかにそれ以降の言葉が気になっている様子の悠姫だったが、半ば強引に部屋へと誘導すると、それ以上は追及せずにとことこと着いてきた。.........でも、どう転ぼうがこの件に対していつか向き合わないといけないんだ。後悔しないように、覚悟はしておかなければ。
後ろ手でゆっくりと部屋のドアを閉めながら、そんなことをぼんやりと考えていた。