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模造品のリナリア  作者: 主憐茜
第四章

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Episode.4-4:彼女は誰?

「............っ」


 やがて、まとわりつくようにして煌々としていた閃光は消え去る。恐る恐る目を開けると、そこは先ほどまで俺がいた公園だった。偶然公園の脇の道を通りかかった人からの冷ややかな視線も気にせずに、俺は不審者よろしく辺りをキョロキョロと見渡す。概ね何の変化もないが、気になった点が二つほどあった。


 一つ目は現在時刻。公園に設置されている時計を見ても、スマートフォンの時計を見ても、時間が亜空間へと移動する時からさほど変化していないのだ。......まあ、先ほどは突然転移してしまったせいでその前の詳細な時刻は知らないのだが、家を出た時刻から、家からここまででかかる時間と亜空間での体感時間をどんぶり勘定で足し合わせると、少なくともあと三十分は進んでいないとおかしいはずなのに。もしかしたら、亜空間なんてものは存在せず、すべてが俺が見た夢や幻覚の類いだったのかもしれない。


 まあ、それはいいのだ。いや、よくはないけれど。それよりも不可解なことが起こっていることに、俺は気づいたのだ。


 その二つ目とは、俺の眼前にあるリナリアについてだった。.........いや、リナリアだったものだと言った方が適正だろうか。


 というのも、先ほどまで風にゆらゆらと揺られ、俺が触らんとしたリナリアの花弁が、きれいさっぱりとなくなっているのだ。それも、人間が涙を零したかのように真下の土へと集まっていることから、どうも強風に煽られ散ってしまった訳ではないらしい。


 さらに奇怪な点として、俺が触ろうとしたリナリア一本だけがそうなっているのだ。周りのリナリアだと思われる植物には依然として綺麗で可愛らしい紫色の花弁がくっついており、ひらひらと揺れている。


 ......まあ、これも概ね彼女のあれこれが関係しているのだろうが、今となってはその詳細を知る由もない。こういう事実があったということだけを覚えておけば問題ないだろう。


 そんなことよりも、俺には今すぐにやらなければならないことがあった。

 再びポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを起動する。そして、『紫水蘭』と書かれたユーザーに対して、電話をかけた。


 デフォルトのままの呼出音を三回、四回と聞く。そして、五回目が鳴るだろうと思われるくらいの時間で、相手は電話に応じた。


『.........ぁ、詩遠? おはよぅ~~』


 なんとも気の抜けた声音が電話越しで聞こえてくる。随分と長い間電話へと出ないので少々心配していたのだが、どうやらまだ起床していなかっただけみたいだ。まあ、休日なんてのはそんなものだろう。俺だっていつもはそうだし。


 簡単に挨拶を返すと、先ほどあったことを忘れてしまわぬ内に悠姫へと伝える。正直どんな有益な情報が得たれたかと問われると言い淀んでしまうが、それでも色々と判明したことがあるのは事実なので、それを伝えない道理はない。


「——ってなことがあったんだよ。俺も困惑してて上手くまとめられないんだけど、とりあえずそんな感じ」


 一分近く話し続けた。カンペも無く言葉も考えないままに電話をかけたので、自分としても正しい情報を伝えられているか分からないが、とにかく言語化をすることはできた。......まあ、必要があれば明日あった時に補足すれば良いだろう。

 そう思い、少しだけ上がった心拍数を身体で感じながら応答を待つ。


『ええと、ごめんね詩遠。一生懸命喋ってくれたところ本当に申し訳ないんだけど、何を言っているか全然分からなかった』


 しかし、スピーカーから聞こえてきたのはそんな意見だった。そもそも当事者の俺ですら理解しきれていない状況を俺の地を這うような言語化能力を以て伝えようとしたこと自体が間違いだったのかもしれない。


「説明が下手でこっちこそ申し訳ない。明日聞いてくれたらできるだけ詳細に答えるから」

『え? ああ、うん。ありがと。......あ、でも今一つだけ根本的な質問をしていい?』


 根本的な質問とはなんだろうかと思いながらも、俺はそれを許可する。

 すると彼女はもう一度礼を言い、疑問を晴らすために質問を投げてくる。


『......さっきの詩遠の話に出てきてた、シミズ、さん? ......って誰だっけ? 私の知ってる人?』

「...............は?」


 文字通り、耳を疑った。

 俺の耳が正常だとするならば、彼女は今とんでもないことを言っていることになる。


 なんだなんだ、悠姫はこんなつまらない冗談をこんなつまらないタイミングで吐くやつだったか? 先に紫水の家でやられたあれはまだ可愛気があったが、今回に関しては、もし彼女が冗談のつもりで言った言葉なのだとすれば、品性を疑うようなレベルだった。


 .........そう、もしそれが、本当に冗談のつもりならば。


 十数年と悠姫と過ごした身としては、彼女が素面でそのようなことを言うなんて到底信じられないし信じたくもなかった。ともなれば、次に考えられる可能性は一つ。本当に彼女の記憶から紫水が消えているというものだ。


 しかし、そんなことがあり得るのだろうか? 部分的な記憶喪失だとしても、そんなに綺麗に紫水のことだけを忘れるなんてことがあるのだろうか?


 そんなことが脳裏によぎるも、もはや、そんな頓珍漢な仮説さえ簡単には否定することができなくなっていた。あり得るのだ、あり得てしまうのだ。紫水の起こしたこの事象の中では、通常一分一厘でも起こりえないような摩訶不思議な出来事が。


『——詩遠? おーいっ』


 すると、俺の返答がないからか、悠姫は電話越しに俺を呼びかける。


「あ、ああ。すまんすまん。ちょっと考え事をしていた」


 その言い訳はあながち嘘ではなかった。何しろ、当事者である彼女がこの事象に関する記憶をなくしている可能性があるのだ。この先どうすればいいのか、未だに脳内ではその議題が持ちきりだった。


 そんな中、彼女は「あ、ちょっと話変わるんだけどね」と言葉を続けた。思考に大半のリソースを割きながらも、一応そちらにも意識を向ける。


『起きたら全然知らない場所だったんだけど、ここどこだか分からないかな』

「あー............ちょっとビデオ通話にできないかな」


 本当に知らない場所なのだとしたらもっと怖がらないのだろうかと疑問に思ったりもするが、声音等から考えても、やはり悠姫は紫水に付随する記憶を失っているの可能性の方が高いように思える。しかし、今それを彼女に言ったところで事態がややこしくなるだけだと考え、彼女が今紫水の家にいることを分かっていながらも、そうあくまでも自然に要求する。


 それもそうだね、と返答すると、彼女は通話をビデオ電話モードへと切り替えた。見るまでもないが、一応彼女のスマホが映す映像を一通り見る。やはりそこは、数日前に訪れた紫水の自室に他なからなかった。


『どうかな? ......って、急に言われても分かるわけないよねえ。あはは』

「——いや、何となくだが分かった気がする」

『え、本当!?』

「ああ、多分だけどな。ちょっと時間がかかるけど、そっちに向かってみるよ。......その代わり、俺がその部屋に入るまで、絶対に部屋から出ないことを約束してくれ」

『......? う、うん、分かった』


 困惑する悠姫をよそに、半ば無理矢理別れの言葉を交わすと通話を終了した。さて、宣言通り今から紫水の家へと向かうわけだが、その間にしなければならないことと言えば............。


 少し足早で駅の方へと歩き出しながら、再びメッセージアプリを開いていた。今度の相手は要さんだ。あまり行儀の良いことではないと理解しながらも、歩きながら彼に電話をかける。


 三回ほど呼出音が鳴った後、アプリは通話中の表示に切り替わる。軽く咳払いをし、スマホを耳に当てながら声を出す。


「あ、おはようございます要さん。今お時間大丈夫ですか?」

『ん、俺は大丈夫だけど、何か急な用事?』

「まあそんなところです。突然なんですけど——」


 突然なんですけど、紫水蘭って人を知っていますか? と聞きそうになったが、慌てて口を噤む。もし要さんが紫水の記憶を失くしていた場合はそれでいいのだが、そうでない場合は面倒なことになる。ここは『紫水の件』として話題をぼかそう。


「——紫水の件について、いくつか進展が見られたんです」


 ここで彼が普段通りの対応を見せるのなら、そのことについてを実際に話せば良い。そうでないならば............。

 あれこれ次の展開を考えながら、目の前に立ちはだかる赤信号と要さんの言葉を待つ。

 やがて信号は青となり、横断歩道を渡りきるかどうかくらいで反応が返ってくる。


『すまん詩遠、その『紫水の件』って何だったかな』


 あくまでも平生な声の調子でそう問い返してきた。それは悠姫の時とほとんど同じだった。九割九分の確率で、彼は紫水に関する記憶を失ってしまっているのだろう。


 その後、暇をしているのか知らないが、『紫水の件』についての詳細を知りたがっている要さんに対して、電車が来てしまったからという嘘を用いてまたもや半ば無理矢理に通話を終了する。


 スマホをポケットに突っ込み、深く溜息を吐いた。本当は椿さんにも聞いてみようかと思っていたのだが、二人の様子を見る限り、もはやそんなことをする必要もないのだろう。.........本当、どういう原理なのだろうか。まさか俺以外の全員が紫水の記憶を失ってしまうだなんて。


 俺まで記憶を失ってしまったというのなら、原理は分からないが、まだ因果や行動理念としては理解はできる。その場合、やはりこれは紫水が起こした事象の副作用のようなものとなるのだろう。しかし今回はそうではないのだ。彼女の行動から考えても、俺は一番記憶が残っていてほしくない人物だろうに、一体なぜそんなことをするのだろうか。


 周りの目も気にせずに、一人うんうんと唸りながら改札を抜ける。


 ................と、ここで突然頭の中に湧いた違和感が俺を縛り付けた。いや、もしかしたらそれは、一番最初に疑うべきことだったのかもしれない。

 今更ながら自問する。


 俺は、本当に紫水に関する記憶を失ってはいないのか? と。


 普段だったならば、そんな質問は「当たり前だろ」と一蹴できるのだが、今だけは違った。現在の脳内に存在している薄っぺらい『紫水蘭』という人物像を、何とか立体化しようと試みる。


 紫水蘭。学年は俺たちの一つ下で、地域研究部唯一の一年生。性格としては、一見■■■■子ではあるが意外と■■なところもある。好きなものは■で、部室にいるときは大抵■を■■■いる。彼女が■■した■■は、■■■が■■■■からだった。■■が■■■■で■を■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■————


「なんだ、これは..................」


 まるで出来の悪い虫食い問題かのように、俺の記憶は所々に穴が開いてしまっていた。.........いや、違う。所々に存在するのは俺の記憶を蝕む穴ではない。真逆だ。存在している記憶の方が、もはや圧倒的に少なかった。


 考えてみれば当たり前のことなのだ。あいつが本当に自らを犠牲にして事を終わらせようとしているのなら、俺の記憶なんて残しておく訳がない。


 そんなこと、はじめから分かっていたはずなのに、どうしてか今更ながらに酷い焦燥に駆られていた。気づいたら、強く地面を蹴って走り出していた。当惑と運動不足のせいで上手く息が吸えない。......しかし、急がなければ。彼女の記憶が完全に消えてしまわぬうちに、彼女の家へと。それがたとえ、いずれ完全に消えてしまう記憶なのだとしても。


 そうだ、今持っている彼女に関する情報をすべてを何かメモを残しておこう。

 そう思い、彼女の家の方面へと向かう電車を待つ傍ら、肩で呼吸をしながらスマホのメモ機能を開いた。......しかし、ここで再び手が止まる。


 その時脳裏に浮かんだのは、先ほど行った悠姫や要さんとの会話であった。内容を思い返す限り、彼らは初めから紫水蘭という人物を知らないと言った反応を見せていた。もしかしたら俺がもう少し深掘りしていれば、何かをきっかけにして思い出せたのかもしれないが、感覚的にそれはあまりにも深いところに沈んでいるような気がした。


 俺は彼らとは違うだなんて戯言は、もう冗談でも言えない。全てを忘れた後、きっと俺は残したメモを見てこう思うのだろう。『なんだこの怪文書は』と。


 しかし、いずれそうなると分かっていても、何も行動を起こさないということはどうしてもできなかった。電車が来るまでの間、そして乗車中と、一心不乱に薄っぺらい彼女の情報を書き続けた。


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