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模造品のリナリア  作者: 主憐茜
第一章
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Episode.1-4:貴女は誰?

 彼女は回想を終えると、深く深く溜息を吐いた。まあ、それも無理のないことだ。むしろ、こんな出来の悪い御伽噺のような出来事が自分の身に起きているというのに、困惑しない方がおかしい。


 そんな彼女に何を言うべきかと十数秒考え込んだ結果、俺は取り敢えずの疑問を晴らすべく彼女に声を掛けた。


「.........えっと、じゃあお前は『悠姫』でいいんだよな......?」

「まあ、そうだね。信じてもらえるかは分からないけど」

「じゃあ............悠姫」


 その名前を当人に呼びかけるために発音するのには、ひどく違和感があった。普段からその名を度々口にしていたはずなのに、何故だか異常なまでに心臓が跳ねる。それはまるで夢のようで、そう、まるで悪夢でも見ているかのような感覚であった。


 真か偽か、なんてことは関係なく、これは異常なことなのだ。金村悠姫がこの世にもう存在していないということは周知の事実で、今どんなファンタジックな出来事が起きているのだとしても、ここが現実ならばいつかはこの現象も元に戻ってしまう。そうなったら、俺はまた彼女と別れなければならなくなる。

 もう二度と感じたくもないと願ったあの感情を再び、味合わなければならないのだ。


「ええと、詩遠? どうしたの......?」


 俺が呼びっぱなしで苦い顔をしていたからか、悠姫は俺を覗き込むようにしてそう問うた。.........まあ、一旦このことは忘れて目の前のことに集中しようか。


「いや、何でもない。.........俺も疑っているワケではないんだけど、やっぱり今の状況を何も言わずに咀嚼しろってのはちょっと難しくて。だからちょっとした質問をしたいんだけど......いいかな」

「まあ、あんまり恥ずかしい質問じゃなければ」


 さすがに先輩たちがいる前でそんなことはしないさ。と笑って見せる。......というか、俺達しか知らない『恥ずかしい』ことなんて、俺も知らない。

 少々時間を使って考え込んだ。この場面で彼女に対してする質問は何がいいだろうか。

 数分唸っても出てこない。椿さんや要さんにパスを回そうと思ったが、二人とも「詩遠(君)が一番悠姫ちゃんのことを知ってるでしょ」と返した。まあ、そうなんだけどさ。


 それからさらに五分弱が経過した頃。俺はようやく一つの質問を思いつく。果たしてそれが悠姫の言う『恥ずかしい質問』とやらに当てはまるのかどうかは分からなかったが、正直これ以外に適しているものが全く思い浮かばないので、決定して口を開いた。


「俺が最期に見舞いに行った時、悠姫と約束したことがあったよな。.........その内容を、言ってくれないか」

「それって、『蘭ちゃんと仲良くするんだよ』っていうやつ?」

「......ああ、正解だ」


 彼女はさも当然だと言わんばかりに、俺があの時聴いた言葉を一言一句違わず即答した。二人だけの空間で、悠姫が俺にくれた最後の言葉。それを知っている彼女を疑う余地なんてどこにも存在しなかった。


 今何が起こっているのかと言うことについては何も分からないし、詳細を聞いたとしても信じられる気がないが、俺の隣に座っている少女は、誰が何と言おうと『金村悠姫』であることは確定したことであった。


 けれど、何故だろうか。あれだけ悔い嘆いた彼女の消失が今取り消されているというのに、微塵も正の感情が湧いてこないのは。


 理由が分からないから? これがいつまで続くか分からないから? ......心底では、彼女が悠姫であるということが信じれていないから? ............脳内ではそんな理由の候補が挙がるが、正直どれもピンとこなかった。


「............それでさ、私がここに来たのはさっき言った『自分の存在の確認』と言うのもあるんだけど、もう一つあって」


 その後、皆何かしらのことを考えてはいるのだろうが、それを口にしようという人物はおらず、言葉という言葉も交わさないままに時間だけが過ぎていった。

 そんな状態のまま、もうあと十分で下校時間だという時に悠姫は静かにそう告げた。本当に小さな声量であったが、環境音すらほとんどしない地研部室には大きな音量に感じられた。

 彼女は言葉を続けた。その声は、微かに震えている。


「.........私、これからどうしたらいいのかな」


 『どうなるのか』ではなく『どうしたらいいのか』と言葉を選んだのは、とても彼女らしいと思った。なんてどうでもいいことはすぐに頭に浮かぶのに、その問いに対する答えはやはり、浮かんでこない。


 というか、その『問い』というのは、彼女だけでなくこの場にいる全員が思っていたことであり、それを代弁するような形で彼女が発しただけで、いわば『ここから議論を始めよう』という合図なのだと感じた。


 だが、それをしようにも、今は時間も知識も十分にはない。だから俺たちは、せっかく切り出してくれた彼女に対してこんな提案をしなければならない。


「ごめんな、悠姫ちゃん。その話はもうちょっと状況を整理してからにしないか?」


 そしてその役は、要さんが率先して引き受けてくれた。斜め前の机に向かって少々身を乗り出し、まるで聞き分けの悪い子供を諭すかのような優しい声音でそう言う。すると悠姫はハッとしたかと思えば、「確かにそうですね」と柔らかな笑みを作った。


 それからは特記するようなこともなく、各々荷物をまとめて帰宅の準備を黙々と進めた。......とはいっても、皆の机はいつもよりも数倍綺麗だったので、それも十数秒もすれば片付いた。


 やはり滑りの悪い戸を開け、要さんを先頭として全員が部室の外へと出る。蛍光灯のぼやけた明かりしかないこの廊下では、今がもう夜であるということを改めて認識させられた。普段なら部室でしていた話の続きなどで盛り上がっていることも多いのだが、さすがに今日ばかりはそうもいかなかった。


 本当に静かな廊下には、まばらな靴音の反響音だけが響いた。




「.........それじゃあ、今日はこの辺りで」


 高校の最寄りの駅前広場で、椿さんはそう告げる。俺と悠姫はそれに呼応し、今まで押してきていた自転車にまたがる二人の背中を見送った。そして、その姿が暗闇へと消えていった頃を見計らって、俺は隣にいる悠姫へと声を掛けた。


「悠姫は、今日はどうするんだ? さすがに紫水の家に?」

「.........まあ、そうだね。本当は私の家で過ごしたいんだけど、今日すぐにっていうのはさすがに無理かな」


 そりゃそうだ。紫水の両親は娘が急に帰ってこない事に対して心配するだろうし、説明したところですぐに納得はしないだろう。そのまた逆も然り。悠姫の両親も......まあ、多少変わった人ではあるが一応常識は持っているので、急に事態の詳細を話したところで信じてはくれないだろう。......となれば、紫水の家へ帰宅し出来るだけボロを出さないように過ごすのが安牌だというのは間違いない。


「んじゃ、俺達も今日はここでお別れだな。......人のLINEを使うのは躊躇するかもしれないが、こんな時だ。何かあったらすぐに連絡を————って、どうしたんだよ」


 俺の家と紫水の家とでは電車の方面が違うので、いつもの通り改札前で別れようとすると、悠姫は歩き出す俺の腕を何も言わずに掴んでいた。

 さすがに振りほどくこともできず、彼女からの言葉を待つ。幸い改札やホームへの階段から少し離れた邪魔にならない場所であったため、俺はゆっくりとそうすることが出来た。

 して、十秒もしないうちに、彼女は言う。


「.........えっと、ちょっと蘭ちゃんの家まで着いて来てほしいんだけど.........駄目、かな?」


 それを聞いた時、すぐに彼女がその後どうして欲しいかということを理解できた。だからこそ、すぐに首肯することは出来なくて。


「俺がいたところで何も変わらないと思うんだけどなあ。現に俺もこの現象に対しては半信半疑な部分もあるし」

「......でも、私だけよりはマシだと思うよ」

「それはそうだが.........」


 一旦、脳内でシミュレーションをしてみる。

 そもそも、俺と紫水の両親は面識がない。......いや、一度三者面談の時に母親と会った事があっただろうか。まあ、それがあったとして、したことと言っても挨拶と世間話くらいだ。そんな男が夜突然訪れてきて、娘と一緒に摩訶不思議な現象について語り始め、挙句の果てには自分の娘が全く別の人物へと刷り替わっていると語る。

 ............さすがに無理じゃねえか、これは。


「ううむ......」


 しかし、ここで断るというのも勇気がいる決断だと思った。今俺達が持つ情報だけでは、正直議論が堂々巡りしてしまう可能性は非常に高い。そうなれば、紫水と最も近い距離で過ごしていた両親を議論に巻き込んだ方が、解明に近づく可能性は上がるかもしれない。

 さて、どうしたものか。

 俺は彼女が黙りこくっていた十数秒間の数倍もの時間をかけて、結論を出した。


「.........分かった、着いていくよ」

「本当? ありがとう!」


 彼女は途端に明るい表情を見せた。


「ただし、お前は飽くまでも『紫水蘭』という人物を演じ、直接的な話はしないこと。......あと、家に入らないでくれって言われたらさすがに帰るからな」

「うん! それでも独りでいるよりかはだいぶ気が楽になるよ」


 ......ああ、なるほど。俺は彼女の思考を少し読み違えていたようだ。勿論、悠姫も俺を利用して解明の方向へと舵を切りたかったのだろうが、それ以上に、一人では心細いという理由もあったのだろう。十数年一緒にいたと言うのにそんなことすら読み取れないとは、本当に幼馴染なのだろうかと自分を疑いたくなってくる。


 かくして、今日の今後の予定を決定した俺と悠姫は、二人並んで駅構内を歩くのであった。

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