Episode.5-10:ガールズトーク
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先輩が去ってから一体どれくらいの時間が経っただろうか。一向に時計の針が進まず、日が沈まない部屋に独りで居るのは正直気が滅入る。......しかし、そんな時間もようやく終わりの時を迎えるようだ。この世界の輪郭が少しずつ薄くなっていっているのを感じる。亜空間ごと私は消えていくのだ。正直、こうじわじわと存在が消えるというのはとても怖い。だが、前回に比べればそれも幾分かマシだった。少しだけではあるが、彼とちゃんと話をできたからだろうか。
胸の中で詩遠先輩のことを思い浮かべながら、私はその時をじっと待つ。
だけど。
「......? どういうこと?」
だいぶ薄くなっていたこの世界が、何故か通常の濃さへと逆戻りする。前は完全に亜空間が消えた後、しばらくしてから私の魂が引き寄せられる形で再びこの亜空間へ来たため、こんな事態は初めてであった。もしなんらかの効果が未だに残っており、まだしばらくはここに滞在しなければならないのだとすれば、地獄以外の何物でもなかった。
もう一つ考えられる可能性があるとすれば、ここへ誰かが訪れるということだが、この期に及んでそんなことがある、わけ...............
「——悠姫先輩」
ない。そう独白で言い切る前に、そんな私の考えを食い気味に否定するように、目前に一人の人物が現れた。しかしそれは、ニ度私に会いに来てくれた詩遠先輩ではない。その詩遠先輩の幼なじみであり、今年の八月に亡くなってしまった、そう、悠姫先輩であった。
「やあ、久しぶりだね、蘭ちゃん。元気にしてた——訳ないか。ごめんね」
そう言いながら申し訳無さそうに笑う悠姫先輩は、慣れた足取りで自分の定位置へと向かい腰を下ろす。おそらく詩遠先輩や華菜叔母さんから大体の事情は聞いているのだろうが、それにしてもこの空間に対して順応しすぎではないだろうか。......まあ、それも悠姫先輩らしいと言えばらしいけど。
「それで、先輩はどうしてここに?」
大方察しはつくが、敢えて彼女に問う。
「あなたを取り戻しに来た......って言うと少し違うか。『交代』の方が正しいかな」
ああ、やはりそうなのか。詩遠先輩の言葉が結果的に偽りとならなかったことについてはとても嬉しく思うが、このような形でバトンタッチされることになるとは思ってもみなかった。......正直、一対一で悠姫先輩と話すのは少しばかり苦手だった。性格が真反対であるということもあるが、そんなのは些細な問題で、一番は私が彼女に対して抱いている罪の意識であった。彼女と話すだけで、その申し訳のなさというのは増幅していく。
「......それなら、私がしたようにリナリアを使ったら良かったのでは? それがどのような結果を及ぼすかというのももう分かってるわけですし」
その言葉に対して先輩は「うーん」と唸り声を上げ少し考え込むも、どこか納得していない様に言葉を紡ぐ。
「それじゃあ駄目だよ。私も詩遠と同じように、蘭ちゃんに対して伝えたいことがあったし。それに.........私、みんなに忘れられたくないよ」
「それは.........。私だって、悠姫先輩のことは忘れたくないです」
本心からの言葉であった。良い記憶も悪い記憶も存在するが、それらをひっくるめて大好きな悠姫先輩との記憶で、大切な思い出である。何があっても忘れたくなんてない。
「あはは、ありがと。こう面と向かって言われると照れるね」
彼女は恥ずかしそうに笑う。自分の顔がこんなにも自然に笑みを浮かべているというのは、なんだかとても新鮮だった。
ひとしきり恥ずかしがると、分かりやすい咳払いをしたかと思えば、言葉を続ける。
「それにさ、『この恋に気づいて』って花言葉じゃもう効果ないかなって思って。詩遠もあなたが自分に好意を持ってるのは知ってるんでしょ?」
「え、そうなんですか?」
「え、違うの?」
不自然な静寂が二人の間に漂う。......まあ、キスまでせがんだのだ。多少は気づいているのかも知れないが、直接言ったわけでもないから本当のところは不明である。なにせ相手は悠姫先輩の好意にすら気づかなかった詩遠先輩だ。その可能性は良くて半々くらいだろう。
いや、これに関しても私が悪いのだ。そんな性格だと分かっていながらも、直接想いを伝えなかった私が。おそらく悠姫先輩も、前に亜空間で会ったときに気持ちを伝えたと思っていたのだろう。でも.........
「私、もう現世に帰れないと思っていたんです。だから、詩遠先輩の負担にならないようにと、敢えて言わなかったんです」
彼女は少しだけ沈んだ顔で、そっか、とだけ呟いた。
かと思えば、少し明るい表情を浮かべながら、言葉を続ける。
「それなら丁度いいかな。私はあなたに『想いを託し』に来たのだから」
想いを託す......ああ、河津桜だろうか。本当、叔母さんの店はなんでも置いているなあ。でも確かに、今の私達の状況ならば最適な花であると言えるだろう。
「......それで、これから私はそれをするためにどうしたら良いのかな?」
小首を傾げて私に問う。河津桜なんて限定的な花を使ったこともないが、おそらくは。
「先輩がそう宣言した時点で効力は発揮されていると思います......多分。まあ、一度使えば効力が発揮されるまでここから放り出されることはないはずですからご安心ください」
すると、彼女はどこか納得したかのような表情を浮かべる。
「そっか。なら安心だね。......それじゃあさ、それまでちょっとお話しない? 私、あなたと話したいこといっぱいあったんだ!」
そう言う悠姫先輩は、まるでこれから自分が死ぬとということを知らないと思わせるほどに楽しそうだった。私を相手にしているからと無理をしていないだろうか。哀しそうな顔をしていて欲しいわけではないが、そんな事が気になってしまった。
私としても、これが最期になるのだとしたら悠姫先輩とお話したいことは沢山ある。......でも、心ではそう思っていても、口は上手く動かなかった。やっぱり、アレを言ってからではないとまっすぐ悠姫先輩を見れないのだと実感する。
腹を決めると、彼女に悟られないように小さく息を吸って吐くと、私は言う。
「先輩、私......謝らないといけないことがあるんです」
「......そっか、それは先に聞いてあげないとね」
まるで、その表情は少し年上のお姉さんのようで。いたずらを自白する妹を窘めるかのような優しい瞳をしていた。............私が抱く悪戯は、そんな次元ではないというのに。きっと、彼女の中に存在する『紫水蘭』とは、そのような人間なのだろう。それすらをも裏切ってしまうことに対する罪悪感と恐怖が、私の口を雑に縫った。しかし、これが最期なのだと考えると、それは自然と解ける。
「私、悠姫先輩が亡くなった時、ほんの一瞬だけ『嬉しい』という気持ちが生まれてしまったんです。花壇の件から普段の高校生活まであんなにお世話になったのに、恩を仇で返すような考えを抱いてしまったんです。......それが、本当に申し訳なくて。ずっと、謝りたくて」
彼女の顔を直視できなかった。返答が来るまで、俯いたままずっと床を見つめる。冷めた目つきで『効力が発動してからそんな話をするだなんて最低だ』なんて思っているのではないだろうか。その静寂は、身体に微小な震えすらをも引き起こすほどに怖かった。でも、それが私のしたことなのだ。そんな事を思ってももう遅い。
やがて、悠姫先輩の声が聞こえてくる。
「.........ええと、それだけ? 私に何か悪いことをした、とかじゃなくて?」
あっけらかんとそう問い返す悠姫先輩は、私から見れば異常なまでのお人好しとしか感じられなかった。
「それだけって.........確かに危害を与えるようなことは何も無いですけど、それでも——」
「少なくとも私は怒っていない、っていうのじゃあ駄目なのかな。今の言葉を聞いて少しだけショックだったけど、でも、あなたがどういう人間で、私のことをどう思っていたかだなんてのは、普段の言動から嫌と言うほどに知っている。......きっと、そう思ったのにも理由があるのでしょう?」
今更隠しても仕方がないと思い、正直に告白をする。
「まあ、はい。......あの時、ご存知の通り私は詩遠先輩に対して恋情を抱いていました。だから、その隣を進行形で歩いていた悠姫先輩が居なくなって、これからはそこを自分が立てる思ったら、自然とそう思ってしまったんです。.........結果的にそれすら出来ていなかったんですけどね、あはは」
不甲斐なさを誤魔化すようにして自嘲する。私に気を遣ったのか、悠姫先輩も笑みを浮かべた。しかしそれは、私を嘲るようなものではなく、ただ純粋に、何かが可笑しくて笑っているようにも見えた。
「そっかあ、なら丁度いいかもね。それほどまでに詩遠のことが好きなら、安心して詩遠のことを任せられるよ。.........ねえ蘭ちゃん。多分あなたは、自分で自分のことを赦せないのでしょう? だから多分、私が何を言ってもその事実が存在する以上完全に罪の意識が消えることはないんだと思う。......でも私は、あなたがそんな事を一生背負いながら生きてほしくなんてない。
だからさ、ちょっとした約束をしよう。あなたの罪を少しでも軽く出来るように」
何が良いかなあ、と呟きながら先輩は考える。やがて、良い案が思いついたのか、明るい笑みを浮かべて告げる。
「そうだ、詩遠とした約束ともちょっと似ちゃうんだけど、『ずっと、詩遠の隣を歩くこと』でどうかな」
ずっと、と態々付け加えたということは、それは高校生のうちだけではないということなのだろう。これから何十年と何が起こるか何もわからないというのにそんな約束をさせるだなんて、悠姫先輩は意地悪だなあ。.........でも、それくらいの方が私の抱える罪を晴らすにはちょうどいいのかも知れない。
「.........分かりました。悠姫先輩が抱えていた溢れんばかりの想いも一緒に抱いて、私は詩遠先輩の隣をずっと歩き続けます」
そう私が告げると、悠姫先輩はとても満足そうな笑みを浮かべながら、「うん!」と頷いた。彼女が提示した条件に加えて、『悠姫先輩の詩遠先輩に対する想いを抱えて生きる』という枷を自ら加えたのだが、正直、彼の隣を歩くということよりも重い条件であるように思える。......いつの日かに聞いた、詩遠先輩を想う理由。あれを抱えて生きるのだ。多分、死ぬまで詩遠先輩の傍から離れることは出来ないだろうなあ。
「......ちなみに、これはいつくらいまで続くの?」
悠姫先輩は、ちょっとだけ寂しそうな目をしながら私に問うた。
「ええと......正直私もあまり詳しいことは分かっていないんですけど.........多分あと数十分ですかね? 一時間はないと思います」
「うん、それだけあれば十分かな。さあ、もう少しお話しましょう?」
その後、悠姫先輩と本当に他愛のない会話を行った。......まあ、彼女とて湿っぽい話ばかりでは気が滅入ってしまうのだろう。特に彼女は、いつも明るくてずっと前を向いていたような人だったから。
その要望に応えるようにして、私はなるたけいつも通りでその時を過ごす。明るすぎず、暗すぎず、悠姫先輩が知っている『紫水蘭』を演じた。本当は、涙が出てしまいそうだったけれど。本当に最期の時なのだ。出来るだけ楽しんで、そして悠姫先輩らしくしていたもらいたいと、心底からそう思った。
そして。
「.........そろそろ、なのかな」
悠姫先輩は、今までしていた話を急にぶつ切りにして、そう呟いた。ふと周りを見ると、先ほどと同じように世界の輪郭がだんだんと薄くなっていた。それも、進行速度が先程に比べて異常なまでに早い。もしかして、私が現世に還ると同時に彼女は消えてしまうのだろうか。
「悠姫先輩っ!」
焦って、柄にもない大声を張る。何を話せば良いのか分からず、頭がホワイトアウトしてしまう。しかし、それに対して悠姫先輩は至って冷静で、少しだけ悔しそうな表情を浮かべて、言った。
「もうお別れかあ。もっとお話したかったのに」
「しましょうよ、お話。何が良いでしょうか。先輩が好きそうな話だと——」
「——ふふ、ありがとう、蘭ちゃん。でも、始めたら続きが気になってしまうからやめておこうかな」
優しく笑う悠姫先輩の顔は、もはや半分くらい透過されたような薄さになってしまっていた。私は、せめて最期に感謝の気持ちだけでも述べようと口を開く。
「本当に、今までありがとうございました。お彼岸にはまたご挨拶に行きますのでっ!」
返しの言葉などは期待していなかった。私の声さえ悠姫先輩に聞こえていれば、それで。かろうじて、彼女が口を開いたり閉じたりしている姿が視認できる。彼女も、複雑な言葉だと私がわからないと踏んだのだろう。五文字だけの、『ありがとう』という、とてもシンプルな言葉であった。
そんな言葉が伝わった次の瞬間、世界は完全に消える。




