Episode.3-2:懐かしい寄り道
「いらっしゃい。.........って、詩遠君じゃないか。久しぶりだねぇ」
真っ白な布でカップを拭く傍らに横目でこちらを見た店主さんは、相変わらず渋い声で出迎えてくれた。
「お久しぶりです。......すみませんね。あまり顔を出せなくて」
「まあ、人間生きてりゃそういうこともあるさ。何にせよ元気そうでよかったよ。.........それで、そっちの子は後輩さんかな?」
相も変わらない優し気な言葉を俺に掛けると、店内に入った時から俺の隣に立つ悠姫(紫水)が気になっていた様子の店主さんは、俺から悠姫に目線を移してそう問うた。正直、彼に対してなら悠姫の正体をばらしてもいいのだが、変にややこしくする必要もないだろうと最適解を選ぶ。
「ええ。同じ部活の後輩の紫水蘭です。家がこちら側ではないのであまり顔を出すことはないかもしれませんが、良かったら仲良くしてやってください」
そう紹介すると、隣に立つ悠姫は軽く挨拶をしながら、愛想よくペコリとお辞儀をした。よかった。ちゃんと意図は伝わったようだ。
「へえ、よくできたお嬢さんだこと。私はマスターの浅見勝孝です。よろしくね」
二人の簡単な自己紹介を終えると、俺達は席に通される。この店は土日よりも平日の方が客入りがいいらしく、土日の今の時間帯は特に客が来ないらしい。今日もその例に漏れず、俺達の他には客が居なかった。
席は選び放題だったが、せっかくだということでカウンターへと腰掛ける。
「これ、メニューね」
悠姫に対してメニュー表を差し出す店主さん。俺や悠姫は初めの数回以降決まって同じものを頼んでいたので、これを見るのはとても久しぶりかもしれない。
深い赤色の厚紙に普通の白い紙が貼られ、細いマーカーペンでメニューが綺麗に書かれている。空いたスペースには鉛筆で描かれたイラストがあり、手作り感が満載なメニュー表だった。施されたラミネート加工が剥がれかかっているのも、俺が初めて訪れた時のままだった。
それ即ち、メニューの追加などはないということで。そう分かった途端に、俺はメニューから目を離し注文をする。
「じゃあ、俺はいつもので.........って言って通じますかね?」
「もちろん覚えているよ。ブラウニーにブレンドコーヒーだよね」
店主さんは、笑みを浮かべながらさも当たり前かのようにそう言った。それが妙に嬉しく、俺まで小さく笑みを零しながら首肯する。それと同時に、黙ってここに来なくなったことについての罪悪感が大きくなっていった。今更反省しても遅いが、やはり事情くらいは話しておかないといけないよなあ。
と、そんなことを思っている間に、悠姫も注文が決まったようで、店主さんにメニュー表を返しながら、言う。
「じゃあ私は.........ティラミスと紅茶でお願いします」
そんな悠姫の注文に対して、店主さんは少々驚いた顔を浮かべた。どうしたんですか? と問う悠姫。一瞬動きを止めていた店主さんは再度動き出し、メニュー表を元の場所に収めながら答えた。
「いや、別にその組み合わせは何ら珍しいものではないんだけどね。......ただそれは悠姫ちゃんがいつも頼んでくれてたのと同じだったからさ、ちょっと驚いちゃって」
そう言うと、加えて「じゃあ、ちょっと待っててね」と言いながら背を向ける店主さん。隣を見ると、「やっちゃったかも」と言いたげな、微妙な笑みを浮かべる悠姫が居た。いやまあ、彼が言ったように、ティラミスと紅茶なんて全く珍しい組み合わせではないからバレることはないだろうけど。
それにしても、悠姫が最期に訪れたのはもう半年強も前なのに、よく覚えていられるなこの人は。......まあ、俺とあいつはセットみたいなものだったから、片方だけ忘れるなんてことはないのかもしれないが。
そしてそれから十分程度後、準備が出来た各々の注文がカウンターへと置かれる。
「それじゃあ、ごゆっくりどうぞ」
三度微笑みながらそう告げた店主さんは、俺達からは少しだけ離れた椅子にゆっくりと腰掛け、読みかけの本を開いた。......本当、何も変わらないなあ。
住宅街の端にあるせいか、子どもの声などもほとんど聞こえて来ない。加えて、今時としては珍しく店内BGMなども流していないため、店内は床の軋み一つすらも響いてしまいそうなほどに静かであった。
正直、初見の客が寄り付かない理由はこんなところにもあるのではないかと思ってしまうが、店主さんがそれでいいのならば変える必要もないのかもしれない。現に、既存客の俺としては全く悪くない居心地だし。......まあ、最初のうちはかなりソワソワしてしまったけどね。
時たま悠姫や店主さんと一言二言の会話を交わし、コーヒーを啜り、ブラウニーで甘味を補給し、云々。気付けば、いつの間にか店に入ってから一時間程度経っていることに気が付く。たまには挨拶をしようかと考えていただけだったのに、随分と長い間居座ってしまったようだ。
「そろそろ行こうか」
彼女の様子を見ながら、そう声を掛ける。
「え? ああ、もうそんな時間......だったんですね。そうしましょうか」
すると彼女はそう言うと、今度は何度も行ったことがあるはずのトイレの場所を店主さんに尋ね、案内されていった。確かに紫水のフリはした方がいいのだろうが、敬語やらはどうも慣れないな。
残された俺は、適当にスマホをいじりながら悠姫の帰りを待つ。
「.........ようやく、踏ん切りがついたのかな?」
すると店主さんは、悠姫が席を外したのを見計らったかのようなタイミングで、そんなことを問うた。......それはどういう意味なのだろうか。俺が咀嚼しきる前に、彼は言葉を続ける。
「あまりこちらからこういう話はしない方が良いんだろうけどね。......聞いたよ。悠姫ちゃん、亡くなったんだってね」
「.........ご存じだったんですか?」
まあね、と言いながらゆっくりと椅子から立ち上がり、再び俺の前へと立つ。はて、店主さんはその情報をどこから仕入れたのだろうか。俺も一人の客でしかないから彼の情報網の広さを把握しているわけではないのだが、悠姫や俺のことを知るような常連客は見たことが無い。
まあ、別にそんなことに対しての興味はそこまでない。俺は言葉の続きを促した。
「それで、それから君も全くここに来なくなった。まあ、それも仕方のないことだと思ってたんだよ。ほら、君や悠姫ちゃんは中学生くらいの時から度々寄ってくれていただろう? だから、色々と思い出しちゃって辛いのかなと。
登下校をする君を何回かそこの窓から見かけたこともあったけど、そんなことを考えたらこちらから声はかけられなくってね」
「そう、だったんですか。.........ご心配をおかけしてしまって本当に申し訳ないです」
膝に手を置き、頭を下げた。そこまでされるとは思っていなかったのか、店主さんは「やめておくれよ」と言いそれを制止した。それでもやはり申し訳なさが勝ってしまい、結局数秒間は頭を下げたままにする。顔を上げると、彼は苦めの笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「何も、君が謝る必要はないさ。僕が死ぬ前にこうやって一度顔を見せてくれただけでも十分にうれしいよ」
そんな優しい言葉は、俺の心にぐさりと突き刺さった。ようやく、先ほどの『踏ん切りがついた』という言葉の意味を理解する。嗚呼、また謝らないといけないよ。
「.........店主さん」
「ん、何かな?」
「本当に申し訳ないです」
そんな言葉に、店主さんは明らかに当惑する様子を見せた。そりゃあそうだろう。彼はまだ、『俺』を、俺が如何に駄目な人間であるかということを知らないのだから。
衝動に駆られて謝罪をしたのはいいものの、その先の言葉はなかなか出てこなかった。正直なところ、言いたくなかった。知られたくなかった。こんなにも優しく気遣ってくれた彼が、俺に失望するところを見たくなかった。
しかし、そうは思っても、謝罪の言葉を入れておいてそんなことをするわけにもいかないので、俺は腹を決めて声を出す。それは、自分でも分かってしまうほどに弱々しい声だった。
「.........俺はきっと、まだ悠姫の死から逃げ続けています。今日もそうでした。後輩から誘われなければ、ここに寄ろうとなんて思わなかったでしょう。悠姫との思い出を振り返ると、また苦しくなってしまうから」
先ほどまではどんな状況でも笑みを絶やさなかった店主さんだったが、ここで初めて困ったような表情を浮かべた。
彼女は亡くなった。もう笑うことはない。話すことはない。動くことはない。口ではそう言えても、心のどこかでは、未だにそれを信じられていない。ぽかりと空いてしまった心の穴を埋めるでもなく、その穴を気にせずに前を向くわけでもなく。
ずっと後ろを向きながら、さりとてそれを直視できないままに歩き続ける。
俺は、どこに向かっているのだろうか。
店主さんはは依然として笑みを浮かべぬままに、ゆっくりと口を開いた。
「それだけ、悠姫ちゃんが君の中で大切な存在だったということか。
僕としては、そこに正解はないと思う。もし君が金村悠姫という人物の名残から逃げたい、避けて生きていたいと望むのならば、それも一つの選択だと思う。
......ただ、その口ぶりだと、君はそれが正解だとは思っていないようだ。.........なあ、詩遠君。君はどうしたいんだい?」
「俺は...............」
俺は、今だけはしょぼくれた仮面をはずして考える。
どうしたいと問われたが、きっと、俺の望みは『どうしようもならないもの』だった。だから、『どうならなければならないか』を考える。地域研究部の部長として、唯一の後輩の先輩として。
そうなってくると、答えは簡単に見えてくるもので。
「............ちゃんと悠姫と決別して、前を向かないといけないのです」
「そっか............うん、それも一つの選択だと思うよ」
優しい声で店主さんは返す。
「でも、分からないんですよね。彼女と決別する方法が」
「......というと?」
「何故俺がここまで彼女に執着しているのかが分からないんです」
彼は「そうか......」と言うと、しばし考えこむ。俺は自分で何かを考えるわけでもなく、ぼやっとカウンターの天板を見つめた。
「......まあ、単純に今の詩遠君には悠姫ちゃんの代わりとなる人物が存在しないからだろうね。あとは、彼女に対して作った未練を引きずっているとか」
代わりになる人.........そもそも俺にとって悠姫は、どのような人物だったのだろうか。
今となっては、それすら思い出すことを脳が拒否した。
未練.........確かに言いそびれた言葉はあるが、それはそんなに大事なことだっただろうか。
やはり、分からなかった。あるいは、思い出すことを拒否していた。
「ごめんなさい、せっかく考えてもらったのに、やっぱりピンと来ません」
三度、謝罪をする。ここまで付き合ってくれたのにも関わらずこの結論とは、何と虚無な時間を過ごさせてしまったのだろうか。申し訳なさでいたたまれなくなった。
早く店から出ていきたいが、未だに悠姫はお手洗いから戻らない。
そんなことを思いながらソワソワしている俺を気遣ってか、店主さんは更に一言付け加える。
「君にはまだ時間がある。悩んで、嘆いて、最終的に前を向けばそれでいいさ」
そんなものなのだろうか。齢十七のガキには到底理解できない言葉であった。




