Episode.4-11:紫水蘭という人間。
「聞きたいこと?」
「ああ.........ちょっと不躾な質問かもしれないけどさ、悠姫は人を忘れたことってあるか?」
「ううん............ない、とは思うけど。でもさ、そもそも忘れたとしたら忘れたことにすら気づかないんじゃないの?」
確かに、そりゃあそうだと笑う。
「例えば、そう。都合の良い記憶喪失をしたかのような感じ。その人の名前、性別くらいは分かっても、それ以外は何も覚えていない、みたいな」
「うーん、やっぱり思い出せる限りではいないかなあ、そういう人。でも多分、それが記憶喪失じゃないんだとすれば、それは『忘れた』のではなくて、『覚えるほど関係が深くない』人なんだと思うな。もはや名前すら覚えてないけれど、中学の時のクラスメイトってそんな感じだったし」
「そう、か。やっぱりそうなのかな」
「何か悩み事?」
優し気な声で彼女はそう問う。
「まあ、少し。...............俺さ、多分そんな風に一人の人間のことを忘れてしまっている。それも、それなりに関係が深いであろう人物のことを」
「......それは、忘れてしまっては困る人なの?」
もはや影しか残らない彼女のシルエットを脳裏に浮かべて、俺は悠姫の言葉に対しての返答を作る。
「そうだな。困る......というか、忘れてはならない人だった気がする。それが、どういう意味で忘れてはいけないかすら、もう忘れてしまったけれど」
それを聞いた悠姫は、しばらく黙りこくった。
やがて、彼女の口は開かれる。
「それは、私の知っている人なのかな」
それに対してどう答えたものかと少し考えた。彼女が紫水のことを知らないわけがない。しかし、昼間に聞いたアレが心底からの言葉なのだとしたら、悠姫は名前すら頭には残っていないのだろう。
でも、もしかしたら、今この瞬間、悠姫がそれについて思慮を巡らせることによってなにか紫水についても思い出せるかもしれないと踏んで、曖昧に答える。
「知っているかもしれない。朧げな記憶が、陽炎のようにゆらゆらとしているんだ」
嘘だ。本当は姿も形も、何も見えていない。でも、彼女なら、何かを思い出せることもあるかもしれない。
もはや一縷の望みに賭けるようにして、俺は悠姫の返答を待った。
すると、ある時、彼女の口からはふふふ、と笑い声が聞こえてきた。
しばらくしてそれが止んだかと思えば、まだ少しだけ笑いを含んだような声で、悠姫は言葉を告げる。
「私さ、詩遠が忘れてはいけないであろう人のことを忘れてしまったと言ったのを聞いて、ちょっとだけ酷いなと思っちゃったの。......でも、私も人のこと言えなかった。多分、詩遠が忘れてしまった人が関係する言葉を、今思い出した」
「ほ、本当か!?」
「うん。まあでも、私の持ってる記憶も朧げで、もしかしたら病気でうなされてる時の夢なのかもしれないけど」
「ああ、それでもいい。教えてくれ」
「そう? あなたがそこまで言うなら.........
どんな場面かは忘れちゃった。確か病院でのこと、だったかな? ちょうど今と同じ様な感じで、私がベッドに居て、詩遠がその傍で立っている時、私はあなたに言った。
『■■■■と仲良くするんだよ? .........ほら、詩遠は寂しがりやだからさ。でも、■■■■となら大丈夫、きっと、私と過ごすよりも楽しい時間がいっぱいあるよ。だからさ、悲しまないで......ずっと、前を向いていてね』ってね。
でも、ごめん。肝心なその人の名前は思い出せないや」
「...............」
「......詩遠?」
すっかり忘れてしまっていた。それは、悠姫が亡くなる少し前に彼女が俺にくれた言葉。
紫水に関するあれこれを忘れてしまっている悠姫も、きっと、これは俺と悠姫との思い出だから覚えていてくれたのだろう。その証拠に、やはりここまで正確に言葉を思い出しても、紫水の名前は出てきていない。
とはいえ、言っている内容に関しては俺が覚えているものと何も誤りがないのだ。
......それならば、紫水という人間がどういう人物で。
そして、俺が今、どのような選択肢を取らなければならないのか。
全てが決まった。遅すぎたけれど、ようやく。
「............なあ悠姫、ちょっと、外に出ないか」
そう分かった途端、居ても立っても居られなくなり、悠姫にそう提案した。




