Episode.5-3:違和感を晴らすべく
そんな調子で、いつも通りの一週間がまた一回過ぎ去った。
さほど充実しているわけでもなく、されど暇すぎるということもない、日常という言葉がベストマッチするような、そんな期間が。
.........いや、今の言葉には少し語弊があったかもしれない。
それはあくまで俯瞰して見た世界がいつも通りに回っているのであって、俺だけに限った話をすれば、全くそんなことはなかった。
あの日以降も、ふとした瞬間に感じた違和感がじっとりと付き纏う。まるで、この世界のことを知らない誰かが外からマドラーで世界をかき混ぜたかのような、あり得るはずのない違和感が俺を襲う。
そんなのが一週間と続くものだから、俺自身も、何が正しくて何が間違っているのかがもはやよく分からなくなってきていた。
もちろん、この世界にあることが絶対的に正しいということは重々承知していた。承知しているからこそ、俺の中にある存在しない記憶がこの世界との矛盾し、違和感を引き起こすということが、とてつもなく気持ち悪く感じる。
気を紛らわすかのように、溜息を吐きながらリュックからおもむろに英単語帳を取り出す。悠姫から「調子悪そうだから今日は早く帰ったほうがいい」と言われて今現在家にいるのだが、正直悠姫と他愛のない会話をしていたほうが幾分か気が紛れるし楽しい。
一人で引きこもってテスト勉強をしていたところで、何も頭に入ってこないどころか、妄想が増幅していくだけであった。
少しでもこの状況をマシにするために悠姫に電話を掛けようとスマホを手に取ったとき、丁度通知がポップアップ表示される。標準アプリとして搭載されているメモ帳のリマインダー機能であった。
これに関しては昔俺が遊びで設定しただけの可能性もあるので違和感も何も無いが、無性に気になったのでメモアプリを起動する。
「.........?」
もはや身に覚えのないタイトルなのは置いておくとして、その文字列の意味を咀嚼することができなかった。
「む、むらさき......すい? の件について? なんだこれ」
下手に崩れた文章ではないだけに、それは本当にただのメモなのだと思われるが、はてさて、俺が一体いつこんなメモをしただろうか。日付を見ると一週間ちょっと前となっているが.........ああ、また頭が痛くなってきた。
とりあえず、中身を見る。
『タイトル:紫水の件について
以下に、紫水の母親と行った考察を示す。ただし、その情報の正確性は未知数である。
一、彼女が使用した花の種類について
現象からの特定は困難を極めた。紫水の母親の知識を以てしても、死者を自らの身体に宿すことができる花言葉は分からなかった。
可能性として、今朝俺が亜空間へと飛ばされることとなったリナリアも考えたが、この花が持つ主な花言葉は『この恋に気づいて』であるらしい。そこからこの効果に繋がることは考えづらい。......が、今のところの最有力候補である。
二、記憶が消えてしまう効果について
紫水に関する記憶だけが抜けてしまっているのは、やはりこの事象による弊害である可能性が高いらしい。もしかしたら、だんだんと紫水が現世との関わりを持てなくなってきている証拠なのかもしれない。
また、これに関する情報の摺り合わせをした際、進行の度合いは彼女に関する記憶が多ければ多いほどに遅いのではないかという仮説が生まれた。その証拠に、紫水の母親は幼少期の頃の記憶がなくなってしまっただけだという。
余裕があれば、彼女の学友にも確認したいところだ。
三、彼女らが育てる花について。
彼女らの能力は、厳密に言えば『花言葉を使うこと』ではなく、『花言葉を実現することができる花を育てることができる』であるらしい。そしてそれらの花は、通常の花と同じようには枯れず、能力を発揮し、それが無事役目を終えたところで散るのだそうだ。
四、紫水華菜さんについて
紫水の母親の妹に、紫水華菜さんという方が存在する。この人も同様に力を使うことができるのだが、どうやらそれを使って住宅街の外れで花屋を営んでいるようだ。行き詰まったら彼女に話を聞いてみると良いかもしれない。』
えらくちゃんとした文章であった。しかし、やはり書いてある文章の意味は全くと言っていいほどわからない。文章から見るに、どうやら『紫水』というのは人の名前のようだが、読み方すら分からなかった。紫の音読みはシだから......しみず、だろうか。それにしても変わった名前だな。
もう一つ考えなくてはいけない事があった。それが、このメモは、そしてリマインドはいたずらなのかということ。正直、いたずら以外の何とも取れないような内容なのだが、こんな妄想じみたものをいたずらとして思いついたとすれば、それはそれで当時の俺の精神状態が不安になる。生憎俺には創作をするような趣味はないのだ。......ううむ、難しい話だ。
今一度メモを読み直す。まるで小説の設定を読んでいるかのような内容であったが、一項目だけ、気になるものがあった。
「『住宅街の外れで花屋を営んでいるようだ』。『行き詰まったら彼女に話を聞いてみるといいかもしれない』、かあ」
この文章での『住宅街』がこの近辺を指すのであれば、『住宅街の外れの花屋』というのも該当するものを知っている。最近......と言ってもかなり前ではあるが、少し不思議な花屋がオープンした。あまり花に接する機会がなかったから入ったことはないが、帰り道に目にすることも多い。
............しかし、話を聞いてみるといっても、何も判っていないこの状況で一体何を聞けばいいのだろうか。全部丸投げしても困ってしまうだろうし、もう少し俺が咀嚼できてからのほうが............って、ああもう。そういうのが良くないんだろう、俺。今更、自分の頭に何を期待できるというのか。
ムクリと上体を起こしてそのまま勢いよく立ち上がる。そして、スマホを適当にポケットへと突っ込むと、上を羽織り外へと飛び出した。その勢いが殺されてしまわないうちに、花屋へと向かった。
「すみませんっ! ちょっと聞きたいことがあって......! お時間、よろしいですか.........」
息も絶え絶えになりながら、俺は件の花屋へと入り込む。そんな鬼気迫るような様子の俺に大層驚いた女性店員であったが、さすがは接客業を営んでいる人間である。次の瞬間にはにこやかな笑みを浮かべ、俺の言葉に答えた。
「は、はい。何なりとお聞きいただいて結構ですよ」
その笑みは少々引きつっていたが、まあ、仕方あるまい。
俺は少しだけ呼吸を整えてから、その女性店員.........この方が紫水華菜さんだろうか? その人に相談を始める。
「実は——」
とりあえず、俺がここに来た経緯を話し、スマホのメモの内容を見てもらった。はじめは普通の客として接しながらも懐疑的な目を向けていた華菜さんであったが、メモを見始めたあたりからは、やけに真剣な瞳をしていた。
そして、数分後。メモをすべて読み終わったのか、無言でスマホを俺へと返した。それから十数秒と何かを考え、やがて口を開く。
「ねえ、あなた。たしかさっき、存在するはずのない記憶から違和感を覚えていると言っていたよね」
「はあ、まあ」
そう返すと、ブツブツと独り言を繰り返しながら華菜さんはまたもや考え事を始める。
「なら多分......でも、記憶を消すだなんて......ああでも、こうすれば.........とはいえ、どうすれば解決を.........」
ああでもないこうでもないと無地でシンプルなエプロンを揺らしながら店内を歩き回る。そんな状態が数分間続き、さすがにそろそろ止めたほうが良いのではと思い声をかけようとしたところで、彼女はようやくその足を止めた。
くるりと身体を翻すと、俺の目を見て、言う。
「あなたは......いや、この世界は、おそらく大事な何かを忘れてしまっている。そして、それを思い出せる可能性も、ないことはない。......でも、何が起こるかは私にも分からない。もしかしたら何も思い出せないかもしれないし、その違和感を余計助長してしまうだけとなるかもしれない」
そこまで言葉を紡ぐと、彼女はおもむろに数輪の花を差し出した。
「......この花は『紫苑』。一般的な花言葉は『追憶』、『遠くにいる人を想う』。あなたが持つ『違和感』が、『頭の奥底に眠る普通には思い出すことのできない記憶』なのだとしたら、もしかしたら、これですべてを思い出せるかもしれない」
俺は彼女からその花を受取り、まじまじと見つめた。全体的に小ぢんまりとしており、更には黄色の管状花とそれを中心として放物線のように伸びる淡い紫色の花弁があり、なんとも可愛らしい花であった。
「シオン.........」
思わず、彼女が口にしたこの花の名前を復唱する。俺と同じ名前だなんて、なんという偶然なのだろう。
これを使えば、すべてを思い出せるかもしれない.........正直、未だにメモの内容は信じられないし、彼女の言っていることの理屈も何もわからないけれど、この気持ち悪さを消せる可能性があるのなら、駄目で元々、やりたいと感じた。
「これ、どうすれば使えるんですか?」
「その効果の対象としたい物や人を思い浮かべながら祈るだけなんだけど、今のままだと難しいか......そうだ、この一週間で感じた違和感を思い返してみれば良いんじゃないかな」
そう言われ、「やってみます」とだけ返事をすると、おもむろに目を閉じた。そして、様々な場所で感じた『違和感』を頭の中に思い浮かべる。
すると。
「!?」
突然、辺りは目を閉じていても眩いと感じるほどの光に包まれる。それにたじろぐ俺の様子に心配した華菜さんが掛けてくれた声も、だんだんと遠くへと行ってしまう。そして、ついには光までもが消えていき.........
「ここは.........」
恐る恐る目を開ける。すると、そこに映ったのは、今まで何百回と見てきたいつもの地域研究部室であった。そして、そんな教室の中には一人の女子生徒が着席していて。
その姿を一目見た瞬間、とある単語が俺の頭に浮かぶ。
.........ああ、そうだ、彼女は。俺が忘れてしまっていた人は——




