Episode.3-5:詩遠の解答
そう言ったきり、彼女は口を噤んでしまう。
悠姫の細い声が止むと、ただでさえ静かであった空間が、今なら虫の足音ですら聞こえてしまいそうなほどにしんとする。この場面でそれを打ち壊すのは俺の役目だということは、さすがの俺でも理解してた。あとはどのような言葉でそれをするかだが.........さてはて彼女の勇気ある告白に俺はなんと応えようか。
軽く目を閉じると、悠姫に対する様々な想いが頭中を駆け巡る。言いたいことは沢山あった。もっと深く聞きたいことも沢山あった。でも多分、今からそんなことをしていると公園で朝を迎えてもおかしくはないだろう。何より、今必要なのはそんな俺の欲を満たすための言葉ではない。
そうして、浮かび上がってきた想いの中から俺が今一番伝えたいことをピックして、喉元まで持ってくる。
そのまま俺はおもむろにベンチから腰を浮かし、先ほど彼女がしたようにして数歩足を進める。ザクザクという軽い砂の音が、やはり公園内に響いた。依然として頷いたままの彼女は、俺に何と言われると想像しているだろうか。.........もし、それがプラスの言葉ならば嬉しいなと考えながら、彼女の面前まで到着する。
緊張で早鐘を打つ心臓を抑え、俺は口を開く。
「.........なあ、悠姫」
「...............」
「今から柄にもないくっさい台詞吐くけど、絶対笑うなよ?」
「...............」
「......話を聴きながら色々考えたんだけどさ、やっぱり俺、悠姫と出逢えて本当に良かった」
「...............」
「少なくとも、悠姫と逢えないままに死んでいくくらいなら、今後死ぬまで悠姫を忘れられずに苦しむ方が数百倍良いと思うくらいにはね」
「...............」
「たとえそれが自分の気を紛らわすためでも、相手がおらず仕方がなく俺を選んだんだとしても、見せていた言動が全て偽物なんだとしても、悠姫に対する感情は何も変わらない。
だってその分、俺も大切な物を沢山貰ったから。真偽がどうであれ、金村悠姫と過ごした時間というのは、俺にとって掛け替えの無い経験だ。
ま、俗に言う等価交換ってやつだな。むしろ、俺が等価分返せていたのか不安になるレベルだが.........」
「...............」
「って、なんか色々と余計なことまで口走った気がするけど、要するに俺が言いたいのは——」
そうやって締めの言葉を紡ごうとしたその時、確かに彼女の肩は縦に震えた。
それと同時に、口からも声が漏れ出してくる。
「.........く」
「......んだよ」
口では不満気にそう返すも、俺は何よりもこの瞬間を待っていたといえよう。むしろ、このまま俺の言葉が終わってしまってはどうしようかと考えていたくらいだ。
彼女の口から漏れ出す声は次第に大きくなっていく。
「くふっ、んふふ、あはははっ!」
そして、ついに我慢できなくなった悠姫は、先ほどまでだらんと下に垂らしていた顔を弾かれたようにして上に向け、大きく笑った。
その仕草はまるで太陽を見上げる向日葵のようで、俺の大好きだった彼女の笑顔は今確かにそこに咲いた。.........やっぱり、こいつには湿っぽい顔なんて似合わないと改めて感じる。いつもあんなに苦しい思いをしていたんだ。今くらい気持ちよく笑ってほしいと切に願う。
「せめて最後まで言わせてくれよ......」
彼女の笑い声が落ち着いたところで、俺は呆れたようにしてそう言った。少々顔がにやけてしまっていたかもしれないが、まあ、この暗がりだ。そう簡単にはばれないだろう。
すっかり元に戻った悠姫は、ひいひいと笑いをこらえながらも、いつもの調子で反応する。
「ごめんごめん、それで、何と言ってくれようとしたのかな?」
しかし、そう改めて問われるとなかなか言葉が口から出てこないというもので。俺が次に発した声というのは、随分と小さなものとなってしまった。
「............その程度の我儘くらい、俺がいつでも背負ってやるって言いたかったんだよ」
「ひゅう、詩遠はカッコいいねえ」
「おまえ絶対露ほども思ってないだろ」
ひんやりと冷たい空気が辺りを漂っているのにもかかわらず、頬がとてつもなく熱い。正直恥ずかしすぎて今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られた。
しかしそれ以上に、心に溜まっていた靄というのがようやく晴れたようでとても良い気分だった。さっき店主さんが言っていた『未練を引きずっている』というのは、この靄のことだったのだろうか。
「.........でも、本当にありがとね、詩遠」
恥ずかしさをかき消すためにそんなことを考えていると、悠姫はぼそりと言葉を漏らした。
「正直今でも色々と考えちゃうことはあるけど、少しだけ、気が楽になったよ」
「そっか。なら良かった」
まあ、俺とて自分の言葉で彼女の考えを変えられるほどに影響力がある存在だとは思っていないし、そう思ってくれただけで上々の出来だろう。
何故だか悠姫の顔を直視できず、俺は目を逸らすようにして、公園内に設置されている時計に一瞬だけ目をやった。六時を回っていた。彼女を家まで送り届けることを考え、もうそろそろ帰ろうかと悠姫に声を掛ける。彼女もそれに対して肯定の意を示した。だが、花壇から立ち上がり、さあ歩き出そうという瞬間に、彼女は何かを思い出したかのように声を出し、立ち止った。
一歩程多く足を進めてはいたが、俺もそれにつられるようにして後ろを振り向く。
彼女は「最後に一つだけいいかな?」と問うてきた。断る理由もない俺は首肯すると、彼女はもじもじと恥ずかしそうにしながらも、先ほどとは違うしっかりとした声音で言葉を紡いだ。
「......確かに、あなたに見せた言動は作られたものだった。言い方を変えれば、偽物だったのかもしれない。でも、それらは全部、『詩遠に見せたかったもの』だということはどうか忘れないで欲しい」
その言葉は何と形容すればいいか分からぬ感情を生んだ。嬉しさ、安心、もしかしたらどこかには寂しさといったものも紛れていたかもしれない。
ただ、それが俺の心にぽかりと空いてしまっていた穴の一部を塞いだということだけは確かな事であった。またもや、忘れたくても忘れられないものを貰ってしまったな。
礼もねて、言葉を返す。
「ああ、絶対忘れないよ」
と。




