Episode.4-1:最悪な日の幕開け
翌朝。今日は日曜日なのでアラームはかけていなかったのだが、カーテンから微妙に漏れていた光のせいで自然と早くに目を覚ます。寝ぼけ眼でスマホのスリープを解除すると、そこにはゴシック体の数字で『8:18』と書かれていた。
ううむ、微妙な時間だな。二度寝をしたい気分ではあるが、そうなると次の起床は十時を回ってしまう可能性が高い。............起きるか。そう決めると、無いに等しい腹筋をフルに利用して勢いよく起き上がる。ベッドの重力にはこうでもしないと勝てないのだ。
少し伸びをすると、朝食を求めてリビングへと向かおうとする。が、ここであることを思い出した。
「そういえば今日、アレの日だったか.........?」
両親は月に一、二度車を出して少し遠くの大型のスーパーマーケットへと買い出しに出向くのだが、その日は朝早くから出かけるからという理由で俺の朝食は完全放置で出かけてしまう。「七時に起きれば用意してあげる」とか言っているが、それが不可能であることは自明であった。
滅多に開くことがないスマホのカレンダーアプリを起動し、今日の日付を確認する。......四週目の日曜日。ああ、やはりそうだったか。我ながら自身の危機を察知する能力は素晴らしいな。
しかし、朝飯はどうしようか。適当に作ってもいいし、何なら抜いても支障はないのだが......いや、それはいつもが朝昼兼用になってしまっているからということを忘れてはいけない。さすがに昼食まで四時間ある今日は例外だ。
仕方がない。コンビニにでも買いに行くか。
そう思い、昨日使用したトートバッグから財布を抜き出す。黒の長財布を.........あれ。
ガサゴソとバッグ内を漁る。定位置にもなく、その他の場所に転がっているわけでもなく。かき混ぜるようにして探しても、ひっくり返しても見つからない。それ即ち......
「落とした.........」
最悪な日曜日の始まり方をしてしまったことを示していた。
「うう、寒い」
玄関ドアを施錠し、さあ行こうと振り返った瞬間にその言葉が浮かんでくるくらいには外が冷え込んでいた。朝だからというのももちろんあるだろうが、そもそも昨日が温かすぎたのだろう。改めて羽織を取りに戻ろうかと悩むも、面倒くさかったので俺はとぼとぼと歩き出した。
昨日俺達が居た主な場所は、駅、喫茶店、駅の近くの公園、紫水の家。あとはその道中だった。正直それなりの距離を歩いているのであまり見つかる気はしないのだが、まあ、家で腹を空かせているよりは有意義な時間だろう。
全く同じ道を辿ろうと思った俺は、遠回りにはなるが一旦駅へと向かう。そして、じろじろと地面を見ながらまずは喫茶店を目指した。もしかしたら支払時に出してそのまま忘れてきただけかもしれないしな。
昨日と全く同じ重さの戸を開く。今はモーニングの時間ではあるが、日曜日だからだろうか。そこまで人の入りは多くなかった。
分厚いハードカバーの本を読んでいた店主さんは、ドアベルの音に弾かれたかのようにしてこちらを見ながら「いらっしゃい」と言った。その相手が俺だったからか、彼はさらに言葉を続ける。
「おや、詩遠君じゃないか。何か用かな?」
この人もまた、俺が朝早くに起きれる人種でないことくらいは知っているので、モーニングを食べに来たとは毛ほども思っていないらしい。まあ、それは正しいことなので別にいいのだが。
俺はカウンターの方へと足を進めながら、ここへと来た訳を話す。
「実は昨日出掛けた先で財布を忘れた......というか失くしてしまったのです。それで、もしかしたらここでの支払の時に出したまま忘れて帰ったのではないかと思って」
「ふうむ、昨日掃除した時にはそれらしき物はなかったが......」
一応、俺が昨日使用していた席の周りも確認してみるが、やはりあるはずもなかった。
「まあ、今日の掃除の時にまた探してみるよ。連絡先は変わってないよね?」
「ええ。じゃあすみませんがお願いします」
そう言い残すと、利益を出さない客がいても邪魔だろうと思いそそくさと店を出た。......しかしああは言っていたものの、ちゃんと掃除をしてるのならば財布を見逃すなんてことはないだろうし、本格的に落とした可能性の方が高くなってきたな。
相も変わらず、ずっと下を向きながらトボトボと歩く。次の目的地は駅前の小さい方の公園か。あまり人気がある場所ではないが、朝から公園内で物を探していて不審者と間違われないだろうか。いっそのこと『財布を探しています』という看板でも掲げながら探してやろうか。
なんてことを考えながら、無心で十分近く歩き続け、件の公園へと到着する。
日曜日の朝っぱらからこんなところに来る物好きなんてのはいるはずもなく、昨日と同じく貸切状態だった。しかし、用があるのは手前のベンチと垂直線上にある花壇周りだけであった。奥にある遊具に「遊んでやれなくてごめんな」と心の中で謝罪を済ませると、早速ベンチの周りを探し始める。
花壇付近で悠姫と会話していた時はバッグを手に持っていなかったし、落としているとすればこの辺りのはずなのだが.........あ。
視界の端にそれらしきものが映る。しかしそれが妙に取りづらい位置にあり、取るのに数分の時間を要してしまった。おまけにずっと屈んでいたせいで腰が痛い。......まあ、それは運動不足が原因だけど。
中身を確認し、それが俺の物で間違いないことが判明すると、俺はベンチにどかりと座り込んだ。二日連続でこの距離を歩くのは普通にしんどい。
何をするでもなく、ただぼうっと時が過ぎるのを感じる。不思議と腹はそこまで空いていなかったので、コンビニに飯を買いに行くのと休憩をするのとでは、俺の脳内会議では圧倒的に後者へと支持が集まった。
「..................ん?」
そんなこんなで休憩に浸ること早数分。
突然、俺は目の前の風景に違和感を覚えた。しかしそれは、ここがこうおかしいと気づくものではなく、なんとなく、感覚的に『おかしい』と覚えたものであった。
溶けるかのようにして崩れてしまっていた姿勢を正し、その風景をまじまじと見つめる。第二関節で折り曲げた人差し指を唇に当て、気分はさながら探偵の様であった。
レンガで組まれた花壇には、綺麗で可愛らしい花々が咲いている。それらはほぼ全てが同じ種類らしく、紫がかったピンクのような花弁は時折吹く風にふわりと揺られていた。
......そういえば、この花をどこかで見たことがあるような。
ふとそう思うと、より詳しく見るために立ち上がり花壇の方へと近寄る。上から、横から、下からとさまざまな見方をしてようやく思い出す。これは地研の教室に紫水が飾ったというあの花と同じものだった。ということは、これはリナリアか。
そう納得すると、屈んだ状態の身体を元に戻し軽く伸びをする。何だかすっきりとした気分ではあるが、これが違和感の正体だったのだろうか。............ううむ、なんだか違う気がする。
心のどこかでは納得できていない俺は、再び見下ろすようにしてリナリアを観察し始めた。そもこれがリナリアだと分かったからといって、それは単なる『疑問』の解消であって『違和感』ではないよな。......しかし、それならなぜ、俺はこの花に、リナリアに違和感を覚えたのだろうか.........?
「——っ、寒い」
その瞬間、左側から突風が吹き、凍ってしまいそうなほどに冷たい風を全身に浴びた。さすがに十二月も近くなると冬が本格化してくる。昨日のが外れ値であったことが身に染みて分かった。.........ん、十二月。そうだよな、今は十一月の最終週。もうすぐで師走が訪れる時期で、季節としては冬真っ盛りだった。
『.........リナリアは普通だと四月から五月に花を咲かせるんです。でも、今年はどうでしょうか。ぽかぽかと暖かいのでもう咲いているかも知れませんね』
突然、俺の頭の中ではそんな言葉を思い出す。誰から言われたものかは残念ながら思い出せないが、それは確かに記憶の中に存在しているものだった。
そしてそれを思い出すと同時に、ようやく違和感の正体を理解した。そう、リナリアは春に開花する花であり、こんな季節に花を身に纏っているこのリナリアはおかしいという、いとも単純な事であった。
......しかしまあ、花に全く興味がない俺がよくこんなことを覚えていたものだ。
うんうん、それではこれにて一件落着。......と簡単にいけばどれだけよかったものか。いくら馬鹿な俺の頭だからと言っても、さすがに次なる疑問くらいは疑問符として現れる。そしてそれは、自然と口から零れてしまっていた。
「............じゃあ、何で今咲いているんだ?」
リナリアがこの季節に咲いているのはおかしい。少なくとも、屋外で雨風に晒されているこいつらはあと半年弱の時間を待たなければ本来花を咲かせないのだろう。
けれど、今こうして目の前にあるリナリアたちが綺麗な花弁を咲かせているというのもまた事実で。
明らかに矛盾している二つの事象。腕を組みしばし考えこむが、それらしき答えは考え付かない。先ほど思い出した言葉のようなものがまた助言してくれないだろうかと一縷の望みを託すも、そう都合よく思い出せるものでもなく。
昨日の気温のように外れ値であるという可能性も無くはないが......それにしては、この花壇にあるすべてのリナリアが開花しているのはおかしいだろう。
あとは、そうだなあ。可能性としてはこれらが造花であるというのもあるが、それはそれで意味が分からない。もしそうだとして、誰が何の目的でこの花壇にそんなものを仕込むというのか。
ただ、それが明らかな間違いだったとしても、花弁の状態などで何かが分かるかもしれないと思い、十数輪とあるリナリアの中から自分から一番近いものに手を伸ばし、触れる。
その瞬間だった。
「——っ!?」
突然、辺りは目も開けていられないほどに眩い光に満たされる。今まで受けていた風もピタリと止み、肌を刺すように冷たかった空気も、むしろ暖かいものへと変化していった。
困惑と恐怖が入り乱れる感情を心に抱えながら、とりあえずは件の光が止むのをじっと待った。こういう時はむやみやたらに動く方がかえって状況が悪化する。多分。知らないけど。
それから数秒。フェードアウトエフェクトのように、急に瞼の向こう側が暗くなってゆく。恐る恐る、目を開けた。
すると、そこに映っていたのは。
「............ここは、学校か?」
視界の右端に映るは年季の入った黒板、視界の中央に映るは黄昏時の風景を映す窓、視界の左端に映るは向かい合わせになるようにピタリとくっつけられている五つの机.........そして、一人の少女だった。




