Episode.5-9:最期の時間
「俺は、これからを紫水と歩みたい。そのために、悠姫に協力してもらいたいんだ」
「........................」
まさか、そんな事を言ってくるとは思ってもみなかったのだろう。悠姫はぽかんと口を開け、こちらを見つめる。その裏で彼女が何を考えているのか、想像しただけで胸が苦しくなった。
「............そっかあ、振られちゃったかあ。残念、だなあ.........」
やがて、彼女は言葉を返す。あくまで平生を装うといつも通りの声音で言葉を紡ごうとする悠姫であったが、その台詞の最後には声が上ずってしまっていた。
少しばかり震えた右手を目元まで持っていき、数回目を擦る。すると、今度こそいつも通りの笑顔な悠姫に早変わり.........するわけもなく。それは、明らかに作られた笑顔であった。
「でも、ほんの少しだけ安心したかも。......君がそう言ってくれたお蔭で、私の罪がほんの少し、赦されたような気がするの。私が無理やり縛り付けてずっと解けなかった糸が、自然に弛緩していくような感じがして」
更に彼女は言葉を続ける。
「......私は、君には幸せであってほしい。本当は、その隣にいるのは私であって欲しかったけれど。でも、もし私が幸せでも、隣を歩く君がそうでないのなら何の意味もない。.........というか、君が幸せでないのなら、少なくとも私は幸せとは思えないもん」
「悠姫............本当にごめん」
「本当に、ね。.........私としてもこれ以上後腐れを残されるのは困る。それこそ、またこんな事になったら困るしね。だからさ、君が本当にそう思っているのなら、三つだけ私の言うことを聞き入れて? そうしたら全部がチャラ。それでいいでしょ?」
果たしてそんな事ができるだろうか、そうは思うものの、今の俺に彼女へ意見する気持ちは湧いてこなかった。
「......ある程度重いものにしてくれよ? 軽すぎると許された感じがしない」
「うーん......それは君次第かなあ?」
そう言うと、悠姫は突然ベンチから立ち上がり、くるりと身を翻すと俺をじっと見つめた。そして、暗がりの中、右手の人差し指をピンと一本伸ばして言う。
「一つ目! まあ、正直これは大前提なんだけど。蘭ちゃんと今度こそ仲良くすること! 後ろを見るなとは言わない。でも、何も君一人で背負うことはない。蘭ちゃんという素敵な人が居るんだから。頼って、頼られて、私達がしてしまった共依存とは違った、そんな関係を紡いでさ。そしていつか.........二人で揃って、私の墓まで顔を見せに来てほしいな」
続いて、中指を伸ばす。
「二つ目! 地域研究部を存続させること! ......今の場面であんまり言う事じゃなかったかも知れないけど、ちょっと言わせて。きっと、君たちはあの場所が無くなっても何やかんやで関係が続くんだろうけど、私はやっぱりあの場所で会う君や蘭ちゃんや先輩たちが好き。特に用が無くてもいつも来ていた君たちもそうだったんだと思う。......まあ、正直あんまり入ってくれる人は居ないかも知れないけど、それでも。残そうとする行動はしてほしいな」
最後に、薬指を伸ばす。
「三つ目! えーと............ちょっと、目を瞑ってくれない?」
急な命令に少々戸惑いながらも、俺は言われたとおりに両目をゆっくりと閉じた。......つい昨日見たような光景であった。まあ、立場は逆だったけれど。
少々緊張しながら彼女がアクションを起こすのを待つ。すると突然腿に重さを感じ、その直後胸部にも仄かな重さを感じた。そして、彼女の小さな顎が肩に置かれたかと思えば、耳元で彼女は小さく呟いた。
「三つ目。......ただ強く抱きしめてほしい。最期に貴方を感じさせて............?」
なるほど、そういうことか。
何も言わず、両手を悠姫の背中の方へと回した。そして、彼女の要望通り強く、それでいて包み込むようにして優しく抱きしめる。彼女から伝う体温は温かく、一瞬今が冬であることすら忘れてしまいそうなほどであった。
少しすると、その状態のまま悠姫は告げた。
「.........私、今確かに君と会話をしているのに、こんなにも近くにいるのに、どうしてか寂しいって感じる。どうしてだろうね」
「それだけ、俺のことを好きでいてくれたんじゃないかな」
「ふふ、自分からそれを言う? ............でも、多分正解。君のことがどうしようもないほどに好きだから、少し先にある未来を見て『寂しい』って感じるんだろうね。
.........さっき私からあんな事を言っておいて、今更こんなことを言ってごめんね? 私が君に幸せになってほしいこと、蘭ちゃんと仲良くしてほしいことは心底からの気持ち。でも、それとは別に、私のための私も、私の中には存在する。君と離れ離れになるのは寂しい。怖い。もはや想像もできない。.........やっと想いが通じ合って恋人になれたのにって、思ったりもする。
だけど、それじゃあいけないよね。君も、蘭ちゃんも、多分心の中には殺している感情も色々とあると思う。私は......最期の最期でそれが滲み出てきてしまった。でも、私はあなたと気持ちよく別れたい。そのために、この感情をどうにかして封印しなければならない。
だからさ、詩遠。もう少しだけ、このままで居させて............?」
そんな言葉を受けたからだろうか、俺が彼女を抱きしめる力が自然とほんの少しだけ強くなり、そして、とても小さくではあるが、その腕は乱雑に震えていた。
しばらくして、悠姫は「ありがとう、もう大丈夫だよ」と告げた。彼女を抱き寄せていた手の力を緩めると、悠姫は俺の腕から抜け出し、再び俺の間の前へと立った。
そして、俺をからかうようにニヤリと笑う。
「キスでもするかと思った? ......えへへ、キスは駄目だよ。私も最初そうしようかと思ってたんだけどね。............でもやっぱり、これは蘭ちゃんの身体だからさ。あんまり勝手なことは出来ないかなあって」
かすかに目視できる白い息と共に、彼女はそう言葉を漏らした。
それは、なんとも悠姫らしい理由であった。本当にそれでいいのかと問いたくもなるが、そうしたとて彼女から返ってくる言葉は大方予想できる。その上で問うのは野暮というものだろう。
「......さて、どうかな。これで君は、自分を赦せそうかな?」
「正直、分からない。.........でも多分、悠姫が提示してくれた条件を行動に移せたのならば、それは俺が俺を許した時なんだと思う」
「へえ、なるほどね。......ま、今日のところはそれで良いことにしてあげますかあ」
そんなことを言いながらも、彼女は満足気に頷いた。
「よし、じゃあひとまずこの件は終わり! ......私の気が変わっちゃわない内に、何をどう協力すればいいか、教えて?」
それから俺達は公園を離れ、家へと帰る傍らに華菜さんの店の話や悠姫に亜空間でしてほしいことなどの話を行った。......まあ、俺も花言葉や紫水家の力に関しては全然詳しくないから、結局概要だけを話して、後は華菜さん任せになってしまったのだけれど。
「......私、明日の朝にでもそのお花屋さんに行ってみるよ。やっぱり私、君のことが大好きだからさ。何となく、時間が経つにつれて気が変わっちゃいそうな気がするの」
悠姫の自宅の前で、彼女は玄関ドアを開ける前にそう俺に宣言した。
「だから、君とはここでさよならってことになるんだけど.........何か、言い残したことはない?」
そんな言葉は、彼女の存在を遠くへと追いやった。急に寂しさが込み上げてくる。しかし、そんな時でも彼女の言うような言葉は何一つ湧いてこなかった。......恥ずかしいから言えないだとか、そんな情けない理由ではなく、本当に、言い残した言葉は思い当たらない。
「......そっかあ。それなら良かった。実は私もそうなんだよね。君に隠していた感情は多分もう全部君に伝えた。だから、シンプルな言葉で最期を飾ろうと思う。.........元気でね、詩遠」
悠姫は優しい目をしながら仄かな笑みを浮かべ、そう言った。ふと、俺の目尻には涙が浮かぶ。それを誤魔化すようにして、俺もなるたけ明るい笑みを浮かべながら、言葉を返す。
「ああ。悠姫もな——って、それはおかしいか。それじゃあ............今までありがとう、悠姫。お前の覚悟は決して無駄にしないよ」
月灯りと、仄かな光を浮かべる外灯の光に照らされながら、悠姫は笑顔を浮かべたまま静かに頷いた。




